(38)粛清

「フィロタスを処刑した以上、事は慎重に素早く行わなければならない」
「パルメニオン将軍が補給部隊として後方に待機している。フィロタスは唯一生き残った彼の息子だ。処刑を知ったら反乱を起こすかもしれない」
「ヘファイスティオン、どう思う?」

フィロタス処刑後、一夜が明けるとアレキサンダーはすぐに側近たちを集めて会議を開いた。このような会議で私の意見が求められるなどということは今まではなかった。みなが私を見る目は今までとは全く違っている。

「知らせが届く前、反乱を起こす前にパルメニオン将軍を暗殺する。そうしなければ我々も補給部隊を失って大変なことになる」
「ヘファイスティオンの言うとおりだ。すぐにパルメニオン将軍を殺さなければ大きな損害を受ける」
「誰がそれをやる。怪しまれないように近づけるのは・・・・」

カッサンドラ、プトレマイオス、そして他の者の目も私の方へ向けられた。私がその役を引き受けることが望まれているらしい。

「私が行こう。王からの急な用事があると伝え、隙を見て殺す」
「さすがヘファイスティオン。旧友のフィロタスを殺した以上、もう怖いものなど何もないか」
「よせ、カッサンドラ」
「プトレマイオス、俺はほめているんだぜ。もっともヘファイスティオンはフィリタスに同情して自分が手を出したのかもしれない。だがあのときの顔は本物の戦士だ。もはや同情などしていなかった」

カッサンドラは涼しげな顔で言った。フィロタスを殺す時、私は自分がどんな表情をしていたのかなど気を使う余裕はなかった。だがここにいるカッサンドラもプトレマイオスも殺されるフィロタスよりも私の顔をじっと見ていた。彼らにとって殺される者の恐怖や絶望はもうどうでもいいことになっていた。誰が側近としてより多くの信頼を勝ち得て高い地位を与えられるか、それが何よりも大切になっている。

「俺が行こうか。ヘファイスティオンの手ばかり汚させるのは悪いだろう。血で汚れた手と王の愛欲でどこまでも高い地位に登りつめた男などと記録に書かれたくないだろう」
「カッサンドラ、ヘファイスティオンを侮辱するような発言は許せぬ!それ以上しゃべったらお前もフィロタスと同じ目にあわせる」
「アレキサンダー、待て!落ち着け、ここで仲間割れしてまた血を流したら俺達はどうなる。カッサンドラ、ヘファイスティオンを侮辱するような言葉は二度と口にするな。パルメニオン将軍の所へは俺が行く」
「クレイトス、お前が行ってくれるのか」
「俺は将軍の配下で長い間一緒に戦ってきた。一番信用されている」
「だがそれだけに絆も深いのではないか」
「それはお前やヘファイスティオンと同じだ。俺はフィリッポス王の時からずっと仕えて共に戦ってきた。だからこそ今回のフィロタスの裏切りを許すわけにはいかない」
「クレイトス、わかった。お前に任せよう」
「万が一失敗した時のために、こっちもそれなりの準備をしておけ、いいな。敵と戦ってではなく、味方の裏切りで軍が壊滅したら、フィリッポス王に笑われるぞ」
「クレイトス・・・・」
「アレキサンダー、お前のためではない。俺は今でもフィリッポス王に仕え、一緒に戦っているつもりだ。王ならばこんな時どう戦うか、裏切りにどう対処するか、いつも考えて行動している」
「父上はなんと?」
「こう答えられた。裏切り者を許してはいけない。厳重に処罰し、粛清せよ。例えそれが右腕でもあったパルメニオンでも・・・」
「俺のしたことは間違ってはいないのだな、これからしようとすることも・・・・」
「ああ、少しも間違えてはいない」
「俺は二十歳で王位を継いだ。時々自分が王として本当に正しいことをしているのか、わからなくなる時がある」
「王の命令だ。俺をパルメニオン将軍の下へ」
「クレイトス、お前をパルメニオンのところへ」

話はまとまった。クレイトスは数人の部下を連れてすぐに出発した。

数日後、クレイトスがパルメニオン将軍を暗殺したという伝令が届いた。心配したような反乱は何もなく、将軍の直属の兵士達もみなクレイトスの命令に従って、引き続き補給部隊として同じ場所にとどまってくれるようだ。私達の本隊はまた大部隊のまま遠征を続けた。







私達の部隊は兵士だけではない。学者、記録をつけるもの、食料を運ぶ奴隷、兵士がそれぞれの場所で見つけた女とその子供、技師、設計士、建設作業をする者、占い師、神官・・・国を支えるのに必要なあらゆる種類の人間が一緒に旅をしていた。充分な食料を得られる豊かな土地はほとんどなく、荒れた大地を進み、遠くから運ばれる水や食料を大切に蓄えて運びながら進む遠征である。やがて私達はヒンズークシュ山脈のふもとまでたどりついた。ここから先はどんな地図にも載っていない、誰も旅したことのない未知の世界となる。

「プロメテウスが縛られた岩山というのはあのあたりか」
「そうかもしれないね」
「俺達は随分遠くまで旅をした。だが世界は俺たちが思っていたよりも遥かに広い。誰も旅をしたことのない未知の世界に今入ろうとしている」






