(62)疑惑の渦(*)

ドリュペデスが見知らぬ男に襲われ自ら命を絶ったという話はすぐにアレキサンダーにも伝わった。彼は血相を変えて私の部屋に飛び込んできた。

「ヘファイスティオン、お前と2人だけで話がしたい。すぐに人払いをしてくれ」
「わかった。でも何をそんなに急いで・・・・」

私は周りにいた者達を別の部屋へと行かせた。

「ヘファイスティオン、やっぱり俺にはお前が一番だ。アキレウスの血を引いている俺はどんな美女よりもたくましい男の太腿に興奮するらしい。お前の肌に触れ激しく締め付けられたいと体が疼いている」
「アレキサンダー、今の僕はとても・・・」
「話を合わせろ。寝台で詳しく話す」
「待ってくれ、いきなりそんなところを触られたら僕はもう欲望を抑えることができない。こんな時にそんなことをしたら・・・ああー・・・ふしだらなヤツだと思われる」
「何をいまさら・・・俺は気が短いんだ。さっさと寝台へ行って四つん這いになれ。王の命令を聞けないやつはどうなるか思い知らせてやる。はは、震えているのか?30を過ぎいくつもの戦場を駆け抜けた男が震えながら待つとは・・・」

私は言われるままに服を脱ぎ寝台の上に横になった。毛布を手にしたアレキサンダーが隣に滑り込み、私は身構えた。だが彼は私の体に毛布をかけ背をさするだけである。

「芝居はもういい。誰にも聞かれないようにしてお前と話がしたかった。ドリュペデスのこと、さぞ口惜しいだろう。泣きたければ泣いてもよい」
「大丈夫だ、アレキサンダー」
「誰がこんな卑劣なことを・・・いや、大体想像はつく。俺とお前の子が生まれれば2人が王と宰相になり権力を独占してしまう。それがおもしろくないヤツが呪いをかけてスタテイラの子を殺し、さらに男を使ってドリュペデスを襲わせた。その若い兵士はお前と背丈や顔立ちがよく似ていたと聞いた。それならば暗いときなら見張りや侍女の目を誤魔化して彼女の寝室まで行ける。手の込んだことをするものだ。
そこまでして子が生まれるのを阻止しようとするヤツは限られている。一番怪しいのはロクサネだ。ロクサネは自分より遥かに高貴なペルシャ王家の血を引くスタテイラとドリュペデスをさぞ恨んでいるに違いない。他にはプトレマイオス、カッサンドラ、ネアルコス、エウメネス・・・疑おうとすればいくらでもいる。だが彼らはみな頭がよい。あの男を後ろで操ったのが誰か、どうしたら白状させることができる」
「それは無理だ・・・直接手を下した男はもう殺された」
「用心深く顔を火で焼かれてな。あの日の見張りに手引きをした者がいたのだろう。父上が殺された時もそうだった。パウサニアスは父上のお気に入りだったから何の疑いもしなかった。年端もいかない子供の頃から王宮に引き取ってかわいがり近衛隊長にまでした男をどうして疑おう?それをつまらぬいさかいを利用して王殺しの罪を犯させたのだ。殺した後はすぐに口封じのため始末した。裏で操っていたのは母上か、それともアンティパトロス・・・・パルメニオンが父上に刃を向けるなどありえないだろう。あれほど父上に忠実だった男はいない。だが、フィロタスは・・・」
「僕は・・・・彼のことは・・・」
「わかっている。お前は無実と信じていた。だからこそ石を投げたのだろう・・・彼は誰かの罠にはめられたのかもしれない」
「アレキサンダー、ドリュペデスのことは残念だけど今回のことはあまり大袈裟にしないで欲しいんだ」
「どうしてだ?俺の子の命を奪いお前の妻を死なせた。王にはむかう大罪、必ず捕えてその罪を償わせてやる」
「それが誰であっても?」
「ああ、ロクサネであろうとプトレマイオスであろうと関わった者はその一族まですべてその命で償ってもらう。フィロタスは無実だった。今ならはっきりとわかる。あの頃から俺を殺そうと狙っていたヤツがいたのだ。いや、もっと前、ミエザの頃から・・・ヘファイスティオン、父上は前に俺を洞窟に連れて行き岩壁に描かれた絵を見せて英雄は孤独だと言った。誰にでも聞いてみるがいい。英雄、そして王は孤独だ。時には愛する者までも殺し、愛する者を奪われて戦い続けやっと栄光を掴んだ時、神は嫉妬して全てを奪い闇に突き落とす。父上の場合がまさにそうだ。そして俺も今ペルシャを手に入れ、何者かに命を奪われようとしている」

私はしばらく口をつぐんだ。ドリュペデスの死は悲しいが、それを利用して今なら最も憎む者を葬り去ることもできる。私にはもう子はできない。スタテイラより先にロクサネに子ができればその子は第1位の王位継承者となる。プトレマイオスやネアルコス、セレウコスなどもアレキサンダーに従ってペルシャ王家の血を引く娘とそれぞれ結婚している。その子供達がアレキサンダーの子を取り囲む側近となり・・・

