(60)闇に咲く白い花・前編(***)
アレキサンダーは毎晩のようにスタテイラの部屋に通った。ロクサネや他の宦官を相手にすることはまったくなく、私達と酒を飲むことさえ控えていた。美しいペルシャの姫にすっかり夢中になったのか、いや、それだけではない。ペルシャ王の娘との間に跡継ぎを作り、新しい世界を作ることが彼の大きな夢になっていた。そして私は部下の兵士の中からさりげなく自分に似ている者をさがした。今の私に似ていなくてもよい、昔の私に似た顔立ちで目と髪の色が同じ若者、特別な家柄ではなくただ一人で遠征に参加している者ならば最適であろう。その上誠実で口数が少なく秘密を守れる者でなければ困る。戦いはなく、アレキサンダーは兵士達を気軽に王宮に招いては酒を振舞っていた。その中で私は必死に目的に合う若者をさがした。
「ヘファイスティオン、何をキョロキョロしている。ペルシャの女や宦官はみな美しいが、スタテイラ、ドリュペディスの2人にかなう者はいないであろう。お前はあんまり彼女のところに行ってないようだが、それでは俺の子と年が離れてしまうぞ」
「アレキサンダー、まさか・・・」
「スタテイラに子ができたようだ。侍女が俺に今日はどうしても気分がすぐれなくて会えないと伝えてきた。昨晩も顔色が悪かった。バルシネの時と同じだ」
「君はバルシネとの間にも子がいる」
「ヘラクレスのことか。もちろん俺はバルシネもヘラクレスも愛している。だが、バルシネは王妃ではなく捕虜だ。メムノンがどれほど我が軍に損害を与えたか覚えている者は多い。ヘラクレスを正式な跡継ぎにするわけにはいかない。地方の太守くらいにはしてやっていいがそこまでだ。バルシネは賢い女だから自分の分をわきまえている。決して問題は起こさないだろう。気がかりなのはロクサネの方だ。今となってはどうしてあんな女に夢中になって結婚したのかわからない」
「大反対を押し切って・・・・」
「ヘファイスティオン、どうして止めてくれなかった。お前の意見なら素直に聞いたのに・・・・」
「僕も反対した。でも君は聞き入れてはくれなかった。いくら反対したって君は人の意見なんか聞かず、自分の望む方へ走ってしまうよ」
「昔はそうだった。でも今は違う。王として生きてきた俺は時に傲慢になり、周りが見えなくなって多くの過ちを犯した。クレイトス、バゴアス・・・俺の傲慢さがどれだけ多くの命を奪ったことか。お前さえ失うところだった。だから俺は神に誓った。自分の傲慢さを悔い改めるから愛する者を奪わないでくれと・・・傲慢さを失くしたい・・・あらゆることにお前の意見を聞きたい」
「アレキサンダー、君らしくもない」
私に向けた彼の顔は寂しく不安げであった。
「俺らしくない、そうだろうな。バゴアスが死んでから俺は自信というものを失くした。あれだけそばにいつもいて体に触れていたのに、あいつが何を考えていたか気付かずにいた。宦官として王の寵愛を受ければそれで幸せだと考え、あいつの苦しみなど少しも・・・」
「アレキサンダー」
私は周りの目を気にしながらも彼の頬に手を触れ、肩を抱き寄せた。
「バゴアスは幸せだったさ。君を愛し愛されることがどれほど幸福なことか僕はよく知っている。たとえどんな惨めな死が待っていようとも、君と出会えた喜びを忘れることはない」
アレキサンダーの肌の温もりを感じる。荒々しい息遣いも服を通して伝わる。ただこの一時が私にはどれほど幸せなことか。
「俺は今幸せだ。スタテイラとの間に子ができて新しい世界を作り出そうとしている。こんな素晴らしいことはない。それなのになぜかこの幸せが崩れ落ちそうな妙な胸騒ぎを感じる」
「君はずっと戦いの中で生きてきた。だからこんな時不安を感じるんだよ。怖れることなど何もない。君はマケドニアやペルシャといった一つ一つの国を治めるだけではない、全世界を治める王になろうとしているのだから」
「そうだな、その夢をかなえるためにはお前とお前の子も必要だ」
急がなければならない。私はかねてから目をつけていた若者を自分の部屋に招きいれた。自分とよく似た顔立ち、面倒な親兄弟と一緒ではなく一人で遠征に参加している者、そしてできれば今までまったく経験のない者を選びたかった。
「ヘファイスティオン様、私のような下級の兵にどのようなお話でしょうか?」
