(37)フィロタスの処刑
「お前の手で、俺を殺して欲しい」
フィロタスははっきりとした口調で、思いがけない言葉を口にした。
「なぜ・・・・どうして君は・・・・・そんなことできるわけない」
私は激しく首を振った。
「他のやつらの、あざけりと嘲笑の的になって死にたくはない。頼む、お前が殺してくれ・・・」
「僕の手で君を殺すなんてそんなこと・・・・・」
「お前が敵にすら哀れみをかけ、殺せない人間だということは知っている。戦いになど一番向いてない人間だ。今まではそれでよかった。でもこれからはそうはいかない。アレキサンダーは敵にも味方の中でもたくさんの人間に命をねらわれている。誰も信用できない。ミエザのころの友情や信頼関係などとっくにみな失くしている。強い者、策略に長けた者だけが生き残ることができる」
「・・・・・・・」
「お前一人がミエザの頃と少しも変わっていない・・・・純粋で一途で不器用で・・・そんなお前が好きだった。でもそれでどうやってアレキサンダーを守る!自分の命すら守れないだろう!」
「・・・・・・・」
「お前の手で俺を処刑しろ。冷酷な指揮官として、一切の感情を見せずに・・・・誰もが驚いておいそれとお前に近づかなくなる。かっての友人を冷酷に殺したお前を、みなは怖れ、恐怖の目で見る。恐れがある限り、誰も決してアレキサンダーを殺そうとは思わなくなる」
「僕がみなを怖れさせる・・・・・」
「そうだ、お前しかいない。バゴアスやロクサネには決してできない。王の日々の世話や夜の相手や子供を作ることなどはあいつらにまかせておけばいい。お前はただアレキサンダーを守る存在として生きろ」
「僕にはできない・・・・そんなこと・・・・」
「できなくてもやるしかない。愛しているんだろう、アレキサンダーのことを・・・・お前しかいない・・・・心配するな、俺が見守ってやる」
「それで君を殺せと・・・・」
「そうだ、ヘファイスティオン・・・・俺は自分の愚かさで策略にはまり、拷問を受けて惨めな形で処刑される。父が長い戦いの日々で築いた名誉も役職も、すべてこの俺が台無しにしてしまう。俺はなんのために生まれて来た・・・・なんのためにここまで戦ってきた・・・・父の名誉や栄光を地に落として泥だらけにするためか!副将軍にまで登りつめた男の息子が愚かにも王の暗殺を企てて処刑されると、みなのあざ笑いの的になるためか!・・・・・違う・・・違うんだよ・・・・何か一つでいい、俺の死に意味が欲しい、目的が欲しいんだ!お前に力を与えるために俺は死んでいく、そう思って死にたい・・・」
「わかった、わかったよ・・・・」
「そうと決まったらうまくやれよ、ヘファイスティオン・・・・お前は不器用ですぐに涙ぐむ。絶対に涙を見せるな!俺は最後まで目を開けてお前を見ているからな!」
数人の兵士が近づいてきた。フィロタスは軽く私の体を抱くと、すぐに手を離し、彼らに向かって真っ直ぐ歩いていった。もうすっかり夜は明けていた。
広い平原に木の杭が立てられ、先に小姓だった5人の少年が石打の刑で殺された。大勢の兵士がまだ小柄であどけない顔の少年に石を投げつける・・・・余りにも酷い処刑のやり方に目をそむけた。彼らの悲鳴が聞こえなくなり、最後の一人が息絶えるまでには随分時間がかかった。握り締めた私の手のひらは爪が食い込み、血が流れていた。続いて少し離れた場所の杭にフィロタスが縛り付けられた。
「続いてフィロタスの処刑を行う、石を投げようと思う者は前に出ろ」
アレキサンダーの声が響いた。私は彼の前に出た。
「待ってくれ、フィロタスは副将軍パルメニオンの子だ。処刑されることに決まっても、彼に向かってただの兵士が石を投げたら、神の怒りをかうことになるだろう」
