(43)偵察
アレキサンダーから新しい命令が出された。まだ誰も訪れたことのない、インドという土地への偵察を任されたのである。この命令は本隊に戻り、彼の天幕の中で肩に腕を回し、耳元で吐息と一緒に囁かれた。
「ヘファイスティオン、お前に頼みがある」
「改まってなんだ?わざわざ呼び出してこうして二人きりになって・・・」
「俺はお前を愛している、誰よりも・・・お前をもう一人の自分と信じ・・・・」
「そんなことはわかっている。だから私は君の命令があればどこへでも行く。もう本隊から離れて行動することには慣れた。君の側にいないことにも・・・」
「あの宦官はどうだ?お前によく尽くしてくれるだろう」
「ああ、よく尽くしてくれている」
彼のゴツゴツした傷のある手のひらが私の体に触れ、秘部へと浸入してくる。滑らかな少年のものとは違う太く節くれだった指が、容赦なく刺激を加え、悲鳴に近い喘ぎ声をあげた。
「我慢しなくていい。もっと声を聞かせてくれ。やっぱりお前が一番だ。バゴアスは何もしなくても俺を快楽へと導いてくれる。だが本当に愛し、共に行けると思えるのはお前だけだ。そのお前に俺は何を命令しようとしているのだ」
「好きなところへ行かせればいい。私の体は君のものだ」
「こうしていると昔を思い出す。まだ何も手に入れていない頃、ただお前を抱いているだけで満ち足りていた」
「今の君は、手に入れられないものはないだろう」
「確かにそうだ。でもお前をまだ完全に手に入れてはいない。今、何を考えている、どこに触れれば一番感じてくれる、お前を喜ばせるにはどうしたらいい、不安ばかりだ」
「私の方がよほど不安だ。君の力は日増しに強くなり、私からは遠ざかっていく。もう追いつけないと思うことがある」
「遠くなるわけはないだろう。俺達はいつも一緒なのだから・・・」
結ばれる時、私はいつも激しい痛みを感じた。のた打ち回るような痛みの中、彼の腕に抱きしめられながら私は懸命に彼の声を聞こうとした。激しい動きに声を殺して泣きながら、彼の声に耳を傾けた。王として遠く隔たってしまった私達は、もはやこうして体を重ねる以外に真実の言葉を話すことができなくなっている。
「ヘファイスティオン、お前を離したくはない。だが、お前を昇進させるためには、これが一番よい方法だ。インドへ偵察に行ってくれ」
聞きなれない言葉に私の体は固くなった。インド、偵察、確かにその名前の土地が私達の行き先に繋がってはいる。だがそこは土地の名前を聞く以外、何一つその場所のことなど聞いたことのないところであった。
「インド、偵察・・・・それが君の望みなのか」
「まだ誰も訪れたことのない土地だ。お前が務めを果たしてくれれば、お前を昇進させるのにどこからの文句もでない。バゴアスもそう言っていた」
「バゴアス・・・彼に政治のことなんか・・・・」
「よくわかっている。彼はただ見た目が美しいだけではない。ペルシャの王宮で、様々な陰謀や策略に取り囲まれて生きてきた。マケドニアとは比べ物にならない。彼が言うには、誰かを昇進させるには、それに見合う家柄か手柄が絶対に必要で、それ以外の理由で昇進させたら、必ず反発が起こるというんだ。父上もバゴアスのような宦官を一人持てばよかったんだ。そうすれば誰を昇進させるか適切なアドバイスをもらえたし、多くの小姓をとっかえひっかえ連れ込んで問題を起こすこともなかった。小姓は少し寵愛を受けるとすぐにでも一族みんなが昇進できると思い込むところがある。他の者が取り立てられると嫉妬に狂い、挙句の果てにはパウサニアスのように王の暗殺ということまで・・・もし父上が宦官を使っていたら、決して暗殺はされなかっただろうな」
「宦官・・・バゴアスをそこまで信頼しているのか・・・」
「子を作る望みを絶たれた彼らには、野心というものが全くない。ひたすら純粋に主君のためだけに尽くす。お前も宦官を使ってみてそのよさがわかっただろう。小姓は信用できない。いつその家族のために裏切るかわからないからな」