「緊張しなくてもよい。お前にとって悪い話ではない。言ったとおりのことをしてくれ、秘密を守ってくれるならば望むものを何でも与えよう。一つだけ聞きたいことがある。お前は今まで道端に咲く白い花を手折ったこと、あるいは白い花を贈られたことはあるか?」
「白い花ですか?」
彼はしばらく考え込んだ。そしてゆっくり答えた。
「今まで花を手折るなどという余裕はまったくありませんでした。行軍ではついて行くのがやっと、花など見てはいませんでした。もちろん花を贈られたこともありません」
「そうか。だがその花が大切な者が死の間際に見たとなれば話は違ってくるであろう」
私は立ち上がり、ドリュペディスが渡してくれた白い花の入った小箱のふたを開けて彼に見せた。
「この花は以前私がペルシャの王女ドリュペディスに渡した。ペルシャ王が死んでいたすぐ脇に咲いていた花だ。彼女はそのことをずっと覚えていてくれた。この花のように美しく清らかな王女だ。どうか大切に扱ってやってくれ」
「ヘファイスティオン様、何をおっしゃっているのか私にはさっぱり・・・」
「私の代わりにドリュペディスを抱いて欲しいと命じているのだ。私はもう子ができぬ体だ。このことを誰にも漏らさず、言われたとおりのことをしてくれたら望むものを何でも与えよう」
「しかし、なぜ私のような者を・・・・」
「お前の目を見て決めた。頼んだぞ。私が命じた日に彼女の部屋に行ってくれ。手はずはすべて整えておく」
「お許しください。私のような者がヘファイスティオン様の代わりなど・・・」
「お前しかいない。これは宰相の命令だ。断ったり他に秘密を漏らすようなことがあればお前の命はないと思え」
「かしこまりました。おっしゃるとおりにいたします。どうか命だけは・・・・」
「わかっている。今まで数多くの誘惑があったであろうに、よくそれを振り切ってくれていた。悪いようにはしない」
「わかりました。ではご命令のあった日に・・・・失礼します」
若者は出て行った。彼の座った椅子に香のよい香りが残っている。身分が低い下級の兵士であっても、私に呼ばれて部屋に入るということで精一杯気を使ったのであろう。自分によく似た顔立ち、体つきの若者、その体に戦いで受けた傷はいくつかあったが、拷問の痕などもちろんない。若々しい肉体、まだ一度も花を手折ってない体は清らかで精気に溢れている。どのように彼女を抱くのであろうか。私がどれほど望んでも手に入れられないものを彼は簡単に手にいれる。どれほど望んでも・・・
「ヘファイスティオン様、やっと思い出してくれましたね」
「その声は・・・・バゴアス」
「どれほど望んでも手に入れられない、それがどういうことなのかようやくあなたにもわかってもらえます」
「バゴアス、私はお前の苦しみはよくわかっているつもりだ。だが私はお前とは違う。愛する者を不幸にはしない」
「愛する者、イスカンダル王、私とあなたは同じ人を愛し、同じ苦しみを分かち合った。だからあなたは私と同じことをする。私とあなたは死の国ですれ違った。どちらの魂が死の国へ落ち、どちらがこの世界に戻ってくるか、どちらでもよかったはず。私とあなたの魂は同じ・・・」
「バゴアス、お前はもう死んだんだ。死の国へ戻れ」
「そう、確かにバゴアスは死んだ。だが本当に生き残ったのはどっちだ。愚かな人間はそんなことも気付かないでいる」
「誰だ?」
「全てをつかさどる神とでも答えておこうか。愚かな人間よ」
その日が来た。私は一人でいることに耐えられず、アレキサンダーの部屋へと向かった。ここ数日スタテイラの体調がおもわしくないということで、アレキサンダーもほとんど自分の部屋にいた。集団結婚式の日以来、彼がロクサネの部屋を訪れることはまったくなくなった。後継者はペルシャの王女に生ませると決めているのであろう。
「ヘファイスティオン、いいところにきた。スタテイラはずっと調子が悪くいつも吐いてばかりいるそうだ。俺は女ではないからよくわからないが、子を身ごもるとはそういうことなのか?」
アレキサンダーは微笑みながら私に問いかけた。なんて穏やかで優しい笑みを浮かべているのだろうか。彼の目にはもうこれから生まれてくる赤ん坊の顔まで見えているようだ。
「僕には全く経験がないからわからないよ。君にはヘラクレスもいるじゃないか」
