(39)離別

「フィロタスが率いていた千人部隊はすべてお前に任せよう、ゆくゆくは俺の副官として・・・・」
「私がそのような大役を・・・プトレマイオス、クレイトス、カッサンドラ、クラテラス・・・他の側近達はなんと・・・・」
「他の者の意見などどうでもいい、俺はただお前だけを昇進させたい。俺に次ぐ者として・・・・」
「私の血筋も能力もそれにふさわしくはない・・・・アレキサンダー・・・私を大切に思ってくれるのはうれしい・・・でも私には・・・」
「なぜそうよそよそしいことを言う・・・・もっと近くに来い・・・・」

夜、二人だけで天幕にいれば王と側近としての節度は自然に崩れてしまう。

「いけない、アレキサンダー・・・私達はもう昔のままではいられない・・・王と側近として・・・」
「それはみなの前だけで充分だ。お前のこの頬、潤んだ瞳、何もかもただ俺を受け入れるために・・・」
「そうだ・・・私は君のすべてを受け入れてしまう。でもいつまでこうしていていいのか・・・・」
「永遠に・・・・俺はただお前だけを求めてどこまでも突き進んで行く・・・どこまでもお前を昇進させ、王にふさわしい男に・・・」

彼と唇が重なり、その手が腰をまさぐり始めれば、いやでも私は喘ぎ声を漏らしてしまう。例えその先に拷問のような責め苦が待っていようとも、その苦痛すら心待ちにしてしまうほど、私の体は彼の行為に慣らされてしまっていた。崩れ落ちながらも彼の興奮を高ぶらせ、激しい行為を待ち望む・・・この苦痛こそ私の生きる証・・・赤い血と炎にまみれ、のたうちまわりながら絶叫し、狂気の咆哮をのどの奥から搾り出す。私が醜くのたうつ姿は彼の目には映らず、狂気の咆哮が耳に届くことはない。これらは全て私の幻影なのだから・・・これほど近くで体を重ねながら、私達は最も遠い場所にいて、ただ自らが作り出した幻影と抱き合っていた。





記録に残るような大きな戦いはない。ただ山岳部族との小さな戦いが続いた。人数の上では圧倒的に私達の方が多いが、狭い山道での奇襲攻撃に苦しめられた。殺しても殺しても果てしなく続く攻撃にアレキサンダーの神経は苛立ってきた。

「全軍を先に進めるのは危険だ。千人部隊だけを連れて敵を追い詰めよう。俺とヘファイスティオンが兵を分けて進み・・・」
「それは反対だ。こんな山道ではいつ敵に襲われるかわからない。王は残った方がいい」
「では誰が行く」
「ヘファイスティオンとクラテラスか」
「カッサンドラを加えた方がいい」
「ヘファイスティオンに指揮を任せていいのか」
「今、千人隊を率いているのはヘファイスティオンだろう」
「フィロタスが処刑されたからな、ヘファイスティオンもうまいこと考えたものだよ。ただ陥れるだけでなく自分の手で拷問にかけ、処刑までするとはな」
「まさかそこまでするとは思わなかったな」
「これで敵を一気に蹴散らせば、ますます出世するだろうよ」
「何を話しているんだ!カッサンドラ、クラテラス、前へ出ろ!今何を言ったかもう一度俺の前で・・・」

カッサンドラとクラテラスの二人は前に出た。二人ともうなだれて一言もしゃべらない。大勢の中では本音で話しても、アレキサンダーの目の前では、自分が不利になるようなことは決して言わない。特にその傾向はフィロタスが処刑され、パルメニオン将軍が殺されてからいっそう強くなった。側近との会議は名前だけのものになり、結局はアレキサンダーが何もかも一人で決めるようになってきた。

「何も言わないのか、この卑怯者。お前達はどうせヘファイスティオンの出世を妬んでいるのだろう。ではこうしよう。ヘファイスティオンを隊長として行かせ、クラテラス、カッサンドラの二人は小数の部隊を率いて別の道を行き援護しろ。いいな」
「これで決まりか、結局・・・」
「おい、カッサンドラ、余計なことは言うな、いい考えがある・・・」