「ヘファイスティオン、それならばどうする」
「石を投げて殺してはいけない。彼は副将軍の子だ。戦士として、槍を投げて殺せばいい」
「おい、ヘファイスティオン、お前はフィロタスに同情して、石打をやめさせ、楽な方法で死なせようとするのか」
カッサンドラの声が聞こえた。プトレマイオスも何か言っているがまわりの声にかきけされてよく聞こえない。たくさんの者が口々になにか叫んでいる。ここにいるのはミエザで目を輝かしてともに学んだ仲間ではない。死に物狂いの戦いの中、互いの無事を祈った戦士の仲間でもない。裏切り者を厳しく処分しろという正義感にまざって、栄光と名誉を受け継いだ者が地に落ちて惨めな姿をさらすのを楽しむ残酷なたくさんの目がある。
「フィロタスは拷問に耐え切れずに泣き叫んでいたそうだな・・・ヘファイスティオン、お前はそれですっかり同情したんだろう」
「石打だ。石打にしろ!何が副将軍の子だ、裏切り者が!」
「王を殺して自分が王になるつもりだったのか」
「大罪の報いをたっぷり味あわせろ!はやく石を投げろ!」
「アレキサンダー、早く命令を出せ!暴動になるぞ」
大騒ぎになった。アレキサンダーが何か言おうとするほんの少し前、私は大声で叫んだ。
「静まれー!・・・静まれ!私は幼い頃よりアレキサンダー王と共に育ち、王の考えや意思を誰よりもよく理解している。王の暗殺を企てたフィロタスの罪を許すことはできず、厳しい処罰が必要だ。だが、彼の名誉と誇りは傷つけたくない。私が槍を投げて彼を処刑する。他の者が手出しをすることは一切許さぬ。もし、身分の卑しい者が彼に向かって石など投げれば、その者は必ずや神の怒りに触れるであろう」
私の声は広い平原に響き渡った。誰もが静かに聴いていた。邪魔をする者はない。アレキサンダーが私を見て頷いた。私は数本の短い槍を持って前へ出た。
「ゼウスとオリンポスに集う神々よ。今から尊い血筋を持つ者の血が大地に流れることをお許しください。彼、フィロタスは王であるアレキサンダーに毒を飲ませて殺そうとする大罪を犯しました。その罪を今、償わさせます」
空を見上げると大きな鷲が飛んでいた。その鳥の鳴き声を合図に私は槍を構えた。鋭い悲鳴が聞こえた。手元にある槍を次々に投げた。そのたびに苦しげな悲鳴が聞こえた。私の目は開いていたがフィロタスの顔を見てはいない。私の投げる槍はことごとく急所をはずし、彼を苦しめていた。手元にあった槍をすべて投げ終えても彼はまだ息絶えてはいなかった。体中から血を流し、苦しそうに呻き声をあげている。アレキサンダーの方を見ると、私に向かって頷いた。彼が何を言おうとしているか、私にはすぐに理解できた。剣を抜いてフィロタスの方へと近づいた。
「フィロタス、これで・・・・」
「何をしようとしている・・・処刑はまだ終わっていない」
「僕は君の苦痛を長引かせてしまった・・・」
「落ちている槍を拾って、もう一度投げろ、みんなが見ている。剣なんか使うな・・・・」
「だけど・・・・」
「これでいいんだ。大罪を犯した人間が楽に死んではいけない・・・・・投げる槍の一つ一つ・・・・俺の悲鳴が・・・・呻き声が・・・流れる血が・・・・お前に力を与える・・・・お前は怖れられる人間になれ・・・・」
「フィロタス・・・こんな苦しい時に・・・・」
「しっかり投げろ・・・・昔教えてやったはずだ・・・・お前は何をやっても不器用だから・・・そんな投げ方で人を殺したりはできない・・・殺せるようになれ・・・ヘファイスティオン・・・・最後まで見ている・・・・」
「フィロタス!」
「涙を見せるな・・・・最後まで見ている・・・・俺の命が尽きても・・・・お前のことを・・・・見ている・・・」