「もちろんヘラクレスのことは大切にしてやる。だが、マケドニアとペルシャ王家の血を持つ子が跡継ぎとして生まれてくるのだ。興奮せずにはいられないだろう。お前のところはどうだ?ドリュペディスとはうまくいっているか?」
「もちろんだ」
「本当はあの時すぐにでも手に入れたかったのだろう。長い間待たせてすまなかった。だがその彼女のところにいかないということはもしかしたら・・・・」
「まだはっきりとはわからない。体調がすぐれないとは聞いたが・・・・」
「吐き気はあるのか?なるべく体にいいものだけを食べさせるよう侍女に命じろ。それからペルシャ中を探してよい医者を連れてこなければ・・・・忙しくなるぞ」
「アレキサンダー、まだはっきり決まったわけじゃない」
「間違いないさ!」
彼は私に抱きついてきた。かってのような前儀ではない。喜びを抑えきれない表情、興奮、それでも体を撫であう間にしだいに昔の情熱を取り戻してきた。その勢いで彼は私をベッドに押し倒し、服を剥ぎ取って早急に私の体をむしゃぶり始めた。
「待って、アレキサンダー。僕達はもう・・・・」
「お互い父親になるのだから、昔のような交わりはやめろと言いたいのか。お前は狡猾な男だ。俺を煽り、どこまでも欲望を高めてくれる」
「あ、アレキサンダー・・・僕は・・・・」
「わかっている。久しぶりだから無理はさせない。だけどお前だってほら、こんなに欲しがっているぞ」
「ああー・・・・・つうう・・・・痛い・・・・ああああー」
かっての拷問の記憶はほんの少しの刺激でも熱い棒を差し込まれたのと同じ痛みを感じさせた。私は体を捩り目を閉じた。唇を噛み、拳を握り締めた。アレキサンダーに痛みをわからせてはならない。熱い棒は容赦なく私の体を貫き、内側の皮膚を焼き剥がしとっていく。呻き声が漏れ、必死にシーツを掴む。体中が熱い。後どれほど耐えねばならないのか。
「やっぱりお前の体は最高だ。昔と少しも変わらずに俺を締め付けてくれる。だけどお前は・・・・少しもたっていなかった・・・」
「悪い、疲れがたまっているようで・・・・」
「はっきり答えてくれ。俺に抱かれてお前は本当に感じているのか?拷問され、犯されたから俺との行為すら苦痛に感じているのか?」
「そうかもしれない」
アレキサンダーの顔が苦痛に歪んできた。私は彼の頬をなでた。
「確かに僕は拷問された時に同時に犯された。昔のように君に愛された時同時に果てることはできなくなった。相手が女ならなんでもないが、君が相手だと・・・・僕は君を愛している。君のことを考えると体と心が引き裂かれ、ズタズタにされて気が狂うほどに君を愛している」
「苦痛・・・・なのか?」
「そうではない。君がそばにいることが僕の喜びであり・・・・」
「それならいいが、俺がお前を苦しめているようにも感じる」
「君はアレキサンダーだ。神の子として生まれ、マケドニアの王子から世界の王になった。ヘラクレス、アキレウス、ディオニュソス、神の子はみなこの世界で大変な試練を与えられた。僕はただそんな君のそばにいるだけでいい」
「お前自身はどうなんだ。それで幸せなのか?」
「快楽は得られなくても、それ以上のものを君から与えられているから」
もう一度私はアレキサンダーの体にむしゃぶりついた。彼はすぐに熱を取り戻す。あの若い男も今頃ドリュペディスを相手に同じことをしているのだろうか。嫉妬で一人狂いそうな夜を過ごすよりは、愛する者に身を焼かれる方がましであろう。私は足を大きく広げ、アレキサンダーの前に横たわった。彼の手による愛撫はプロメテウスの肝臓を喰らうワシの嘴にも感じるだろう。だが私はその手をそっと握った。プロメテウスもまた自分の内臓をついばむワシの頭にそっと手を触れいたわったに違いない。
−つづくー
後書き
今回、1日では時間が足りず(書いている途中で仕事に行かなければならない時間になった)2日に分けて書いて、さらにそれでも考えたことまで書けずに前編、後編に分けました。ヘファイスティオンを書くときによく思い浮かべるのはプロメテウスの神話です。彼は残酷な罰を受けたけど、それでも人間を愛してその繁栄を喜び、苦痛を与えるものに対してすら慈しみをもてたのではないか、などと考えています。
2008、7月7日、8日
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