(36)夜明け

私は激しい痛みに絶叫し、のた打ち回った。愛を確かめ合う、ただそれだけの行為でなぜここまで苦しまなければならないのか・・・相手が誰であれ、それは熱い鉄の塊となって、私の内部を焼き焦がす。ただれた皮膚は剥ぎ取られ、どろどろとした赤い液体を流す。どれほど酷い拷問もこれほどではないだろう。けれどもこれは狂った私にしか見えぬ幻覚・・・相手が誰であれ彼らの目には、快楽に溺れ、絶頂の嬌声を漏らす私の姿しか映らないはずだ。

「ヘファイスティオン、苦しいのか・・・・」

遥か遠くの場所からフィロタスの声が聞こえる。私を抱いている彼の体すら、今の私には遠い位置のものに感じる。熱い塊は容赦なく私の内部を焼き焦がし、抉り取っていく・・・痛みをこらえ、唇を強くかみ締める。唇から血がだらだらと流れ出す・・・・これ以上声を出してはいけない・・・フィロタスに悟られてしまう・・・最後の生のあかし・・・彼の激しい絶望と怒りと死への恐怖・・・・怖れなくてもいい・・・すべては私が受け止めよう・・・・

「ヘファイスティオン、お前どうしたんだ?・・・・そんなに苦しいのか・・・・」
「なにも怖れなくていい・・・僕が君の思いをすべて受け入れる・・・悲しみも・・・絶望も・・・痛みも・・・憎しみも・・・怖れも・・・君は僕の中にすべてを吐き出せばいい」

今度は彼の体を、その声をすぐそばに感じる。私は体を広げて彼の熱い塊を包み込んだ。怒りも憎しみも全て私が包み込んでしまおう。フィロタス、君はもう何も苦しまなくていい・・・・一声大きな叫び声を上げ、私は意識を失った。






「まさか、こんな時にまたお前を介抱することになるとは・・・・」
「フィロタス・・・僕は・・・・」
「途中で意識を失った、あの時と同じだ・・・・アレキサンダーが相手でも同じなのか?お前にとってあの行為は拷問以上のことなのか」
「・・・・・・・」
「なぜ、そんな体なのに俺に差し出した・・・・・お前の体・・・・」
「どうして・・・あれは僕の幻覚だ・・・・誰にも見えないはず・・・・」
「俺には見えた・・・お前の苦しむ姿が・・・俺の受けた拷問なんてものじゃない・・・・よくお前はそれで俺に抱かれる気になった」
「その気はなかったよ、でも君が無理やり・・・・」
「そうだ、そうだったな、悪かった・・・・アレキサンダーが相手でもそうなのか・・・あれじゃ、お前・・・」
「君には関係ないことだ」
「そうだ、関係ない・・・でも俺はこのあとすぐ殺される・・・話してもいいだろう。いつからだ?」
「・・・・・・・・」
「原因はバゴアス・・・・そうだろう?・・・・アレキサンダーはお前の苦しみなど少しもわかっていない。きれいな奴隷をかわいがり、山岳民族の娘を王妃にして・・・全く何を考えているんだか」
「アレキサンダーは王として普通のことをやっているだけだ。フィリッポス王にだって身の回りの世話をして、夜の相手もする少年はたくさんいたし、たくさんの王妃がいた。ましてバゴアスのようなペルシャ人で宦官の少年を相手にすれば、権勢を誇ったペルシャ王と同じ気分を味わえる。王として憧れるわけだよ。バゴアスはアレキサンダーに王としてどれだけの権限を持ったかを実感させてくれる、それだけだよ・・・・だからアレキサンダーはバゴアスを大切にする」
「ヘファイスティオン、違うだろう・・・そこまで割り切れればあんなに苦しんだりはしない・・・さっき少しだけお前の心が見えた。もがき苦しんでいるお前の姿が・・・・」
「バゴアスは奴隷の身分で、子供のころ去勢までされた。最低限の身の上であるのに、僕はうらやましくて妬ましくてしょうがないんだ。彼と一緒のテントに寝られる・・・僕は昔ただそれだけの立場で幸せだった。服を着替えさせることができる・・・髪に触れ、とかすことができる・・・湯浴みの手伝いをして肌に触れることもできる。昔当たり前のように彼のためにできていたことが今は何もできない。すべてバゴアスがやっている。彼は奴隷の身分だよ。運良くダレイオス王に仕え、そしてアレキサンダーに仕えるようになったけど、どんな主人に仕えることになっても文句も言えない立場なんだ。それなのに僕は嫉妬している・・・・うらやましくてたまらない・・・」
「ヘファイスティオン・・・・」
「愚かだろう?僕は一体何のためにアレキサンダーのそばにいる?戦で彼が期待するような活躍をすることもできない。ただ嫉妬に苦しみ、心を狂わせてそれでも彼のそばから離れることができない。ほんの少しでも愛を与えられれば、犬のようにしっぽをふって飛びついてしまう・・・そしてまた自分で自分を苦しめる・・・本当に愚かだよ」
「確かにそうだ。俺も父の後をついで、りっぱな役職を受け継いだのに、父のような活躍はできなくて、気がついたら酒を飲んで、女と戯れて愚かなことばかりやっていた。だから妬まれて罠にはめられる。今頃気づいても遅いよな。もっとうまく振舞ってカッサンドラやプトレマイオスのようにしていたら、父から受け継いだ栄誉をさらに大きくすることもできたのに・・・せっかくの父の手柄も俺がすべてだいなしにしてしまった」
「そんなことはないだろう。パルメニオン将軍は・・・・」
「気休めを言わなくてもいい、俺が殺されたすぐ後、父も俺の家族も殺される。そういうものだよ」
「フィロタス・・・・」

