(50)狂宴

その宴は密林の行軍での不満や鬱憤を晴らすかのように大量の酒が運ばれた。ぶどう酒だけでなくこの土地で作られた酒も飲み、みないい気分に酔っていた。苦難の道からの解放、そしてまたこの先どこへ行くのか先のわからない不安、私もまたかなりの酒を口にした。広間の中央では余興の踊りが始まった。洞窟でうずくまっていた時、不安でいっぱいの子供のようだったバゴアスはほとんど何も身につけず艶かしい体を曝し、体をくねらせて踊った。ランプの明りと異国の聞いたこともない音楽、彼の踊りは見ている者を妖しい気分にさせた。アレキサンダーは皆の視線がバゴアスに注がれているのを感じ、満足げに頷いた。誰もが、私でさえ彼に欲望を覚えたが、彼以外誰もバゴアスに触れられない。

「ああ、バゴアスは目の毒だな。お前のような受身の人間まで欲情するのか」

クレイトスが私の耳元で囁いた。

「俺もお前と同じだ。かっては王の前に跪き、自分の体を差し出すことにこの上ない喜びを感じていた。だが、フィリッポス王は亡くなられた。王位を狙う者の陰謀によって・・・・」
「クレイトス、何を言う。フィリッポス王の暗殺はパウサニアスの個人的な恨みからだ。アレキサンダーやオリュンピアス王妃様には全く関係ない」
「お前はアレキサンダーの親友だからな。王を信じ、自分を犠牲にしてでも仕えるつもりだろう。あのバゴアスだって、お前が捜しに行かなければ今頃はもう森で獣の餌食にでもなっていた。アレキサンダーはさぞかし喜び、お前に褒美を与えただろう。ほら、見てみろ、口付けしているぞ」

ちょうど踊りが終わり、アレキサンダーが中央に進んでバゴアスを抱きしめ、口付けをしているところだった。アレキサンダーの目に周りに座る私達は見えてなかった。情事を始める前のようにいとおしそうに見つめ、何度も唇を重ねた。

「よくあいつを助けに行く気になったよ。俺だったら絶対そんなことはしない。あのパウサニアスめ、どんな条件で暗殺を引き受けた。あれほどの寵愛を受けながら・・・・計算が狂って逃げ切れなかったけどな。俺は最初からわかっていたさ、あの事件には黒幕がいる。だけど俺は前からずっとアレキサンダーのことを頼むと言われてきた。でなければ誰がこんなところへ・・・・なんだこの酒は・・・・」

クレイトスは飲みかけた酒を床に吐き出した。だが、誰もそれを気にしないほど周りの者も酔っている。

「ロクサネを見ろ、不機嫌そうな顔しているぜ」
「当たり前だ。いくら言葉がよくわからなくても、何をしているか一目でわかるものな」
「あれだけ俺達の反対を押し切って結婚しながら、まだ跡継ぎはできてないんだろう」
「バゴアスに夢中でよかったよ。そうでなければ俺達は野蛮な山岳部族の女から生まれる子供に跪かなければならなかった」
「そもそもマケドニアには王の前で跪く習慣なんてなかったのにな」
「国を征服するたびにそのやり方を取り入れていく」
「言われたとおりにした方がいいぜ。カッサンドラ、お前はアレキサンダーに反抗的過ぎる。傲慢と思われたら最後、フィロタスのように処刑されるぜ」
「わかっているさ、プトレマイオス、俺なんかアンティパトロスの子だから、いつ命を狙われてもおかしくはない」
「おい、ヘファイスティオン、お前ちょっとロクサネを慰めに行った方がいいと思うよ。お前、そういうことも任されているんだろう。バゴアスやロクサネの面倒も見るように。アレキサンダーはよっぽどお前を信用しているんだな。それともお前の体はバゴアスと同じように男としては役に立たないのか。長い遠征の間、お前にだけは一人も子ができてないからな。まさか、アレキサンダーに忠誠の誓いをたてるため、自分で切り落としたとか・・・・・」
「おい、カッサンドラ、いい加減にしろ。ヘファイスティオンがいるからこそ、俺達は助かっているんだぞ」
「それもそうだ」

カッサンドラとプトレマイオスも近くで大声で話していた。酔った勢いで普段なら決して口にしないようなことも平気で話している。

「ああ、たまらねえ、あんな姿を見ていたら我慢できなくなってくる」
「カッサンドラ、外へ出て適当な相手とやってこいよ」
「この場にいないとお咎めを受けないか」
「もう誰がいるかなんてわかってないさ。あ、ロクサネが立ち上がった」
「何かあるぜ、少し離れていよう」

