32、指輪

婚礼の儀式が始まった。私は打ち合わせどおり忙しく立ち働いていた。アレキサンダーも花嫁のロクサネもこの地方独特の婚礼衣装を身に着けている。私もまた二人に合わせて自分の着る衣装を選んだ。アレキサンダーの直接の部下である兵士や私の隊の兵士は同じようにこの土地の衣装を身につけていたが、プトレマイオス、カッサンドラ、クレイトス、フィロタスなどの側近達とその部下の兵士はいつもどおりギリシャ風の衣装を身に着けていた。

「あいつら、この日になってまで、まだ反対の意思を示そうというのか、そろいもそろっていつもと同じ服など着て・・・」
「しかたがない、彼らを完全に納得させることはできなかった」
「いいさ、最初からわかっていたことだ。俺はお前が祝福してくれればそれでよい。あいつらの考えなどどうでもよい」
「イスカンダル王、髪がまだ乱れています。もう一度梳かさせてください」

バゴアスが後ろから言った。アレキサンダーの服も髪もバゴアスによって完璧に整えられていた。

「もうよい、俺のことはもう構わずに、余興の踊りの準備をしておけ。お前の踊りを皆が楽しみにしている」
「はい、かしこまりました」

儀式は滞りなく行われた。賛成している者も反対している者も一通り酒を飲み並べられたごちそうを平らげている。私の周りには入れ替わり立ち代りバクトリアの者がやってきて、片言で話しかけてくる。族長から話を聞いて、私が王に次ぐ権力者であると思われているらしい。中には娘を連れて私の前に来る者もいる。ロクサネと同じように自分の娘を私と結婚させ、繋がりを強めようとしているのだろうか。後から後からいろいろな人間がくるので、夢中になって話しているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。





「何を言っているバゴアス!お前は王であるこの俺の命令が聞けないと言うのか!」

アレキサンダーの大きな怒鳴り声が聞こえた。私は驚いて声のする方へ向かった。余興の踊りをするために設けられた舞台の上、アレキサンダーの前でバゴアスが跪いている。

「申し訳ありません。今の私は踊ることなどできません」
「なぜできぬ。お前もまたこの結婚に反対しているのか」
「奴隷の私は反対することなどできません。でも祝福の踊りを踊ることはどうしてもできません。お許しください」
「今になってお前は俺に恥をかかせようというのか。もうよい、誰か他の宦官を連れて来い。バクトリアの娘でもよい。踊れる者をすぐに集めろ!バゴアスには罰を与える。王の命令が聞けない奴隷は鞭で打って懲らしめておけ!さっさと連れていけ」
「アレキサンダー」
「お前が口出すことではない。バゴアスまでもが俺に逆らい、いいか、鞭打ちの刑だ。100叩いておけ!手加減するなよ!」

アレキサンダーの目は血走り、激しい怒りに燃えていた。

「アレキサンダー、何もそこまでしなくても・・・・」
「バゴアスは俺に忠実だと信じていた。信じていたのに裏切った。あいついつのまに俺の命令に逆らって・・・・誰かと通じているかもしれない、相手は誰だ・・・カッサンドラか、クレイトスか・・・・許せぬ、何食わぬ顔して俺の相手をしながら・・・」
「アレキサンダー、君は少し飲みすぎているよ。バゴアスが君に逆らったのは、誰かに言われたからではなくて、純粋に君を愛しているからだよ。彼はまだ子供だよ。見た目は大人に見えてもまだ16だ。ミエザにいた頃の僕達と同じだよ」
「うるさい、お前まで俺に逆らう気か・・・誰か酒をもってこい、それから歌と踊りだ。早くやれ!王の婚礼の儀式だ。途中で中断するな!」

再びにぎやかな歌と踊りが始まってアレキサンダーと話せなくなった。族長がロクサネを連れてきて彼の隣に座らせた。私はそっとその場を離れた。





激しい鞭の音と呻き声が聞こえた。少し離れた場所の木に縛り付けられたバゴアスが鞭打ちの罰を受けていた。美しい彼の背中は血で染まり、打たれる度に耐え切れずに泣き叫んでいた。

