(40)哀憐

「ヘファイスティオン様、この狭い山道の途中では、盗賊や部族民に狙われやすく危険でございます。どうかもう少し広い場所で天幕を・・・」
「そうだな、難所で一番狙われやすいかもしれない。だがこの様な場所にこそ、護衛を強化しなくては・・・」
「ここでの護衛は私達に任せて、どうかもう少し山を降りた安全な場所に行ってください。ヘファイスティオン様にもしものことがあれば、私達は・・・」
「こんな頼りない指揮官などいない方がまし、かえって盗賊に襲われた時に足手まといになり、王の怒りをかう、そういうことか?」
「い、いえ、そんなつもりでは・・・」

私は数十人の兵士を連れて、山道を西へ戻った。救援部隊の通る道を守るために、要所要所に兵士を配置し、残りの者はもっとも危険と思われる場所に集めた。数日後には数千人の救援部隊が食料と武器を持ってここへ来る予定である。

「ここ数日、このあたりで何か変わったことはあったか」
「いえ、そのような情報は届いていません」
「では、私もここで寝泊りして待つことにしよう。何か怪しい動きがあれば必ずこの道を通るはず・・・」
「しかし、このあたりでは夜は冷えこみます」
「私はお前達の指揮官だ。同じ場所に寝泊りしないでどうする?」
「は、はい、かしこまりました。さっそく用意させます」

ため息をついて山の向こうを見た。もうアレキサンダーのいる本隊からは遠く離れている。これからはこうして離れた場所での任務を与えられることが多いだろう。私は本隊での指揮官としては不適切の烙印を押されてしまったのだから。フィロタスはどのようにして千人もの隊を自由自在に動かし、さらにアレキサンダーの命令を的確に各隊に伝達することができたのだろうか?将軍パルメニオンの子として幼い頃から訓練を受けてきたのか?いや、訓練なら私も彼とそう変わらぬ年齢から一緒に受けてきた。どこが違うのか?持って生まれた才能、気質、そうしたものが私を戦いの場で震え上がらせ、身動きできなくさせてしまう。ある者には当たり前にできることが私にはできない。そして今の私の役目は、救援隊を無事本隊に合流させる、これが全てである。

「ヘファイスティオン様、天幕の用意ができました。中へお入りください」

14、5歳くらい、まだあどけなさの残る宦官の少年に言われて私は天幕の中へと入った。





「ヘファイスティオン様、お湯は冷たくないですか?」
「少しぬるくなっているようだが・・・」
「もうしわけございません。すぐに熱い湯を用意いたします。しばらくお待ちを・・・」
「待て、外はもう日が暮れている。湯はこれで充分だ」

湯浴みの介助をしていた先ほどの宦官の少年が外に行こうとするのを、私はあわてて引き止めた。

「それにこの場所は冷える。湯はすぐにさめてしまうだろう」
「ヘファイスティオン様にはイスカンダル王と同じ気持ちで仕えるように言われました」

バゴアスと同じ発音で彼もまたアレキサンダーをイスカンダルと呼んだ。彼らにとってアレキサンダーとは発音しにくい名前なのか、それともイスカンダルという言葉に特別な意味が込められているのだろうか?

「王と同じにしろと誰がそう命じた」

少年はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり答えた。

「イスカンダル王様が・・・・そう言われて・・・私を選ばれた時・・・」

しどろもどろの答えであった。無理もない、彼らは少し前まではバビロンでダレイオス王に仕えていた身、私達の言葉を少しでも覚え、決まった言葉を伝えるだけで精一杯なのだろう。

「私になにか至らないことが・・・」
「いや、お前はよくやってくれている。食事も湯浴みの手伝いも申し分ない。私の着替えが終わったら今日はもう休んでよい」
「かしこまりました」





かしこまりました、と言っておきながら、少年はいつまでも私の天幕にいた。私の方をチラチラと見ているが、目が合うと慌ててそらせてしまう。

「どうした?もう下がって休んでいいぞ」
「もうしわけございません・・・やはり私では・・・・」

今にも泣き出しそうな少年の表情にはっとした。彼は待っていたのだ。今までの私はアレキサンダー以外の者と寝ることはほとんど、自分の意志では全くといっていいほどなかった。自分の気持ちも欲望も余りにも一人の人間にだけ向けられていたためか、他の側近や兵士達が、それぞれ気に入りの少年や宦官、女を見つけて子供までできている、という年齢になっても、私にはまったくそういう気持ちは起きなかった。いや、ただ一度だけ、ペルシャの王女、ダレイオス王の娘にそのような感情を抱いたことがあったが、そのことがかえって私に女に対する欲望を感じなくさせてしまっているのかもしれない。私はそれが自分にとってどれほど苦痛を味わうものであっても、やはりアレキサンダーとの行為だけを夢見、それだけが欲望を掻き立てられる全てになっていた。だが、今ここでこの少年を拒んだら、彼を酷く悲しませることになるだろう。

「夜は冷える。もう少し私に付き合ってくれるか」
「は、はい・・・・」

彼はうつむいたまま、そっと私のベッドに滑り込んで来た。おそらく実際の行為は初めてであるに違いない。だがその目的のために去勢され、それのみを望んで生きてきた彼の手は、巧に私の体の欲望を掻き立て始めた。どこを触れば興奮するか、手の添え方は、力加減は、その手は何もかも知り尽くしていた。たちまち体は熱くなり、今までに感じたことのない痺れるような感覚が体中を走った。興奮した私の手は思わず彼の下半身に触れてしまい、あるべきものがない大きな傷跡を感じて手を引っ込めた。少年は小さな呻き声を上げた。