私は言葉に詰まった。彼の家族のことを考えるとなんて言ったらいいかわからなくなる。私の下手な慰めなどなんの役にもたたないほど、彼とその家族は絶望的な状況に追い込まれている。

「泣くなよ、ヘファイスティオン・・・・お前はすぐに涙ぐむ・・・」
「泣いてなどいない・・・・」
「俺が罰で鞭打たれた時、お前はワーワー泣いていただろう。俺、びっくりしたよ。男なのに人のことでこれだけ泣けるやつがいるのかと思って・・・・」
「あれは子供の時のことだ。鞭の痕があまりにも痛そうだったから・・・・今は違う・・・僕は君のために何もできない」
「もう充分だ・・・・お前と話していたら、俺の怒りも憎しみもどこかへいってしまった。さっき拷問されて処刑が決まった時はここにいるやつら全てを呪ってやるとまで思ったよ。俺を罠にはめたやつ、ちょうどいい機会だと俺が殺されることをむしろ喜んでいるやつ、みんな呪ってやる・・・そう思って叫んでいたよ・・・拷問なんて人間のやることじゃない。痛みの前ではどんな人間だって耐え切れず、卑屈になり、惨めな姿をさらけ出す。でもな、お前と話していたらそんな惨めな姿をさらしてもいいんじゃないかと思えてきた」
「・・・・・・・」
「抱いている時、お前の声が聞こえた・・・全てを受け入れると・・・俺の苦しみをなくしてみせると・・・」
「僕はそんなりっぱな人間じゃない。奴隷にすら嫉妬して心を狂わすような愚かな人間だ」
「俺は生涯に二度、お前に対して驚いた。一度目は鞭で打たれた俺を見てワーワー泣いていたお前に、そして二度目はさっき抱いた時、拷問のような苦痛の中で、俺を包み込もうとしたお前の姿を見た時・・・・もう俺は自分の不運を嘆いたり誰かを恨んだりという気持ちは全くなくなっていたよ」
「アレキサンダーを恨まないで欲しい。彼にもどうすることもできない」
「本当にお前はアレキサンダーのこと愛しているんだよな」
「愚かだよね・・・子供の時からずっと彼を見つめることしかできないのに・・・・・」
「そんな愚かなお前がずっと気になって・・・・好きだった・・・子供のころからずっと・・・もうお前たちを見続けることはできない。だから俺がお前に最後に力を与えてやる。これから先、お前はたった一人でアレキサンダーを守っていかなければならない。誰も信用できない。ミエザの時の仲間ですら・・・・だからお前に力を・・・・」
「力って・・・・僕にいったいどうしろと・・・・」
「もう夜が明けるのか?お前の顔が赤く見える」

フィロタスの言葉に体中が凍りついた。彼の顔も赤く染まっている。まもなく日が昇る。朝早く彼は処刑されてしまう。

「そんな顔するな、まるでお前が処刑されるみたいだぜ・・・・外に出てみようか」
「・・・・・・・・・」






東の空はまるで血を流したかのように真っ赤に染まっていた。フィロタスと二人外へ出た私は思わず目をそらし、下を向いてしまった。

「なぜ目をそらす。きれいな朝焼けじゃないか」
「血の色のようだ」
「俺が最後に見る朝日だ。美しい光が見える。大地が血に染まり、地上に死体が溢れている時でも、太陽は美しい光を降り注ぐ。あのガウガメラの戦いの後で見た朝日も美しかった。あの時の俺は栄光と名誉に照らされた絶頂の時だった。だけど今ほど朝焼けが美しく、日の光が輝いて見える時はない」
「フィロタス・・・・」
「いつの日か、もっとずっと後のことだろうけど、アレキサンダーも年老いて死を迎える時が来る。その時お前は必ずそばにいて一緒に星を眺め、朝日が昇るのを見ろ。アレキサンダーが言っていた。明日、死ぬ事がわかっていたら、最後の夜そばにいてほしいのはヘファイスティオンだと・・・・その言葉の意味をかみしめ、お前は生きていけ・・・・」
「・・・・・・・」
「もうすぐ完全に明るくなる・・・・まもなく俺は連れていかれるだろう。ヘファイスティオン、最後に一つ頼みがある」

フォロタスは思いがけない言葉を口にした。

「だめだよ・・・・そんなことできるわけはない・・・・なぜ君は僕にそれを・・・・・」




                                                  −つづくー





後書き
 フィロタス、どうしても王の暗殺を考えるような人物には見えなかったので、無実の罪という設定で書いてみました。
2006、7、4







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