「もういい、充分だろ。やめておけ!」
「ヘファイスティオン様、まだ100回まではかなり・・・」
「もうよい、お前達が咎めを受けないよう、私が王に話しておく。王はかなり酒を飲んでいた。酔った勢いであんなことを言ったが本心ではない、もうやめておけ」
「かしこまりました」

バゴアスを鞭打っていた兵士達は礼をして、その場を離れた。私はあわてて縛られたバゴアスの縄をほどき、下に降ろした。体がひどく熱く、まだ呻き声をあげている。

「バゴアス、しっかりしろ」
「どうして途中でとめて・・・イスカンダル王・・・・わたしが死ねばきっと悲しんで・・・もう少しで・・・・死ねるかもしれないと・・・」
「バゴアス、なぜそんなこと考える!お前が死んだらアレキサンダーはひどく悲しむ。いつも従順なお前が何故今日に限って逆らった」
「私は奴隷です。命じられればどんなことでもしてきました。でもいくら奴隷の身になっても、私には心があります。元はペルシャの王に仕える側近の子だったという誇りもあります。敬愛する王が、もとの自分の身分より遥かに低い人と結婚し、王妃とするのはどうしても許せませんでした。私は奴隷です。でも心は失っていません。あなたは心を失っています」
「そのとおりだバゴアス。お前はなかなかよいことを言う、気に入った。奴隷のバゴアスですら最後の誇りを失わず命がけで抵抗した。俺は感動したよ。それに引き換えヘファイスティオン、お前は最低だな」

いつの間にかカッサンドラがそばに来ていた。

「カッサンドラ様」

バゴアスが小声でつぶやいた。

「バゴアス、よく頑張った。俺が手当てをしてやるから来い」
「カッサンドラ!何をする気だ!バゴアスは酷い怪我をしている。これ以上傷つけるのはよせ!」
「人聞きの悪いことを言うな。よっぽどあの時のことで傷ついたか。だけどお前のような人間はどれだけ傷ついてもアレキサンダーに誘われれば喜んで抱かれるんだろう。抱かれるだけでなくどんな命令も喜んで従って・・・・勝手にしろ。今のお前に手を出したりはしない。これ以上おかしくなって死なれても困るからな。バゴアスをよこせ」
「彼は渡さない。どうせお前のことだ。どんな扱いをするかわかったものじゃない」
「ヘファイスティオン様、どうか手を離してください。カッサンドラ様のところに行きます」

バゴアスが意外なことを言った。

「そらみろ、バゴアスはかしこい。どっちについた方が得かよくわかっている。心配するな、アレキサンダーはどうせ何日かすればあの女に飽きてお前のところに戻ってくる。その間ちょっとぐらい俺のところにいたって、そんなことは気にしないさ。前よりももっとお前を愛するようになる」
「いい加減なことを言うな、カッサンドラ!そんなことしたらバゴアスはもっと酷い罰を受ける。今度こそ殺されるかもしれない」
「そうはならない、お前は人の心などちっともわかっていない。まあお前自身、もう心などとっくに失くしているからな。来い、バゴアス。こんなやつは気にするな。こいつは少し狂っているかもしれない」
「はい」





カッサンドラはバゴアスを抱えるようにして歩いていってしまった。後に残されたバゴアスが縛られていた木の下に座ってぼんやりと月を見た。片方の手がやたらに重く感じられる。指にはめていた指輪が強く光っていた。エジプト、アレキサンドリアで商人にもらった指輪。これをはめていると大きな力を与えられると聞いた。この指輪のおかげなのか、何度も戦いで危ない思いをしながらも不思議と怪我さえしなかった。だが今の私は、自分の心を、感情を、感覚を、自分でまとめることができなくなっている。もしこのまま気が狂い、大きな力だけ与えられたままならば、アレキサンダーを殺してしまうかもしれない。急がなければ・・・こうしてはいられない。





アレキサンダーとロクサネがしばらく暮らすために、小屋が作られていた。大急ぎで作ったので簡素な作りであるが、中は宝石をちりばめた装飾品と色とりどりの布で飾られ、宮殿の一室のような豪華さである。私はそっとその部屋に入った。