ヒンズークシュ山脈の麓では、夜は凍えるほどの寒さとなる。私は久しぶりにアレキサンダーの天幕へと招かれた。

「今夜はバゴアスは?」
「こう寒くては沐浴も何もできないだろうから下がらせた。王として身なりを整え、他の国の使者に会うためには彼が必要かもしれない。だが、この寒さの中、何もない、プロメテウスが罰を受けたような場所で必要になるのは他の誰でもない、お前だけだ、ヘファイスティオン」
「ひどい寒さだ。もっと火を焚いて・・・・」
「この火を天界から盗んだためにプロメテウスはゼウスの怒りをかい、罰を受けた。岩山に繋がれ、大鷲に肝臓をついばまれるという罰を・・・・肝臓は一夜で再生するから、プロメテウスは永遠に同じ苦しみを受け続ける。ゼウスの怒りが解けるまで・・・・なぜ、それがわかっていて人間に火を与えた・・・・・彼は先を見通す目があった・・・・自分が罰を受けるのを知っていながらなぜ・・・・」
「わからない・・・・」
「俺は世界の果てまで進み、全ての国を征服したいという夢がある。だがそれは正しいことなのか?多くの仲間を失い、そしてまた仲間に裏切られた」
「アレキサンダー、君の夢は間違ってはいない。少なくとも僕はそう思っている・・・・そして君の夢を実現するためには・・・僕はどんなことでもできる」
「このあたりの土地はやせ作物はごくわずかしかできない。そうして得た食料を一部の者が独占し、貧しい者は飢えに苦しみ次々と死んでいく。何も知らず、生きるためのなす術も知らず・・・大きな国を作り、道を整え、物質が運ばれるようになればこの土地の人間の生活も大きく変わる。プロメテウスは人間に火を与え、飢えと寒さから護った。俺は新しい国を作り、新しい秩序のもとで争いも飢えもない国を作りたい、それは人間に火を与えたプロメテウスの偉業にも匹敵する。そう思わないか!」
「わかるよ・・・僕にはすべてわかる・・・君が今何を思っているか・・・・」
「もっと先に進まなければ・・・そのためには裏切り者は殺さなければならない・・・それが例え古くからの友人であっても・・・」
「君のした事は少しも間違っていない」
「俺が信じられるのはお前だけだ・・・・お前だけは決して・・・決して裏切らないでくれ・・・俺のことをうらぎらない唯一の人間でいてくれ」
「裏切ったりはしない。どんなことがあっても・・・」






私達は口付けを交わし、愛の営みを始めた。少しでも手が触れ、肌が触れるたびに私の気持ちは高まった。この後、自分の体にどういうことが起こるかはよく知っている。私は岩に縛られたプロメテウスと同じ、もっとも残酷な罰を受けることになる。アレキサンダーと愛し合うために・・・・やさしいはずの愛撫は鷲の鋭いかぎづめやくちばしとなって私の皮膚を引き裂く。痛みにもがき絶叫しても、私の体は動かず、声が彼に届くことはない。引き裂かれた皮膚から血が流れ、肉が自分の目にも見えるころ、熱い塊が内部へと差し込まれ内側から焼き焦がされる。意識があるのか失っているのか、絶叫しているのか声も出せずにいるのか、それすらもわからなくなる。終わりのない苦痛の中でまたあの声が聞こえる。

「おろかな人間よ、これだけの罰を受けてまだ気づかぬか。プロメテウスのまねをして人間に火を与えるなど・・・お前の愛はなんの見返りも受けない。ただ都合のよい時だけ愛され、そしてまた忘れられる。お前の苦しみをこの人間はちっとも知ろうとはしないではないか」
「知らなくていい。彼の夢を実現するためには、私の苦しみは知られなくていい」
「ますます苦しみは激しくなる。お前は愛の行為で拷問のような苦しみを・・・・」
「この痛みは幻だ。ただ自分が見るだけの幻覚・・・彼には見えない・・・何も怖れることはない」
「幻覚とは思うな、いつかこれは現実となる・・・お前がこの先の土地、神の世界に足を踏み入れるのなら・・・惨めな死が・・・永遠に終わらない苦痛がお前を待ち受けている。プロメテウスと同じに・・・」
「プロメテウスは知っていた。知っていてゼウスを欺き、人間に火を与えた。愛する人間が飢えに苦しみ、寒さに凍え死ぬのを見ていられなかったから・・・・私も同じだ・・・彼を愛しているからどんなことでも・・・・」

私の意識は遠くなった。






「プロメテウスは罰を受けることを知っていた。知っていてそれでも愛する人間が飢えに苦しみ凍え死ぬ姿を見てられずに・・・ヘファイスティオン、今、そう言ったのか」
「アレキサンダー・・・・」
「お前もまた苦しい立場に立たされている。それでも俺と一緒についてきてくれるのか」
「もちろんだよ」
「ともに行こう・・・世界の果てを超えて、ティターン神族が住む世界までも・・・・」

私はうなずいて彼を抱きしめた。私達は今、新しい世界に入ろうとしている。どのような犠牲が出ようとも進まなければならない。



                                                        −つづくー



後書き
 彼らの遠征は途中から人間同士の戦いという次元を超えて別の世界に入り込んでいるのではないかと思います。二人だけが全く別の神話の世界に入り込んでしまって、その中での正義で突き進んでしまい、残酷な行為も正当化できるようになってしまう、そしてますます他の部下達と気持ちが離れ孤立していく、そんな印象を受けました。



目次へ戻る