「アレキサンダー、パウサニアスは特別だよ。普通は王に対して刃を向けるなどということは・・・」
「そうでもないさ。マケドニア王家の中で、長生きをして病死した者は数えるほどしかいない。後は暗殺されたり、処刑されたり、追放されたり・・・・そんな者ばかりだ。父上が昔俺に言っていた。誰も信用してはいけない。たとえそれがベッドで愛し合っている時でも、手の届く範囲に必ず短剣を置いておけと・・・その意味が最近になってよくわかった」
「私も疑っているのか」
「お前を疑うわけないだろう。もう一人の自分を・・・・お前とバゴアス、信じられるのはたった二人だけだ」
彼の腕がきつく私の体に巻きつき、私達の体はさらに深い場所で繋がれた。だが、私の思考はバゴアスという言葉の周りをまわっていた。宦官で家族を失っている彼は、確かに一族のためにという野心は持たないだろう。だが、彼らには別の野心がある。子や家族をもてない彼らは、自分が王や権力者に愛されているということに全てを賭ける。他の望みを絶たれているからこそ、もし本気で主君を愛した場合、狂おしいほどのものになるのではないか。私の宦官、まだあどけない顔をした少年ですら、私が死ねば後を追うときっぱり言い切った。ましてダレイオス王にすら選ばれたバゴアスがどれほど高いプライドを持ち、狂おしいほどの愛でアレキサンダーに仕えているかは容易に想像できる。それは一族の出世を願う小姓の野心よりもさらに大きいかもしれない。バゴアス、なぜ彼が私の出世など気にするか。彼の目的はそこにはない。おそらく彼は危険な偵察に行かせれば真っ先に私が命を落とす、とでも考えているのだろう。王を本気で愛せば、私の存在など邪魔でしかない。だが奴隷の身分で王の友人に手をかけるなど、もし見つかれば極刑でも済まされない。それがわかっているから、自分では手を出さずに偵察に行かせることを王に勧めた。
「ヘファイスティオン、俺は今、肉体の一部でお前を感じているのではない。体と心の全てでお前を感じている。バゴアスはよく仕えてくれているが奴隷でしかない。お前だけが、心と体の全てを本当に分かち合うことができるただ一人の人間だ。だから俺はお前と離れていても少しも不安は感じない。俺が生きている限りお前が死ぬなんていうことは考えられないからな」
「アレキサンダー・・・・」
「バゴアスを抱いている時、俺は彼を守ってやりたいと感じる。あいつは何もかも奪われて、奪われ続けて生きてきた。だけどお前は違う。抱いている俺が何か大きなものに包まれ、守られているように感じる時がある。どうしてだろう?お前を抱いていると安心していられる」
「・・・・・・」
「俺は死ぬ時、お前に抱かれて死にたい。ヘラクレスは自ら火葬の薪の上に横たわり、パトロクロスやアキレウスは敵と戦い一人で死んでいった。でも俺は死ぬ時一人でいるのは不安なんだ。お前に抱かれて死ねるなら、きっと痛みも苦痛も恐怖も取り除かれる、そんな気がする」
「君が死ぬなんて考えられない・・・・」
「もっと先の話だ。この遠征で勝利を勝ち取り、二人とも子供を持つ。その子供達を一緒に遊ばせながら、俺達は国作りを考える。俺は王でお前は摂政だ。全てのことをやり終えてお前に抱かれ、眠りにつくことができるなら・・・」
「アレキサンダー、それはもっと先の話だよ。私はインドへ偵察に行けばいいんだね」
「これが成功すれば、お前を摂政に任命することができる」
「私には高い位など必要ない」
「俺のために必要だ。王に並ぶ者として・・・」
「それならば、私は最高の位を得るようにする」
偵察のために私に与えられた隊は少人数ではあったが、医師や学者も同行し、後は騎兵隊の中でも力自慢の男ばかりが選ばれた。そしてその世話をする小姓や奴隷などもそれぞれにつけられた。だが、山を越えてインドという土地に足を踏み入れた瞬間から、ここの敵は人間ではないということを思い知らされた。濁った水を飲んだのがいけなかったのか、兵士の一人が激しい腹痛と下痢に苦しみ始めた。
