(34)策略

遠征は続いた。日々の戦いも長い旅での天幕生活も毎日繰り返されればそれは日常生活のこととなる。アレキサンダーの身の回りの世話はほとんどバゴアスがやっている。私はロクサネとその侍女達の監視を任された。私自身にもアレキサンダーが選んだ選りすぐりの宦官や女達が与えられたが、私は身の回りの世話を受けても彼らを抱くということはなかった。それでも私はアレキサンダーの前では彼らに満足している振りをした。夜、一人になるたびに襲われる狂気や幻覚と戦いながらも平静を装った。戦いで幾度も敵を殺し、厳しい土地を旅する日々は、狂気ですら日常生活の延長にあるよう感じた。





だがそんな私でも驚き耳を疑うような事件が起きた。アレキサンダーに差し出されたカップのワインに毒が入っていたのである。幸い彼は一口飲んだだけですぐに吐き出したので大事にはいたらなかったが、すぐにそばにいた小姓の少年達が集められた。

「毒を入れたのは誰だ!正直に話せ!」
「違います・・・・」
「私ではありません・・・・」
「どうかお許しを・・・・」
「では質問を変える・・・誰に命じられてこのようなことをした!」
「私ではありません」
「知りません」
「口で言って答えられないのなら全員拷問にかけるしかないな」
「お待ちください。拷問だけはどうか・・・・フィロタス様の命令です」
「フィロタス・・・・フィロタスが王を殺せと命令したのか?」
「違います・・・フィロタス様に相談したのですが黙っていろと・・・」
「何を相談した!」
「違うだろう、お前何言っているんだ!命令したのがフィロタス様だ!神にかけて誓います。私達はフィロタス様に王を殺せと命じられて・・・」
「王に毒を盛ろうとしたらどういうことになるか知らないわけではなかろう。関係ある者全員拷問の末石打の刑で処刑だ」
「お許しください・・・どうかそれだけは・・・・」

少年達は全員泣きじゃくっていた。バゴアスのような奴隷と違って彼ら小姓は王族や貴族の子供の中から特別に選ばれてこの遠征に参加している。このような裏切りがあって王を暗殺しようとしたならば、彼らが拷問を受け処刑されるだけではすまされない。その家族、一族にまで類が及ぶかもしれない。

「お許しください。私達はフィロタス様にだまされたのです」
「どうか、お許しを・・・・」

少年達は泣き叫びながら必死に許しを乞うていた。やがてフィロタスが両手を鎖で縛られて連れてこられた。プトレマイオス、カッサンドロス、クレイトスなど主だった側近達もみな集められた。フィロタスの父パルメニオン将軍は少し前にマケドニアに戻されていた。副将としてフィリッポス王の時代から数々の戦いに参加していたパルメニオン将軍は直属の千人隊を率いており、それはすべて息子のフィロタスに受け継がれていた。少年達は別の場所に連れていかれ、フィロタスを裁く裁判が始まった。





「アレキサンダー、俺が毒を入れろと命令するなんてそんなことあるわけないだろう。ミエザのころから知っているはずだ。俺がどんな人間か・・・」
「学問でも武術でもミエザにいたころはぱっとしなかったお前が、今では千人隊の隊長となっている。パルメニオン将軍の後を継いでな。最近はまるで王にでもなったかのような贅沢な暮らしをしていたともっぱらの評判じゃないか」
「確かに俺は父の後を継いで荷の重さを感じていた。それほどの実力があるわけでもないのに千人隊の隊長に選ばれ、ついつい酒を飲みすぎたり、いろいろな女を天幕に引き込んだりしていた。だがそれは誰もがやっていることじゃないか!そんなことをしたぐらいで王を凌ぐ贅沢をした、王を暗殺しようとした、そんなこと言われる筋合いはない」