「アレキサンダー」
「ヘファイスティオン、どうしてここに?」
「しー、静かにして、ロクサネは」
「まだ来てない」
「君に渡したいものがある。エジプトのアレキサンドリアでもらった指輪だ」
「指輪などたくさん持っている。どうしていまさら・・・」
「この指輪を持つ者は大きな力を与えられると言われた。君に持っていてほしい」
「大きな力・・・それならお前が持っていたほうが・・・・」
「僕ではだめだ。君を殺してしまうかもしれない」
「おい、何を言っている。お前、どうかしているぞ」
「僕は自分が信じられない・・・・気が狂って何をしてしまうかわからないんだ」
「ヘファイスティオン、やっぱり俺の結婚は間違っているのか、それならそうとはっきり言ってくれ。俺がお前をそこまで追い詰めているのか、もしそうならこの結婚を取りやめる」
「間違ってはいないよ。君は少しも悪くはない。ただ、神は嫉妬深いんだ。ヘラクレスは嫉妬されて気が狂い自分の子を殺した。君も神が嫉妬するほどの英雄になった。だから僕はいつも祈っていた。嫉妬して狂わせるならアレキサンダーではなく僕にして欲しいと、その時が近いのかもしれない・・・・僕が気が狂って君を殺しそうになったら遠慮なく僕を殺してくれ」
「ヘファイスティオン・・・・」

私は自分の指にはめていた指輪を抜き取ると、アレキサンダーの指にはめた。

「これでもう安心だ。僕が君を殺すことは決してない」
「ヘファイスティオン、お前は本当に狂っているのか。俺の目にはお前はいつもと変わらない」
「狂気は前触れもなく突然やってくるからね」
「俺はどうしたらいい」
「跡継ぎを生んで欲しい。君の子は僕の子でもあるよ」
「だめだ、ヘファイスティオン、俺はお前を愛している。どこにも行かないでくれ」
「どこにも行かないよ、最後のその瞬間まで君の側にいる。そしてその最後の糸が切れたとき僕を殺して欲しい」
「お前が気が狂うなんてことは決してない。そんなことあるわけないだろう。ずっと忙しかったから、神経が高ぶっているだけだ。俺は結婚しても世継ぎが生まれてもお前に対する気持ちは決して変わらない」
「わかっているよ。アレキサンダー、愛している。僕が変なこと言っても気にしないで・・・このところ忙しくてなかなか眠れなかったから、すぐによくなるよ、愛している・・・誰よりも・・・・君に出会えてよかった」

私はアレキサンダーの体を強く抱きしめた。

「ちょっとあんた、何しているの!」

大きな怒鳴り声が聞こえた。ロクサネが後ろに立っていた。

「ヘファイスティオンだ。俺の子供の時からの親友で誰よりも信頼している」
「彼を愛しているの」
「もちろん愛している。だが君に対する気持ちとは全然別だ。愛にはいろいろな形がある」
「汚らわしい、私の国ではそんなこと聞いたこともないわ」
「アレキサンダー、僕はもういくよ」

そう告げて、部屋を後にした。もう一度振り返りたい気持ちを捨て、懸命に走ってその場を離れた。





しばらく走り、小高い丘の上に登った。山岳地帯の夜は冷え込みが激しい私は身につけていた毛皮を引っ張り体を縮めて腰を下ろした。松明の火が見え、酔っ払って騒ぐ声が微かに聞こえる。だが彼らの目から私の姿は全く見えないだろう。身につけていた短剣を抜き、自分の目の前に置いた。私はこのまま気が狂ってしまうのか。それとも何事もなく朝を迎えられるのか。静かに目を閉じその時を待った。不思議と不安も恐怖も感じず、むしろ心は穏やかで少しも波立ってはいない。



                                                    −つづくー



後書き
  映画でも有名な指輪を贈るシーンですが、なんか変なふうに脚色していますね。力を与える指輪とか、気が狂ったら殺して欲しいとか別の映画と混同しているような(笑)このシーンは映画以上の話は書けそうもありません。



目次へ戻る