二人は出入り口のそばに歩いて行った。ロクサネは険しい表情のまま、抱き合うアレキサンダーとバゴアスに近づいた。

「あなた、私はもう天幕に戻って休むわ。インドなんてもううんざり、食べ物も道も暮らしている人間もいいところなんて一つもない。どうしてバビロンに戻らないの?バビロンは世界一の街と聞いているわ。こんなところとはまるで違うのよ!」

ロクサネはまだバビロンを訪れたことがない。結婚してからずっと王妃とはいえ彼女は天幕での生活を強いられている。

「ロクサネ、今夜天幕へ行くよ。そこでゆっくり話そう」
「本当に来るのかしら。いつもあなたはその宦官に夢中で私の所へなど滅多に来ない。跡継ぎができないのは私のせいではないわ。汚らわしい、そんな男ではなくなった宦官など寵愛して・・・・彼はもう人間ですらない化け物よ」
「何を言うんだ!さっさと出て行け」
「なんとでも言うわ。マケドニアの王アレクサンダーは、男でもない宦官がお気に入りで、世継ぎの一人も生まれてない。このままではいずれ国は滅亡するでしょう」
「黙れ、出て行け!」
「ああ、出て行くわ。せいぜい宦官と楽しんでらっしゃい。今に後悔する時がくる!」

彼女は侍女達を連れて広間を出て行った。

「申し訳ございません、陛下。私の存在が王妃様を不快にさせたようで・・・・・」
「いや、お前のせいではない。あの女は頭がおかしいのだ。気にすることはないぞ、バゴアス。もう一度お前の踊りが見たい」

バゴアスは周りをゆっくり見て皆の視線を感じ、ゆっくり首を振った。

「わかった、バゴアス、ここにはお前を傷つけようとする不埒な人間ばかりだからな。せっかくいい気分でいたのに・・・・そうだ、クレイトス、お前の剣の舞を見せてくれないか。ちょうどバクトリアの総督に任命しようと思っていたところだ。その祝いも兼ねていいだろう」

名前を呼ばれたクレイトスが前に出てきた。だけどその表情はひどく驚いて不機嫌そうだった。

「ちょっと待った、アレキサンダー、俺が・・・・いや、陛下、私をバクトリアの総督にというのは本気ですか」
「ああ、本気で考えている。バクトリアは広大な地域で、力のない者が治めたらすぐに反乱が起きてしまう。その点クレイトスならどこへ行っても名前が知れ渡っている。よもや反乱を起こそうなどと誰も考えはしまい」
「バクトリア・・・・先の王の命により、ここまで忠実に仕えてきた俺を、そんな辺境の地に追いやるというのか」
「辺境の地ではない。この先インドでの進軍が進めば、バクトリアは大事な中継地点となる。やがてバビロンやペルセポリスに負けない大きな街を建設する。そこでの総督に任命したのだ。これ以上名誉なことはないだろう」
「何が名誉だ。大体インドでの進軍は成功するのか?熱病に倒れ、部族民に襲われ、ヘビに噛まれ、まともな戦闘ではなしにどれだけ多くの兵が命を落とした。もううんざりだ。こんな遠征はさっさとやめてバビロンに戻ればいい。そうすればバクトリアの総督などいらなくなる」
「クレイトス、何を言っている。この先インドではもっと豊かな国がある。財宝が手に入り、兵も豊かになる」
「そしてまたアジア人の兵士が増えるのか。俺達マケドニア兵はどんどん数を減らしていく。戦いで命を落とすだけではない。熱病にかかり、盗賊に襲われ、味方の裏切りがあり今までに何人が死んだ?かわいそうなフィロタスはありもしない罪で拷問されて殺され、パルメニオン将軍まで殺すよう俺は命じられた。彼は俺との再会を心から喜び、少しも疑ってはいなかった。そこまでして進んできた結果がこれなのか。国とは名ばかりの領主の城で狂宴を行い、人前で淫らなアジア人の踊りを見せ、アジア人の将校が笑っている。マケドニアはどこへ行った?フィリッポス王は決してそんな王ではなかった」
「私はもう父上を越えた。父上のなしえなかったペルシャ遠征を成功させ、さらに遠くへ進んだ」
「もし、フィリッポス王の暗殺さえなければ、俺達は今頃マケドニアで名誉ある豊かな暮らしができたはずだ。王位を狙う者の陰謀でマケドニアは変わった。こんな地の果てまで遠征し、サルやヘビと一緒に寝て、アジアの女を抱くようになった。いつになったらマケドニアに戻れる。俺達は生涯純粋なマケドニアの血を引く子は持てずに、遠い異国で死ななければならないのか。こんな狂った男を王としたばかりに・・・・」
「クレイトス、私は狂ってなどいない。今の言葉を取り消せ!さもなくばバクトリア総督の地位を取り上げ、お前を我が軍から追放する」
「総督の地位など欲しくはない。ほしいやつがいたら誰でも受け取れ。俺はマケドニアに帰る」
「マケドニアに帰れると思うな。お前を反逆罪で捕えて裁判にかける」
「こんな野蛮な場所で裁判か。フィリッポス王が今の俺達を見たらさぞ嘆くだろうな。卑怯な暗殺者がいたばっかりに・・・・」
「私は父上の暗殺など決してかかわってはいない」
「わからないさ、エペイロスからきた野蛮な王妃の血を引いている。エウリディケから生まれた純粋なマケドニアの血を引く子の方が王にふさわしかった。それなのにアレキサンダー、あんたはパウサニアスに暗殺を命じ、アッタロス一族も皆殺しにした。そんな狂った男についてきたのがそもそもの間違いだった」
「クレイトス、今すぐここを出ろ。これ以上言うな」
「ああ、これでマケドニアに帰れる」
「お前を帰したりはしない。クレイトスを捕えろ!反逆罪で裁判にかける!」