フィロタスは必死に弁明した。だがアレキサンダーは冷たく言い放った。

「小姓たちが口をそろえてお前に命令されて毒を入れたと言っている」
「うそだ!・・・俺じゃない!・・・・俺はそんなこと命令したことなど一度もない!・・・彼らを呼んで来い!いますぐここで問いただしてやる!誰に言われてそんなうそをついた!」
「彼らとお前を合わせるわけにはいかない」
「これは誰かの陰謀だ!始めから俺を罠にはめようと仕組まれていたんだ。アレキサンダー、わかるだろう、俺はそんなことするような人間じゃないことぐらい。ヘファイスティオン、お前はどう思う・・・俺はそんなことする人間ではないだろう?」

フィロタスはすがるような目で私を見た。私はその目をさけて静かに答えた。

「確かにフィロタスが命じたとは考えにくい。他の者がアレキサンダーを暗殺、あるいはフィロタスの方を罠にかけようとやらせたのかもしれない」
「フィロタスが死んで得するのは誰だ?プトレマイオス、お前はいつも言っていたよな、フィロタスはパルメニオン将軍の子として優遇されすぎていると。あんなやつに千人隊を任せたら俺たちもおしまいだと・・・」
「何を言っているカッサンドラ!お前こそ早くマケドニアに戻りたいとそればっかり言っていた。お前が誰かに命じて・・・」
「いや待て、一番怪しくなさそうに見えるやつかもしれない」
「それは誰だよ」
「ヘファイスティオンだ。決まっているさ・・・子供の時からアレキサンダーと仲良くして今でも一番の信頼されている。だが心の中では何を思っているか・・・アレキサンダーが死んで一番得するのはこいつかもしれないぜ」
「カッサンドラ、いい加減にしろ!お前の意見を聞いているとこの中の全員が怪しいことになる。お前以外はだな・・・話の論点をもう一度整理しよう。何が事実で何が事実でないか」
「プトレマイオス、続けてくれ」

プトレマイオスの言葉にそれまで大騒ぎしていた者達も静かになった。アレキサンダーですらこの裁判をプトレマイオスに任せようとしていた。

「何が真実か、まずアレキサンダーに差し出されたワインに毒が入っていた、それは真実だ。間違いないな」
「誰が入れた?」
「入れたのはあの小姓の誰かだろう。他の者はあの場にいなかった。カップに注がれたワインにだけ毒が入り、樽の方には毒は入っていなかった。したがって前もって誰かが樽に毒を入れたわけではない」
「カップにあらかじめ入れた可能性は・・・・」
「王の使うカップはいつもたくさん用意され、その中からアレキサンダー自身が選んで使っている。あらかじめ毒など塗ってあればすぐにわかってしまう。さらにアレキサンダーは俺たちと同じようにミエザで医学についても随分学んでいる。毒などについても多くの種類を知っているし、普段から用心しているはずだ。だから毒を入れたのはあの小姓の誰か、それも間違いない」
「誰がやったのか拷問にかけてはっきりさせた方がいいか」
「いやクレイトス、誰かとは特定しない方がいい。もし誰かということがわかればその者に繋がる者も殺さなければならなくなり、深い怨恨を残す。誰かは問わず全員をすぐに殺した方がいい」
「フィロタスのことは?」
「彼らが口をそろえてフィロタスに命じられたと言っているならそれは真実だろう。王の毒殺に関ればどうなるか、知らないわけではないだろう。殺されるのがわかっているのだから真実を言っているに違いない。かわいそうに、一人がフィロタスに騙されたばっかりに全員が殺され・・・・」
「違う!俺が小姓を騙してやらせたんじゃない!あいつらを呼んで来い!なんでそんなうそをつくんだ。でたらめだ!全部誰かに言われてやったんだ。俺の目の前でしゃべらせろ!そうすれば真実を話すだろう」
「真実はお前が命令したんだろう、フィロタス」
「違う!何度言ったらわかるんだよ、なあ、プトレマイオス、お前ミエザにいたときから一番頭よかったよな。何が真実が探求したいといつもいっていた。頼むよ、お前の頭のよさで真実を探り出してくれよ」
「俺にはお前が命じたという以外、他の真実は考えられない」
「カッサンドロス、お前はどうだ・・・・よく一緒に組んで剣術やレスリングを・・・お前の方がずっと強かったが・・・ミエザにいたころ一緒にこっそり抜け出してさ、俺が好きになった女の子に会いに行きたいといったら一緒についてきてくれたじゃないか」
「ここはミエザではない。今お前と一緒に行動したら俺の未来はなくなる」
「クレイトス、あなたは俺に剣の使い方とか馬の扱い、たくさん教えてくれましたよね。遠征の途中でも・・・」
「お前があんまり扱いが下手で見ていられなかっただけだ。今では俺よりずっと出世した。もうお前に教えることなど何もない」