クラテラスはカッサンドラに小声で囁いていた。





「アレキサンダー、クラテラス、カッサンドラの二人はあてにならない」

二人きりになってすぐ、私は訴えた。

「そうだろうな、あいつらはお前の援護などするわけがない。だがそれでいい。千人隊はフィロタスがよく訓練した精鋭部隊だ。山岳部族の抵抗など、あっというまに蹴散らしてしまう。その手柄をすべてお前のものにしろ」
「アレキサンダー・・・・」
「俺はわかっている・・・他のやつがなんと言おうとフィロタスもそれを望んでいた。お前のことは俺が一番よくわかっている・・・だが・・・多くの者を納得させ、兵士の心を一つにまとめるためには、具体的に何か示さなければならない。どれほどすぐれた能力があろうと、目に見えなければ誰も信じない。ヘファイスティオン、フィロタスがお前にチャンスを与えてくれたんだよ。お前がパトロクロスとなる・・・」
「パトロクロス・・・・私がパトロクロスとなる・・・」
「そうだよ・・・アキレウスとパトロクロス・・・・俺達の昔からの夢だよ・・・まだ何も知らなかったころからの・・・」





夢は惨めな形で潰された。十日以上にもわたる攻防戦の末、私は多くの兵を失い、自分自身も怪我をして本隊へと連れ戻された。抵抗する部族のうち実際に戦える者がどれだけいるかわからない。女や子供を入れても百人にも満たない者達の抵抗で、千人部隊は百名以上の犠牲者とそれ以上のけが人を出してしまい、撤退せざるを得なくなったのである。指揮官としての私の能力がないのか、敵が地の利をわきまえているからなのか、数倍の兵力を持つペルシャ軍にすら勝つことができたアレキサンダーにとってこれは大きな屈辱であった。ただちに自らが指揮をとって残りの部隊と数人の側近を率いて山道へと入っていった。怪我のため、私はほとんど身動きもできない状態であった。数日後、アレキサンダーはまた多数の死者を出しながらも、抵抗する部族を一人残らず皆殺しにして戻ってきた。

「ヘファイスティオン、お前の敵はとってやった。最後の一人まで皆殺しにした」
「皆殺し・・・抵抗する者の中には女や子供も・・・・」
「当たり前だ。敵は山から石を落とし、道にトゲのある草を置いて馬を止め、ありとあらゆる方法で抵抗してきた。お前も命を落としたかもしれなかった。数が少ないだろうと油断していたのが間違いだった」
「全員殺した・・・・」

私の目にそこでの戦いの様子が思い浮かんだ。広い戦場での兵士だけの戦いではない。そこには女も子供もたくさん混ざっていた。山道で襲われ、村に火をつけ、馬が次々に倒れ、目の前にいる者を片っ端から殺していく悲惨な戦いであった。そこにはイリアスに書かれているような勇ましさはどこにもなかった。理性も秩序も失い、混乱の中でたくさんの兵士を失っていた。

「お前は、相手が女や子供だから情けをかけたというのか!情けをかけて多くの優秀な兵士を失ったというのか!今までお前は俺の側にいて何を見てきた!」
「アレキサンダー・・・」
「これが戦いだ!どんな時でも負けるようなことは・・・命を失うことなど・・・情けなどかけてはいけない・・・お前はパトロクロスだろう?」
「私はパトロクロスには・・・・なれない」
「どうしてなれない・・・今まで一緒に戦って・・・一緒に学んで、訓練を受けて、何もかも一緒だった・・・俺はお前がもう一人の自分、俺がアキレウスの生まれ変わりでお前はパトロクロスの生まれ変わりと信じていた。あるはずだ・・・この胸の奥には燃えるような勇気が、同じ夢が・・・・熱い魂が・・・そうだろう?お前はただ運悪く怪我をしただけ・・・そうなんだよ・・・・」
「私はパトロクロスにはなれない・・・アレキサンダー・・・・今度のことでよくわかった・・・いや、前から自分ではわかっていた・・・私には戦いは向いていない・・・君のような才能はない。私が指揮官になれば兵士を無駄に死なせてしまうだけだ。だからもう出世など望みはしない。ただ君の側にいて、少しでも君の役に立つことができれば・・・」
「触るな!お前の役に立つことってこれなのか!・・・こんなことどんな男でも・・・いや男でなくなった宦官の方がよほどうまくできる。バゴアスは男であることを奪われ、ただこうして他の男の相手になる以外、生きる術がない。高貴な身分に生まれながら奴隷の身に落とされ、何一つ自分の意思で選んで決めることはできない。お前は違うだろう!もう一人の俺なんだよ。欲望の相手をする奴隷なんかじゃない。この手に剣を持ち、胸に勇気を称え、あまたの兵士を導いて輝かしい栄光を掴み取ることができる。お前は神に選ばれて俺の前にきたたった一人の人間なんだよ。フィロタスもカッサンドラもプトレマイオスも違う。神が俺に与えてくれた、唯一の人間がお前なんだ。わかるか、二人で栄光を掴み・・・・」
「アレキサンダー・・・・それはできない・・・」
「なぜできないとあきらめる?どうしてもっと努力しない?・・・・お前はできるはずだ・・・フィロタスを殺すことすらできたのだから・・・」