私はもう一度もとの場所に戻った。フィロタスの呻き声が聞こえる中、夢中になって槍を投げた。呻き声が途切れてもまだ私は槍を投げ続けていた。
「ヘファイスティオン、もういい、フィロタスは息絶えた。よくやった。彼の指揮していた千人隊も他の軍隊もみなお前が引き継ぐことになる。すぐに行ってお前が言葉をかけ、不安を鎮めて指揮をとれ。いいな」
「アレキサンダー・・・・・」
「命令だ、早く行け!」
私は刑場を離れ、大勢の兵士達が集まっている場所へと向かった。
夢中になって新しく私の指揮下に入った兵士達一人一人に声をかけている間にあたりはすっかり暗くなっていた。
「もうこれぐらいでいいだろう。お前は刑場にもどれ」
「アレキサンダー・・・・・」
「誰も近づかないように命じた。明日の朝、遺体を埋葬するよう言ってある。フィロタスに別れをいってこい」
「・・・・・・・」
「前の日にあれほど拷問で泣き喚き、卑屈になって命乞いをしていたやつが、今朝は穏やかな顔をしていた。刑場まで自分の足で歩き、何の抵抗もしなかった。お前のおかげか・・・・」
「・・・・・・・・」
「フィロタスが何を言ったかだいたい察しがつく・・・よくやった、ヘファイスティオン・・・・」
「アレキサンダー、彼は・・・・・」
「わかっている、でもそのことはもう誰にも話すな。彼もそのことを望んでいるはずだ。早く行ってやれ」
私は刑場へと走った。朝早く処刑された少年達とフィロタスの死体はまだ杭に縛られ、そのまま放置されていた。夕日と血の色でフィロタスの体は真っ赤に染まっていた。私は彼の体にささった槍を丁寧に抜き、杭に縛られた体を布を敷いた地面の上に横たえた。布で血をふき取っている時、彼の目が開いたままになっているのに気がついた。
「フィロタス・・・・言ったとおりに目を開いたままで・・・・ずっと見ていた・・・・でももう閉じて・・・僕は君との約束を守れないから・・・」
私はフィロタスのまぶたを指で閉じ、冷たくなった体を抱きしめた。
「こんなに冷えて冷たくなるまで、君はずっと僕のことを見ていた・・・・僕が涙をこぼさないように・・・・もう泣いてもいいよね、君は目を閉じていて・・・・」
傷口の血は固まっていてなかなかきれいにはならない。
「そんなに気にするな、俺は戦士として死ぬことができた・・・槍の傷や血の後は勲章だ」
「フィロタス、僕は君をさんざん苦しめて・・・・・」
「俺の流した血がお前を強くする」
「僕は弱い人間だから・・・・」
「そうだな、お前はミエザにいたころから何をやらせても下手で弱くてどうしようもなかった。それでもまぶしかった・・・あのころ俺達はみんな夢や希望を持って輝いていた。そんな中でも一番ダメなお前がまぶしいほど輝いていた。弱くてもいいんだよ・・・泣いてばかりいても・・・お前もアレキサンダーもカッサンドラもプトレマイオスもみんな輝いていた」
「どうしてこんなことに・・・・」
「今だけは、泣いていいよ・・・俺は目を閉じている・・・・思いっきり泣けばいい。その代わり、他の者の前では決して涙を見せるな」
「フィロタス・・・・」
私はフィロタスの体を抱きしめて泣いた。涙は後から後から流れ続けた。
−つづくー
後書き
フィロタスの死でヘファイスティオンは大きく変わるのではないかと思います。それまでは激しい戦いはあっても、味方は全員信頼でき、ミエザの仲間の友情は続いていると思っていた信頼関係がここで崩れてしまい、以後アレキサンダーも疑い深くなったかと考えると悲しいです。そんななか、フィロタスの死を少しでも意味のあるものにしたいといろいろ考えてしまいました。
2006、7、5
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