(51)罪を分かち合う者(**)

クレイトスを殺したことは、アレキサンダーに大きな衝撃を与えた。彼は自分の天幕に引きこもってしまい、外へは一歩も出なくなった。丸一日彼は一度も外に出てこなかった。こんなことは今までに一度もなかった。フィロタスの陰謀、私は彼が陰謀を企んだとは決して思ってないが、その時ですらアレキサンダーが取り乱したり喚いたりということはなかった。だが、今回は時々天幕の中から悲痛な呻き声や啜り泣きが聞こえる。私は離れた場所から彼の天幕をじっと見た。バゴアス一人が中に入ることを許され、彼の世話をしていた。長い間待ち、私は天幕から外へ出たバゴアスを捕まえて話した。

「アレキサンダーの様子はどうだ?」
「はい、昨晩から何も召し上がらず、飲み物もほとんど飲んではいません。少しお休みになられたかと思うと、すぐに起きてしまうのです」
「そうか、ずっと起きていたのか。バゴアス、私が今から行くと伝えてくれ」
「でも、誰にも会いたくないとおっしゃっていました。ヘファイスティオン様、たとえあなたでも・・・・」
「それでも私は行く。いいな、必ず伝えてくれ」

遠くの方でかん高い女の叫び声が聞こえた。

「そこをどいてちょうだい。私はイスカンダルに会いにいくの。私は王と正式に結婚した王妃なのよ。会いに行って当然でしょう」
「待った方がいい、ロクサネ。アレキサンダーは誰にも会いたくないと言っている。もちろんあなたにもだ」
「まあ、カッサンドラ、王の臣下であるお前が私に指図するとは・・・・」
「言葉遣いが気に入らないのなら、丁寧に言い直しましょう、ロクサネ王妃様、陛下のご心労は甚だしく、誰かに会える状態ではございません。どうか回復するまで今しばらくお待ちください」
「誰にも会いたくないと言って、あの奴隷だけは側に置いて・・・・」
「バゴアスは宦官の奴隷です。私達マケドニア人はアテネから来た哲学者の教えを受け、奴隷など動いて言葉をしゃべる道具に過ぎないと教わりました」
「でも、王はあの奴隷をいつも側に置いている。みなの前でキスまでした。私という者がありながら・・・・」
「美しい男を側に置けば、みなが注目し王の権威が高まります。宝玉を身につけるのと同じです」
「ならばあの男、ヘファイスティオンはどうなの?親友というあの男、イスカンダルと特別な関係でしょ」
「ヘファイスティオンのことにつきましては、お、ちょうどいいところに来た。こっちへ来てくれ」

カッサンドラは近づいた私を見て、大声で呼び止めた。

「何を話していた?」
「ちょうどいい。王妃が王に会いに行こうとしていた。お前からも止めてくれ」
「アレキサンダーは誰にも会わない。しばらくそっとしておいてくれ。私が様子を見てくる」
「どうしてお前が行くの、ヘファイスティオン」
「私はアレキサンダーの子供の頃からの親友だ」
「でも今は臣下の一人に過ぎない。そこをどきなさい、ヘファイスティオン。会いに行くのはこの私です」

ロクサネの顔はいつになく真剣だった。まるで今会いに行かなければ離縁されるかもしれないと恐れているようだった。

「ロクサネ様、アレキサンダーは今傷ついています。ここで会いに行かなくても、あなたの地位に変わりはありません。どうか無理に行って、彼を傷つけないでください」
「お前や奴隷はよくても、妻であるこの私が行けば傷つくとでも言うの、よくもまあ、そんなこと・・・・」
「ヘファイスティオン、お前も今は行かない方がいい。バゴアスに任せろ」

カッサンドラが私に言った。

「いや、これ以上待ったら彼の命が危ない」
「お前が行けば、ますます他のヤツらに妬まれるぞ」
「カッサンドラ、自分がどれだけ妬まれ、嫌われているかぐらい、私自身が一番よくわかっている。それでいい、私は行く」
「なんて男かしら・・・・自分が一番愛されているというあの自信」
「ヘファイスティオン、お前は間違っている」

ロクサネとカッサンドラの声が後ろから聞こえてきたが、私は真っ直ぐアレキサンダーの天幕へと向かった。





アレキサンダーの天幕の入り口に立った時、バゴアスが中から出てきた。

「申し訳ございません、ヘファイスティオン様、王は誰にも会いたくないと・・・・」
「わかった、バゴアス、お前はしばらくの間自分の天幕に戻っていろ」
「でも、王が・・・・」
「私の言葉は王の命令と同じだ。早く行け。呼びに行くまで決してここに近づいてはいけない。アレキサンダーと二人きりで話がしたい。わかったな」
「はい・・・・」

バゴアスは歩いていった。その後姿がすっかり見えなくなってから、私は天幕の中に入った。

「バゴアス、喉が渇いてきた。早く飲み物を・・・・ヘファイスティオン」
「アレキサンダー、昔の君は自分のことはすべて自分でやっていた。今はバゴアスがいないと水も飲めないのか」
「誰も中に入れるなと・・・・なぜ、入ってきた?」
「声がかすれている。アレキサンダー、私が水を飲ませてもいいか」
「バゴアスの代わりをするというのか」
「アレキサンダー、大きな声を出さなくても聞こえる。戦場で、あれほど大きな声で指揮をとっていた君が、こんなにやつれて、かすれた声で話し・・・・」