フィロタスを・・・そう・・・私は彼をこの手で殺した。彼は勇敢だった・・・拷問も死も怖れずに立ち向かっていた。決して目をそらさず、息絶えた後でもその目は開いていた。

「わかっている。フィロタスがそれを望んだのだろう。お前がいたからこそ彼は死を怖れず、それを克服することができた。だが他の誰がそれを信じ、お前の本当の心をわかってくれる。お前の心をわかるのは俺だけでいい。お前は皆から怖れられ、そして皆を導く存在となれ。恐怖をなしに人を支配することはできない」
「私には人を支配する才能などない」
「ならばお前は一生人に支配され、言われるままに人生を送ることを望んでいるのか!奴隷のように!」
「そうかもしれない・・・バゴアスがうらやましく・・・」
「バゴアスがうらやましい・・・・ハ、ハ、ハ、ハ、ハー・・・・お前は宦官の奴隷だったのか・・・今まで俺はお前に何を見ていた。何を見てお前を抱いていた?バゴアスがうらやましい?・・・もう一人の自分と信じていたやつが奴隷をうらやましがるとは・・・・俺はどこまでもお前を昇進させ、王に次ぐ身分の者にしたいと思っていたのに・・・お前を俺と同じ・・・」
「アレキサンダー!信じてくれ!・・・・僕は君を愛している、誰よりも・・・自分自身よりももっともっと君を愛している。僕は戦いで強くない。勇気もない。誰よりも弱い人間だ。こんな風に生まれついた自分がうらめしい。誰よりも君を愛しているのに、役に立つことも期待に応えることもできないなんて・・・何も望みはしない・・・ただ君の側にいて役に立つことができれば・・・」
「役に立つことなど何もない!戦うこともできない人間がなんの役に立つ!・・・お前のことはもう諦めた。しばらく本隊を離れ、パルメニオンがやっていたように後方の救援部隊をまとめてくれ。そこなら人を殺す必要はない。勇気がなくてもただ正確に計算ができれば務まる仕事だ。お前にちょうどいいだろう。千人部隊は少し隊列を変えて他の者に任せる。いいな!」
「救援部隊に・・・・・わかった、そこへ行けばいいのか」
「俺の期待をこれ以上裏切らないでくれ、ヘファイスティオン」
「そこで期待以上の仕事ができるよう努力する・・・・アレキサンダー・・・・わが王よ・・・・」
「王と側近の間柄になろう・・・それが一番よいのかもしれない、お前にも・・・俺にとっても・・・」

アレキサンダーは私に口付けをした。これが最後になるかもしれない口付け・・・

「泣くな、ヘファイスティオン・・・お前は子供のころから泣いてばかり・・・・俺がお前を愛する気持ちに変わりはない。ただこのまま俺の側にいては、お前はますます悪く言われる。命を狙われるかもしれない。だからしばらくは離れた場所で・・・・ヘファイスティオン、最初からわかっていたよ・・・お前は誰よりもやさしいから・・・戦いには向いていない・・・・」
「パトロクロスにはなれない」
「それでいい・・・ただお前が無事でいてくれれば・・・・」
「今度こそ、期待にそえるよう・・・りっぱに務めを・・・我が王・・・」
「二人の時はただのアレキサンダーでいい」

私は軽く会釈をしてアレキサンダーの天幕から外に出た。満天の星空が霞んで見えた。その夜、どうやって自分の天幕までたどり着いたのか、私はそのことをまったく覚えていない。



                                                        ーつづくー



後書き
 この話は途切れ途切れに1年以上続けて書いているので、前の方と辻褄があっていないところもあるし、かなりその時の気分や感情で話を変えてしまったりもしています。それでも読んでくれている方、ありがとうございます。


目次に戻る