「すまない」
「いいえ、どうか感じるままに・・・・」
「さぞ辛かっただろう・・・いつ頃だ」
「10歳ぐらいの時です。もう忘れました」

私の欲望ははちきれんばかりに膨れ上がってきた。少年をうつ伏せにし、自分の先端をその場所に押し当てた。初めての行為がどれほどの苦痛を伴うものなのか、ためらいは内部のぬるぬるした液体に触れた時、消えてなくなった。懐かしい香の香り・・・アレキサンダーと同じ香油を自らの内部に塗り込んで、彼は待っていたのだった。宦官にとって、王や重要な地位にいる者に愛されることが生きるすべて、私は勢いよく刺し貫いた。微かな呻き声が漏れた。少年の顔は歪み、苦痛を必死でこらえていた。だがその表情が私の官能をさらに呼び覚ましてしまった。小さな体を押さえつけ、懸命の喘ぎ声を大きくさせようと力任せに腰を打ちつけていた。喘ぎ声は悲鳴となり、泣き叫ぶ声へと変わった。アレキサンダーも今頃はバゴアスに対して同じ行為をしているに違いない。これは愛ではない。突き上げるような熱い欲望と、そして宦官の少年に対する憐れみ、そう、憐れみである。彼らは自分で生きることができない。ただ王に、権力者に愛することだけを望む。マケドニアの王にも少年が仕えて身の周りの世話をし、その相手もする習慣があるが、ペルシャの宦官とその意味合いは大きく違う。マケドニアの少年の場合、去勢されるなどということはもちろんなく、王の相手をすることは高い地位を約束された名誉あることであった。アレキサンダーにもそうした目的でたくさんの少年が身の回りの世話をしていたが、バゴアスが来てからは、ほとんど彼一人がその役を独占していた。だが、どんなに愛されて王に気に入られようと、宦官の少年には出世のチャンスはない。ペルシャの王宮にいた時から、彼らは例外として王の政治や後継者争いに口を挟む者もいるが、そのほとんどは、年を取ればすることもなしに、ただむなしく王宮で一生を過ごすだけである。戦いで手柄を立てることも、自らの意志で相手を選ぶことすらできない奴隷の身分。そのバゴアスに多くの人間を動かし、どんな願いでもかなえられるアレキサンダーが憐れみの気持ちを持っても不思議ではない。私の行為が穏やかになった時、少年が激しく泣いているのを見た。

「辛かったか・・・すまない・・・すぐ終わりにする」
「いいえ・・・うれしくて・・・私はバゴアスのように美しくもなく・・・」
「私の目には、お前はとても美しく見える。それにお前は仕事も正確で、気立てもよい。王はそんなお前の態度をよく見ていて、私の世話をするよう命じたのだよ。これからもずっと私に仕えてくれ」

泣きじゃくる少年の髪をやさしくなでた。憐れみの心は人を解き解し、優しい気持ちにさせる。多くの人間を殺し、残酷な場面を見慣れているアレキサンダーはバゴアスを抱くことで、自分の心に憐れみの気持ちが残っていることを確認するのだろうか?私には決して与えることのできない安らぎをバゴアスは与えることができる。何もかも奪われた者だからこそ、与えたい、守ってやりたいと思える強い気持ち・・・私もまたこうした少年に世話をされ、やがては結婚して子を作らねばならない年齢になっているのだろう。愛し方は一つではない。自分のできる役割を果たせば・・・・

「ヘファイスティオン様・・・」

私の欲望が吐き出された後、かいがいしく体を拭こうとする手を握った。

「何もしなくてよい、ただ横になって眠りなさい」
「でも・・・」
「お前の心地よさそうな寝顔を見ながらなら、私も心地よく眠りにつける」

少年を寝かせ、やさしく髪をなでた。いつか自分に子ができた時、同じように隣に寝かせるのだろうか。私の子とアレキサンダーの子、私の子はアレキサンダーの子に夢中になるに違いない。バゴアスもロクサネもアレキサンダーが愛する者すべてを愛して、少しでもその役にたつことができるなら・・・・





「おろかな人間め、お前はそうやって自分の心をごまかす気か?」

突然声が聞こえた。

「どうやら俺の声にも慣れたようだな。驚かなくなっている。お前の心は今どこにある?仲間に陥れられ、追放されてこんな場所で何をしている?悔しくはないのか・・・・あのただきれいなだけの奴隷の宦官がお前の代わりに王に抱かれているのだぞ。嫉妬はしないのか・・・憎しみは・・・・」
「そんな感情はない。バゴアスはよくやっている」
「そうやって自分をごまかしていけばよい・・・お前の体はどうなるか・・・赤い焼き鏝は次はどこに当てられる?お前の体は焼きただれ、酷い苦痛にうなされる」
「それは幻覚だ・・・・幻を恐れたりはしない・・・」
「おお、そうか・・・・おそれるものはないか・・・次はどうなるか・・・・お前の体は・・・・」
「すべては幻覚だ・・・・」

私は隣に寝ている少年を見た。その顔はバゴアスと重なった。

「彼を殺せ!お前の誇りを傷つけ、愛を奪って、ズタズタに引き裂いた者を・・・・」
「殺しはしない・・・」
「いつか彼はお前を殺す。殺さなかったことを後悔する日がこよう。闇の中で裏切られ、悲惨な死を遂げる。その時きっと後悔するだろう」

ブルブル震えながら少年を見た。私の体はうまく動かない。震える手を懸命に伸ばして頭にそっと触れた。

「バゴアス、心配しなくていい。私はお前を守る」



                                                 −つづくー



後書き
 やさしい気持ちを持とうとすればするほど、それに抵抗するもう一つの心も強くなるのではないかと・・・ヘファの初めての体験でもあります。
2006、9、11


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