アレキサンダーは恐ろしい声で命じたが、誰も動き出そうとはしなかった。

「早く、クレイトスを捕えろ!何故、誰も動かない。お前達はみんな彼の味方なのか!早く捕えろ!」

誰もがアレキサンダーの側を離れた。アレキサンダーはそばに落ちていた槍を手に取った。

「誰も動かないなら、私が神に代わってクレイトスを成敗する!」

恐ろしい唸り声が聞こえた。私は目を閉じた。大きな悲鳴が聞こえ、目をあけるとクレイトスが倒れ、胸を長い槍が貫いていた。そこからおびただしい血が流れ、そばに座り込んでいたアレキサンダーの服を赤く染めた。

「クレイトス、クレイトス!」

アレキサンダーが呼びかけるが返事はない。私はすぐ彼のそばに駆け寄った。

「アレキサンダー、しっかりするんだ。クレイトスは死んだ」
「死んだ・・・・ヘファイスティオン、俺は今何をした?お前は見ていたんだろう」
「クレイトスは無礼なことを言った。制裁を受けて当然だ」
「ヘファイスティオン・・・・今、俺は何を・・・・こんなつもりではなかった。クレイトスは誰よりも頼りになる男だ。だからバクトリアの総督に任命した。俺は間違っていたのか・・・・・うわあああー」

悲痛な叫び声が聞こえた。私は血に汚れた彼を抱きかかえ、頬をそっとなでた。

「君は間違ってはいない。何があっても僕は君の味方だ。誰か、クレイトスの死体を運び出して別の場所で清めてくれ。彼はマケドニア軍の勇敢な戦士だった。その名誉に相応しい葬儀を行わなければならない。それから王の部屋を整えてくれ。私が彼を連れていく。このことが暴動を引き起こさないように、衛兵は見張りをしっかりして、怪しい動きをするものがいたらすぐに報告してくれ。今、アレキサンダーは理性を失っている。私の言葉が王の命令だ」

私の言葉は冷静だった。自分でも驚くほどに・・・・・


                                       −つづくー



後書き
 クレイトス刺殺事件です。この時クレイトスは今までたまりにたまった鬱憤を吐き出してしまい、アレキサンダーを逆上させてしまったのでしょう。クレイトスの言葉は彼一人が考えていたことではなく、多くの側近が感じていたことだと思います。アレキサンダーはクレイトスの言葉や姿に父を見て、それで殺してしまうほどの怒りを感じたのかもしれません。パルメニオン将軍やクレイトスを殺したことには、無意識のうちに父の影響を断ち切りたいという強い願いがあったからかもしれないとも思いました。これで第50話、アレキサンダー生涯は本当にいろいろ書くことがあります。
2007、5、16



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