「ヘファイスティオン様、薬が全く効かず、どのような手当てをしたらいいか見当もつきません。他の者も病気になる可能性があります。先へ進みましょう」
「見殺しにするのか。昨日は水が原因と言っていたが・・・」
「わからないのです。この土地には私の知らない生き物や病気ばかりで・・・長く同じ場所に留まるのは非常に危険です。どうかご決断を・・・」
医師に強い口調で言われた。その男の病状は悪くなる一方で、呻き声を上げ始めたが、それが急に止まった。
「死んだのか?」
「わかりません。そばに行くのは危険です。すぐ離れてください。貴方にもしものことがあったら私は王に極刑にされます」
「まだ息をしているようだが・・・」
「もう無理です。お急ぎください」
病気の男を残して、逃げるようにその場を立ち去った。後ろから声が追いかけてくるようで何度も振り返ったが、そこにあの男がいるわけもない。密林を夢中で走れば冷たい雨が降り、体を濡らした。やっとのことで洞窟を見つけ中で火を焚いて体を温めた。ここで降る雨は勢いが違う。洞窟の奥ではたくさんの蛇が体を丸めていた。
「珍しい蛇だ。壷に入れて持ち帰ろう」
「ヘファイスティオン様、お止めください。蛇は危険です」
私が蛇の一匹を掴むと、そばにいた宦官の少年が怖がって大騒ぎをした。
「怖がらなくてもいい。この種類の蛇に毒はない」
「でも、危ないです・・・」
「大丈夫、アレキサンダー王の母上、オリュンピアス王妃はたくさんの蛇を飼いならし、それを使って呪術を行っていた。彼も私も蛇は子供の頃から見慣れていた。ミエザでは、毒のある蛇の見分け方も教わった」
「危険でない蛇もいるのですね」
「私について旅をすれば、いろいろなことを知ることになるだろう」
少年は怖ろしそうな顔をしながらもじっと蛇を見つめた。その好奇心に満ちた横顔は、ミエザにいたころ珍しい生き物を次々と集めてきた私達と同じであった。
「ほら、あんまり近づくと蛇に噛まれ」
「今、この蛇は危険がないと言われました」
「毒はないが、噛まれることはある。用心した方がいい」
「そこでは、他にどんなことを・・・・すみません、奴隷の私が余計なことを・・・・」
「随分いろいろな種類の動物や花、薬草のことなどについて勉強した。でもこの土地には私の見たことのない生き物がたくさんいる。花も木も、マケドニアのものとはまるで違う」
「ペルシャの物とも違います」
「ここでは誰もが初めて目にする物ばかりだな。アレキサンダーは私に初めての土地を偵察する栄誉をくれた」
「アレキ・・・サン・・・王様がですか?」
「そうだ、お前達の言葉で言いやすいのはイスカンダルだろうけど・・・」
「私も同じ呼び方をします・・・・アレキサ・・・アレサンダー・・・王・・・」
「無理しなくてもいい、寒いのか、震えているようだ」
「すみません・・・」
「こっちへこい。体をよく拭いた方が・・・」
私は少年を抱き寄せ、その体が驚くほど熱くなっていることに気がついた。
「医師を呼んで来い。誰か、早く!」
洞窟中に響き渡る声で私は叫んでいた。
−つづくー
後書き
インドに入る前に確かヘファイスティオンが偵察に行っているんですよね(これどうなのか不安なのですが)都市を作らせたり、偵察に行かせたり、アレキサンダーは戦い以外のことでとにかくヘファイスティオンを活躍させたいと必死だったのではないかなあ、と考えています。出世させて自分に並ぶ者にしたいから。それともバゴアスが陰謀をたくらみ、アレキサンダーに囁いて危険な任務につかせるようしむけたかも・・・とにかく偵察に出かけて、きっといろいろ苦労したと思います。最近ノロウィルスというものにかかってひどく苦しんだので、あの時代に病気になると原因もわからずさぞかし不安になって大変だっただろうなあ、と思いました。
2006、12、13
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