私は彼のそばに行き、カップに水を注いだ。

「さあ、飲んでくれ」
「この水に毒が入っているかもしれない」
「それなら私が先に飲む・・・・大丈夫だ、毒は入っていない」
「フィロタスを信じていた。あいつは面倒な仕事も率先してやってくれるようなヤツだったから、重大な任務をいつも任せていた。それなのにいつの間にかパルメニオンと謀り、俺を殺して王位を奪おうと・・・・」
「アレキサンダー、あの事件、本当にフィロタスが悪いのかどうかわからない。でも、フィロタスはもう処刑された」
「フィロタスは無実だよ。あいつの地位を狙っていたヤツはたくさんいた。俺はそんなことも気付かずにあいつを拷問しろと命じた。同じミエザで学び、子供の頃からの友達だったのに・・・・クレイトスだってそうだ。子供の頃、剣術も弓の使い方、馬の乗り方、全部クレイトスに教わった。父上が一番信頼できる部下だと、しょっちゅう自慢していた。ガウガメラでは命を助けられた。それなのに、俺は怒りにかられてクレイトスを殺してしまった。俺の心に狂気が宿り、この手で殺したんだ」

私はアレキサンダーの手を握り締め、口にカップの水を含ませた。

「アレキサンダー、よく聞いて。僕のこの手も血で汚れている。戦場で数え切れないほどたくさんの敵を殺し、フィロタスの息の根を止めたのも僕の投げた槍だ」
「お前は少しでも楽に死なせてやりたかったのだろう。俺がクレイトスを殺したのとは違う。俺は傲慢な人間で、怒りにかられて大切な人間をみなの前で殺した。もう誰も俺のことを信用したりはしない」
「君は王だよ、アレキサンダー。神の子だって、時には狂気にかられ、罪を犯してしまう。ヘラクレスは自分の子供を殺してしまった。偉大な英雄ほど、神に妬まれ大きな罪を犯してしまう」
「俺はヘラクレスにも匹敵するほどの英雄なのか。だから気が狂って罪を犯しても許されるのか」

彼の声は震えていた。体もガタガタ震えている。私は彼を服の上から抱きしめた。懐かしい香り、この前抱かれたのはいつだったのか。

「アレキサンダー、フィロタスが殺される前の晩、僕は彼に抱かれたよ。酷い拷問を受け、彼の体は血だらけだった。死の恐怖と痛みと悔しさでフィロタスは震えていた。僕はその全てを体で感じながら、どうすることもできなかった。そして彼は僕が槍を投げろと言った。お前の投げる槍なら少しも怖くはない、最後まで目を開けて見ていられると・・・・言葉どおり、目を開いて死んでいた」
「ヘファイスティオン、なぜ今その話を・・・・」
「君には黙っているつもりだった。僕は何人かの男に自分の意に反して犯された。だけど自分から許したのは君以外彼だけだ。自分で自分に言い訳をした。僕が愛しているのは君だけだ、彼を愛しているわけではない。ただ、死を目の前にして震えている友人をほんの少しでも慰められるなら、それは君への裏切りにはならないだろうと。だけど、フィロタスが死んだ後、僕は彼を恨んだ。死んでしまった者はそれで終わりだ。でも僕は彼に抱かれた時感じたことも、自分の手で友人を殺した罪も、ずっと一人で背負わなければならない。フィロタスは僕のこと好きだと言ってくれた。でも愛しているなら、どうして他のヤツを選ばずに僕にすべてを背負わしてしまう・・・・自分の痛みは忘れても、抱かれて感じた人の痛みは決して忘れない」
「ヘファイスティオン、すまなかった。俺はお前の苦しみなど少しもわからず、ただミエザのことは思い出したくないからと、お前も含めたあの頃の友人を避け、バゴアスばかりを側に置いた。何度もお前を抱きながら、お前の気持ちなど少しも考えなかった」
「フィロタスに抱かれたのはたった一度だけだったから、あの晩、彼は僕に全てを伝えようとした」
「あいつはお前にすがり、それで救われた。お前が後でどれだけ苦しむかなど考えもしなかった。結局死の恐怖に負けただけだ。愛ではない」
「そうかもしれない。彼は必死で僕にすがりついてきた。でも、今になって僕はフィロタスに感謝している」
「なぜ感謝する。お前はもうあいつのことは忘れた方がいい」
「アレキサンダー、人間は神とは違う弱い存在だ。少しの痛みで呻き声を上げ、死の恐怖に震え、少しのことで狂気にかられ、大きな罪を犯してしまう。神とは違う弱い存在であること、フィロタスはずっと僕に教え続けてくれた。君もまた神とは違う生身の人間でありながら、それでも君は僕達とは違う英雄として生きなければならない。僕は今、君の苦しみを知り、その罪を分かち合うことができる」
「ヘファイスティオン・・・・」
「フィロタスは僕を愛して抱き、そして苦しめ続けた。でもそれは自分が助かるためだけじゃない。僕が君を支える存在になるために、敢えて僕を選んで殺させた。今ならはっきりとわかる。彼がどんなに僕を愛し、導いてくれたかが・・・・」
「結局俺はフィロタスにかなわないのか。死んだヤツは永遠の命と輝きを与えられる」
「違う、僕が愛しているのは君だけだ。それは決して変わらない」