「ヘファイスティオン、すぐには考えられないかもしれないが、お前はしばらくここスサを離れて別のところで暮らした方がいいかもしれない。今度の事件を裏で操ったヤツは次はお前の命を狙うかもしれない。アキレウスは幸せだった。少なくともギリシャ側に彼の命を狙う者などいなかった。でも俺の周りには・・・俺を引きずり落とし王位を狙おうと牙を剥いている者ばかりだ。誰も信用できぬ。お前以外は・・・」
「アレキサンダー・・・」
「あのバゴアスとてお前を殺そうとした。許せぬ・・・お前を不幸にし命を狙おうとする者はこの俺が許さぬ。ティターン神族の怒りを見せてやる。誰が裏で糸を引いていたのか調べ上げ必ず・・・」
「だめだ、アレキサンダー!確かにドリュペデスの命を奪った者は僕も憎い。でも落ち着いてよく考えて。もし今ロクサネや側近の誰かを一族すべて処刑したら君の立場はどうなる?パルメニオン将軍はおそらくフィリッポス王暗殺の真犯人がわかっていたと思う。でも君を王にするためにそのことはあえて口にせずアッタロス一味の追撃に力を注いだ。このことを厳しく追及すれば大混乱となる」
「そうか、お前の言う通りかもしれない」
「ドリュペデスの葬儀が終わったら僕はしばらくここを離れるよ。ただ、他の娘とすぐには・・・」
「そうだったな。すまない、お前の気持ちも考えずに・・・・しばらくここで寝ていいか?お前のそばにいる時が一番安心できる」
「いいよ、君が目をさますまで僕はこうして見張っているから」

私は体を起こし、寝台の上に方膝を立てて座り横になったアレキサンダーの体に毛布をかけた。

「ヘファイスティオン、お願いだ。どこにも行かないでくれ」
「どこにも行かないよ。君の側にいる」

彼の伸ばした手を私は強く握り締めた。







「なぜ、他の者の名前を言わなかった。今のこの男ならお前のためどんな残虐なことでもしたであろうに・・・」

薄暗い中声が聞こえた。私も座ったまま寝てしまったのだろうか。

「私はもう半ば気が狂っている。どんな声が聞こえても驚きはしない」
「でもハデスの使いは驚くだろう。本来ならお前はとっくにハデスの国に行って我らの仲間になっていたはずだ。ハデスの国の住民が増えると喜んだのだが見当違いだったか」
「どうして私にはこのような声が聞こえるのだ?アレキサンダーには聞こえてないのだろう」
「お前と彼は違う。幾度も死と狂気を潜り抜けた者だけが我らの声を聞くことができる。お前は本来ならとっくに命を終えていた。だがそれももう長くはない」
「待ってくれ。今の彼には私しかいない。もう少しここにいさせてくれ」
「愚かな人間よ、今のお前がその男と愛し合うことは煉獄の責め苦と同じ、あの宦官もそうだった。愛し合えば欲望の血が体中をめぐりそしてその行き着く先が切断されていることに気付く。ほんの少しの刺激が記憶を呼び起こし体の最も敏感な部分を切り取られる痛みを再び味わうのだ。おまえとてそれと同じ、幾度も体に焼けた棒を差し込まれ体の中をジリジリと焼かれ掻き回わされる苦痛を味わう。その男の手が触れるだけでお前の体は震えていた。その男には決してわからぬことだがな」
「それでもいい、もう少し私をこの世界に残してくれ。すべての神に願う。永遠の命が欲しいとは思わぬ。ただ彼が心から愛し信頼する者を得られるまでそばにいさせてほしい」
「お前には決して望めぬ子がお前にとって代わるかもしれないのだぞ」
「それでいい。どうかその時まで私を生かさせてほしい」
「いいだろう、だがお前の命は神をも恐れぬあのプロメテウスと同じ、鎖に繋がれ永遠に鷲についばまれる苦痛を味わうのだ。今そこに寝ている男が鷲となり、絶えずお前に苦痛を与える」
「それでいい。プロメテウスは激しい苦痛の中自分をついばんだ鷲にこう語りかけた。お前は私の体を糧として生きている。ならばその目も耳も私の目や耳と同じ、翼を広げ人間界をよく見てくるがいい。私の愛した人間がどれほど繁栄し満ち足りた思いを抱いて生きているかを。彼らの喜びの声を充分体に記憶してまたこの場所に戻ってくるがいい」

プロメテウスは鎖に繋がれた手を伸ばし、たった今肝臓をついばんだばかりで血だらけになった鷲の頭にそっと触れた。

「大空を自由に飛んでゆくがよい。お前は私で私はお前なのだから」




                                  −つづくー





後書き
 前回から随分間が開いてしまった久しぶりの更新です。英語の本でヘファの部分を訳している時にまた彼の感覚がもどってきて一気に書き上げました。実際の話とはかなり変えてありますが、ヘファの魂がうまく書ければと思っています。
2009・3・12



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