(45)熱病(後編)
「ヘファイスティオン様、しっかりしてください」
「貴方がいなくては、この隊は全滅です」
「やっぱりこれはあのバゴアスが仕組んだことではないのか。これほど病や生き物の危険がある地域にわざわざ・・・」
「おい、滅多なことを言うんじゃない。バゴアスは王の一番のお気に入りだぞ。悪口を誰かに告げ口でもされてみろ、それだけで首が飛ぶ」
「どうせ、もう二度と王に会うことはないだろう。ここで全員熱病にかかって全滅する。どうせならガウガメラあたりで名誉ある戦死を遂げていればよかった。そうすれば、名前が記録され家族に充分な手当てが出たはずだ」
「確かにそうだな。誰がどこでどう死んだ記録に残されなければ、手当てもぐっと減らされる。逃亡したかと思われるかもしれない」
体は熱く、意識は遠くなっていたが、不思議と兵士達の話し声ははっきり耳に聞こえてきた。何かを言わなければならない。彼らを不安にさせない言葉を・・・いやそれよりも前に彼らに私の病気をうつさない方法を考えなければ・・・
「心配しなくてもいい。必ず王の元に戻れるようにする。今までに亡くなった者についても、誰がどこでどのように死んだかきちんと記録をつける。そのためにも私の言うことをよく聞け。これ以上死ぬ者を増やすわけにはいかない」
「しかしヘファイスティオン様、貴方がこのような状態で私達はどうすればいいのですか」
「まずは、全員この場所から離れろ。離れた場所に移動し、すぐに強い酒で全身を清めろ。水を飲んではいけない。食べ物は長時間煮込んで・・・・」
「ヘファイスティオン様・・・・」
「医師は近くにいるか・・・」
「この辺りに薬草はないかと、探しに行っています」
「そうか、では行く方向を書き記して、すぐに出発しろ。全員だ」
「しかし、貴方を一人残していくわけには・・・」
「私にも医学の心得がある。一人で充分だ。早く行け。病が治ったらすぐに合流する。それまで少しずつ前進していてくれ。もし私が追いつかなかったら、この地で病にかかって死んだと王に伝えてくれ。いいな」
「ヘファイスティオン様・・・・」
「この地もただ森に覆われているだけではない。どこかに集落があり、それをまとめる王がいると噂に聞いたことがある。それがどこなのかしっかり偵察し、王に報告してくれ・・・・」
「ヘファイスティオン様・・・」
「早く行け!この偵察の結果で全軍の行くべき道も決まる。そのような大切な仕事を王は私に任された。何があっても任務は果たしたい。よいな、任務を果たすために注意を怠らず・・・」
「どうかご無事で・・・・」
「必ず合流する。早く行け!」
兵士達は素早く荷物をまとめ、従者を引き連れて出て行った。私の役割は終わった・・・崩れるように洞窟の中で倒れこんだ。体中が燃えるように熱く、皮を剥がれたように全身がヒリヒリと痛んだ。私は敷き詰められたマントの上にじっと寝ていることができなくなった。自分の呻き声が数倍大きく自分の耳に戻ってきた。ゴツゴツした岩肌を転げまわって叫び、意識を失うといったことが続いた。またあの声が聞こえた。いつも私を惑わすあの声が・・・・
「愚かな男だ・・・ただ同情で寝てやっただけの宦官の奴隷のために命を落とすとは・・・見捨ててさっさと始末しておけばよかったのに・・」
「そんなことはできない。彼は心の底から私に尽くしてくれた」
「奴隷など主人に尽くす以外に生きる道はないだろう。もっとももう一人の宦官は少し違うようだがな。あれは王に愛され、奴隷であることをすっかり忘れている」
「バゴアスのことか」
「わかっているんだろう。彼が王にいろいろな言葉を吹き込み、この危険に満ちた土地にお前を来させた」
「わかっている・・・・・うわーあああー・・・」
私の喉は奇声を発し、体は大きくのたうっていた。激しい痛みにただ呻き声をあげるばかりである。