私は口にワインを含み、アレキサンダーに口付けをして中にその赤い液体を注ぎこんだ。それが始まりの合図となった。私達はもみ合い、体を絡ませあいながら互いの体を温めた。

「ああ、アレキサンダー、もうたまらない。君が欲しい」
「俺は神の子だ。お前にはそれ相応の覚悟が必要になってくる」
「わかっている、ああ・・・・」
「お前は本当に感じやすい。バゴアスは決して感じることはない」
「・・・・・」
「感じている振りをし、声を出しているだけだ。実際には拷問と同じ苦痛かもしれない。余りにも残酷な経験をしているから、喜びを感じることなどできなくなっている。それでもバゴアスは喜んで俺に抱かれ、うれしそうな声を出す。その姿が哀れにも思い、ついついあいつばかりを呼んでしまう。ヘファイスティオン、誰よりも愛する気持ちがありながらそれが苦痛だったら、さぞかし辛いだろうな」
「そうだね」
「俺は怒りにかられて、大切な部下を殺した。いつ、復讐の女神に追いかけられるかわからない」
「君の犯した罪を僕に分けて欲しい。一緒に復讐の女神に追いかけられよう。僕が捕えられ殺されてもかまわない」
「お前が殺されるようなことは決してない」
「アレキサンダー、君のためならすべてを捨てられる。この命さえも・・・・」

私の体の穴にはたくさんの香油が注ぎ込まれ、指が奥まで差し込まれるたびに、気の遠くなるような快楽を味わった。罪も、殺戮も、復讐も狂気も恐くはない。香油は体の奥にも染み渡り、官能的な匂いがたちこめた。指だけで快楽にのた打ち回る私を見て、アレキサンダーはうれしそうに頷いた。目を閉じ、体の感覚にだけ身をまかせても、彼の動きははっきりわかった。やがて、私の体は押し開かれ、彼のものが中へと埋め込まれた。

「うわああー!」

その瞬間、私の体は快楽ではなく痛みにのた打ち回った。体に真っ赤に焼けた金属を差し込まれた痛みが走り、香油は煮えたぎり、私の内壁は焼け焦げて爛れた。これが幻覚だとわかっていても、悲鳴を上げ、体をずらすが、もがけばもがくほど熱い棒は体を内側から焼き尽くすように感じた。

「ヘファイスティオン、お前が喜んでくれてうれしい。こうしていると、フィロタスもクレイトスも俺達の交わりを深めるために死んだようにすら思える」

私の痛みはアレキサンダーには伝わらない。それなのに私の体は彼の安堵と喜びを隅々まで感じてしまう。私がいる限りアレキサンダーが孤独に陥り、狂気にさいなまれることは決してない。私は泣き叫びながらそれが終わるのを待った。意識を失うことはなかった。先に果てた彼は私の腕の中で眠りについた。





「愚かな人間だ。ついには罪までも分かち合おうとしている。お前は彼のように神の子ではない。生身の人間に、神の子が犯した罪まで引き受けられるのか?」
「引き受けられる。彼の全てを・・・・・」
「そう思うがいい。幻覚にも慣れてきたのか」
「何が目的だ。何故私にいつまでも幻覚を見せる。ありもしない痛みを感じさせる」
「幻覚ではない、それはお前の未来だ。その男を愛する限り、お前は最後は裏切られ、敵に渡されて無残な殺され方をする。離れるなら今だ」
「私が敵に殺される運命なら、最後の瞬間まで彼の栄光と心の安らぎを祈り続ける」
「ハハハ・・・・それもいいだろう・・・・」

声は遠くなった。私の腕の中でアレキサンダーが向きを変えた。

「ほら、見て、クレイトス。言われた通りにやったら、こんなに速く馬を走らせることができた。競争してみよう。待って、僕は何もしないよ・・・・うそだ・・・俺がお前を殺すなんて・・・・許してくれ・・・・だめだ、怒りにかられて罪を犯し・・・・助けてくれ・・・・みんな俺を恨んでいるのか・・・・待ってくれ・・・・」
「アレキサンダー、僕は君のすぐそばにいる。だから苦しまないで・・・・最後まで君の栄光と心の安らぎを祈り続ける・・・・」



                                          −つづくー



後書き
 クレイトス刺殺事件、アレキサンダーは大変なことをしてしまったけど、この時やっと二人は本当の意味で信頼関係を築けたのではないかとも思えます。フィロタスを殺したことで苦しみ抜いたヘファイスティオンだからこそ、アレキサンダーの犯した罪さえも背負い、支えることができた、そんなふうにも思いました。
2007、5、22

目次へ戻る