フィロタスは必死に一人一人の顔を見ては自分とのかかわりの深さを言い、助けを求めていた。私とて例外ではない。ミエザのころから共に学び一緒に行動していたフィロタスとの間には数え切れないほどの思い出がある。

「アレキサンダー、何よりも俺がどんな人間だったか思い出してくれよ。お前を殺すなんて、そんなことできるわけないだろう」
「確かにミエザにいたころのお前ならそんな大それたことは考えもしないだろう。気が弱く、いつも誰かと一緒に行動していた。だが今のお前はそうではない。身にあまるほどの名誉を受け、財宝を贅沢に使い、遂には自分が王と同じになることを夢見てしまった。俺を暗殺すればお前は莫大な富と名誉を得て国へ帰れる」
「ちがう・・・そうじゃない!俺は富や名誉を求めていたわけじゃないんだ・・・贅沢をして自分の立場の苦しさを忘れようと・・・なあ、ヘファイスティオン、お前はわかってくれるよな。俺がやったのではないと信じてくれるよな・・・俺、覚えているよ。ミエザにいたころ、アレキサンダーの持っていた短剣がどうしても欲しくなってこっそり盗んでしまった。みんなすぐ俺を疑ってさんざん非難したけど、お前だけは違うと言ってくれた。俺うれしくてさ、本当は俺が盗んだのにお前はそのまっすぐな目を俺に向けて信じてくれた。すぐに俺が盗んだとバレてしまって鞭で打たれたけど、そしたらお前俺の側にきてワーワー泣き出した。あんまりお前がひどく泣くから俺は自分の痛みも忘れてお前を慰めてしまったよ・・・・ヘファイスティオン、お前はやさしいから・・・頼む・・・・助けてくれ・・・」

私がフィロタスに何か言おうとしたとき、アレキサンダーが厳しい声で言った。

「ヘファイスティオンにまで同情を買おうとするようなことを言うな、フィロタス!では裁決をする。一人ずつこの陶器の破片に文字を書いてこの壷の中に入れろ。一人一つだ」
「待ってくれ、アレキサンダー、まだ俺は言いたいことが・・・・」
「静かにしろ、フィロタス!」

壷の中に陶器の破片が集まり、アレキサンダーがそれを調べた。

「無罪と書かれているのは二つだけだ。有罪は決まりだな。本人の口から理由を聞きたい。すぐ拷問にかけろ、連れて行け!」
「待ってくれ、俺は何もしていない。ヘファイスティオン、助けてくれ!」
「卑怯者!ヘファイスティオンに助けを求めるな、いいか、ヘファイスティオン、お前はこのことには決して口出しするな、いいな」
「アレキサンダー・・・・・」

フィロタスは連れて行かれた。無罪と書いた者はたった二人だけ・・・・私とあと一人は誰か・・・フィロタスに同情した者が他にもいたのか、アレキサンダーも彼を助けたいと願ったのか、それとも別の真実を知る者がいるのか・・・・私にはどうしてもフィロタスが小姓に命じて毒を入れさせたとは思えなかった。けれども裁決で有罪と決まってしまえばもう彼を助けることはできない。私は暗い面持ちでアレキサンダーを見た。彼の顔にも苦悩と疲労の影が広がっている。



                                               −つづくー






後書き
 「神話への挑戦」、久しぶりに書いたので前のページを読み直したり訂正しておきました。最初に書き始めたのは1年ぐらい前なので、あとから読み直すとここ違っているという場面がたくさんあるのですが、とりあえずこの話はこのまま最初に考えたとおりの結末まで話を運んでいきたいと思っています。
2006、6、20



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