「苦しめ、苦しめ・・・あの宦官を恨み、苦しみながら死んでいくがいい」
「うわーあああー」
激しい痛みの後、意識は遠くなっていった。
誰かが私の体をそっとなでているのを感じた。小さな少年の姿が見えた。誰かの従者がまだ残っていたのだろうか。
「ここで何をしている。なぜみんなと一緒に行かなかった・・・・お前!無事だったのか。生きていたのか!」
私に仕えていた宦官の少年だった。だが手を伸ばしてもそこにあるはずの体に手は届かない。
「お前もまた、熱にうなされた私が見ている幻覚なのか。だけどお前が来てくれて、他の幻覚を見るよりはうれしいよ」
彼は黙って私の体に手を触れていた。幻覚であるはずの手が触れた場所に、かすかに温もりを感じた。
「ずっとそうやっていてくれたのか。おかげで少し楽になった。すまなかった、お前を危険な地に連れてきて、死なせてしまって・・・それでもお前はこうやって私を心配して来てくれたんだろう。うれしいよ。随分痛みが和らいできた」
彼は微笑んだ。その笑顔は初めて抱いたときに見せたのと同じような恥ずかしそうな笑顔であった。まぶしい光が見えた。洞窟の中に光が差し込んでいた。少年の姿はもうどこにも見えない・・・
「ヘファイスティオン様、ご無事で何よりです。遅くなって申し訳ありません。やっと病に効くという薬草を持って来ることができました」
目の前に医師が座っていた。私は体を起こし、洞窟の入り口を見つめていた。
「朝になったようだな」
「はい、遅くなってすみません。やっと集落を探して、村人に薬草の生えている場所を教わったのです。この土地で見つけたものです。きっとこれで回復・・・でもヘファイスティオン様はすっかり回復されているようですね」
「そんなことはない。薬を調合してくれ」
「はい、ただいますぐに・・・さきほどここへ戻って来たときに、ちょうど朝日があたっていたからでしょうか、貴方の顔がまるで神のように光輝いて見えました。それになんと穏やかなやさしい表情で・・・・」
「神が私の枕元に現れ、病を癒し励ましてくれた。これはよい前兆だ。薬を飲み終えたら皆のいる場所に向かって出発しよう。それからお前が行った集落へ案内してくれ。薬草だけではなく、この土地についてあらゆることを知った上で先に進まなければならない。これ以上犠牲者を出すわけにはいかないからな」
「ヘファイスティオン様・・・・・」
私達はいくつもの集落を周り、森の中を旅して様々な情報を手にいれた。インドという名のこの地方には、ペルシャのような大帝国はないが、いくつかの場所に分れてそれぞれ王が支配し、王の権力が想像以上に大きいことを知った。この国でしか育たない植物や香辛料、そして像という巨大な動物の牙を使っての細工物で、他の国と貿易をして富栄えているらしい。だがその富は王が独占し、村人は危険な動物が多く熱病にかかりやすい森の近く、あるいは砂漠のような場所で暮らしていることが多い。数ヶ月かけてこの地方を詳しく調べ、数人の兵士と従者をさらに病や毒蛇、未開の土地の人間からの攻撃などで失いながらも私達は偵察を終え、またもと来た道を同じようにもどってアレキサンダーの待つ本隊へと戻った。
−つづくー
後書き
「神話〜」の方でまとまって話が思い浮かんだので、この話ばかり更新しています。あと1話で区切りがつくので、それが終わったらまた別の話を更新します。
2006、12、19
地図をよく見たらアレキサンダーの遠征ではインドは北部の方だけに行き、最後にインダス河を下って海へ出たと書いてあったので、慌てて船で戻ったという部分を訂正しました。もっと南の方まで行っていた気がしていたのですが、実際は北部だけで戻ったようです。
2006、12、22
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