白い粉の記憶(2)
俺の中には獰猛な犬が棲み付いている。できるだけ暴れ出さないよう注意しているが、いつ頃から棲み付いてしまったのだろう。ウクライナを出た時の記憶はもう少ししかない。この国では、俺達家族のような移民はできるだけ目立たぬよう、同じ境遇の者が集まった場所で暮らしている。両親は小さな食堂を開き、俺はその商売を手伝うことにした。兄貴は俺のこと、コックには向いてないと言う。確かにそうかもしれない。だが他にどんな仕事がある。俺は人と付き合うのは苦手かもしれない。なにしろ獰猛な犬が棲み付いているのだ。下手な相手が側にいれば、いつキバを出して噛み付いてしまうかわからない。そのくせ1人ではいられないから、いつも人の顔色をうかがってしまう。特に年の離れた兄貴ユーリには、何か言われたら断ることができない。
「新しい商売を考えた。武器の販売だ」
俺はこの仕事がどれだけヤバイことをするかすぐにピンと来た。だけど兄貴は俺を手なずけるとっておきの言葉を使う。
「一緒に来て欲しい。この仕事には相棒が必要だ。誰も信用することはできない。ヴィタリー、弟のお前だけだ。戦友として一緒に来てくれないか」
「戦友、戦友としてか、悪くない」
誰かに必要とされること、俺が一番求めていることかもしれない。でも、兄貴は俺が求めているものを与えてくれたりはしない。
「まだあるはずだ、コカインが・・・・兄貴、お願いだ、少しだけ・・・・」
「だめだ。あれは全部金に換えた。お前をここから連れ出さなければならない」
「助けてくれ、悲鳴が聞こえる、銃声も・・・・殺される」
「それだけしっかりしゃべれれば大丈夫だ。行くぞ」
「待ってくれ、歩けない」
それがいつの日のことかは記憶にない。場所も南アメリカにいるというだけで、詳しくはわからない。金とコカインを持って逃げ、兄貴が迎えに来た。その日一度だけとんでもないようなことをされたような気がする。だけどそれは一度限りだった。
「コカインがダメなら、もう一度入れてくれ」
「なんの話だ?」
「兄貴の弾丸だよ。あれは効いた。俺の中の猛犬も一発で大人しくなった」
「俺はそんな趣味はない。お前、薬でおかしくなって何か勘違いしてないか。それとも他の男と・・・・」
「そんなことはない。戦友だからって兄貴が・・・・昔、どこかの国では男の恋人同士が同じ軍隊でその部隊は世界最強になったと・・・・」
「ハハ、弓や剣で戦うならそれもあるかもしれない。だけど今、俺達が商売をやっている武器はどう使う?たいして訓練を受けてない子供でも扱えるほど単純にできている。しかも殺傷能力が格段に違う。戦友など必要ない」
「でも、兄貴は俺が戦友だと・・・・」
「そう言った俺が間違っていた。さあ、いくぞ。国へ帰らなければならない」
「ウクライナへか」
「アメリカだよ。さあ、立つんだヴィタリー・・・・どうしても無理か・・・・」
俺は首を大きく動かしてうなずいた。体の奥がジンジンと疼いた。足元はフラフラし、荒れた小屋のベッドに今にも倒れそうになっているのに、その部分の感覚だけは冴えている。体は痺れるような痛みをよく覚えている。俺は犬のようにベッドの上に飛び乗り、うずくまって尻尾を振った。いや、尻尾はないから尻を振ったというのが正しいのだろう。
「しょうがないなあ」
兄貴はベッドの上にスーツを着たまま足を広げて座り、ポケットから薬ビンを取り出して白い粉を少しだけズボンの上に出した。俺は飛びつき、鼻を擦り付けて息を吸った。もう次の行動が待ちきれず尻尾を振り続けた。
「だめだヴィタリー、こんなことを続けていたら、お前は本当に抜け出せなくなるぞ。コカインからも、男からも・・・・」
そう言いながらも兄貴の手は俺の頭から尻の先へと伸びた。
「我慢できないのか」
「俺の中にいる猛犬がキバを剥いている」
「お前のどこが猛犬だ。こんなに腰を振って・・・・お前はかわいいよ、ヴィタリー」
兄貴はズボンを下ろし、下半身を剥き出しにした。俺は裸になって兄貴の体に飛びついた。固くなったその先にむしゃぶりつき、鼻を押し付けた。
「やめろ、ヴィタリー、弾丸は濡らし過ぎたら使い物にならなくなってしまう」
「それなら早く入れてくれ」
コカインがなければ、兄弟でこんなことはけっしてできないだろう。でも俺は興奮し腰を振りながらその瞬間を待った。指が差し込まれたのがわかる。大声を出しながら前後左右にと動いた。兄貴の手が俺のものを掴んだ。自分で擦るのとは比べものにならない快楽に、恥ずかしい声が出てすぐに力が抜けてしまった。そして体中を突き抜ける鋭い痛み、兄貴の弾丸は俺の体を通り抜け、口から叫び声と一緒に飛び出した。
「ああー・・・・あ、あ、・・・・ひいー・・・もうだめだ・・・・」
後から後から弾丸は発射され、体を貫通していく。慣れるほどに痛みは軽くなり、ただ真っ白い粉が見えた。故郷のウクライナ、そこで俺の猛犬は喜んで走り回るだろうか。緑の草の上を・・・・
「さあ、着いたぞ、約束したんだ。帰国したら真っ先にお前を更生施設に連れていくと」
「兄貴・・・・どうしてここへ・・・・・あのままずっと・・・・」
「そういうわけにはいかない。さあ、車から下りるんだ」
「・・・・・」
「心配しなくてもいい。ここは一流の施設だ。きれいな女優もお天気お姉さんもいる」
激しく首を振った。きれいな女などもう少しも必要ではない。ただ欲しい、あの時の快楽が・・・・
「いやだ、ウクライナに帰りたい。緑の草の上を走り回って・・・・」
「ヴィタリー、わがまま言うんじゃない。そのうちお前もウクライナに連れて行ってやろう。だけど今はこの体をどうにかしないと・・・・」
「兄貴、もう一度だけ・・・・」
「だめだ、誰かに見られてしまう」
「お願いだよ・・・・・」
「しょうがないなあ・・・・」
兄貴はポケットの中から小さな薬ビンを出して、スーツのズボンの上に白い粉を少しだけ出した。
「兄貴・・・・」
「今はこれだけだ。早くしろ、人が来るぞ」
俺はズボンの上に鼻を近づけ、コカインの粉を勢いよく吸い込んだ。
「ここはイヤだ。ウクライナへ帰りたい」
「わかっているよ、ヴィタリー、お前の気持ちはよくわかっている。ここでしっかり体を治すんだ。お前は俺の大事な戦友だから・・・・」
「わかった、戦友だから・・・・いい兄貴だ、最高だ・・・・」
薬でフラフラになった頭と体でユーリに抱きついた。
「ああ、よかった、これで厄介払いができた。まさかヴィタリーがここまで溺れるとは思わなかった。俺とコカイン、今のこいつには同じくらい危険だ。まあ、ここに閉じ込めて長い間断ち切っていれば、やがて忘れられるだろう。当分ここへは来ない方がいい」
兄貴の口は動いてない。声も聞こえない。それなのに頭の中に言葉が響いた。厄介払い、厄介払い・・・・
「どうした、ヴィタリー・・・・・」
「あ、いや、最高の兄貴だと思って・・・・・」
「お前は最高の弟だよ、ヴィタリー・・・・」
更生施設に入ってから一度も兄貴は面会に来なかった。両親は時々やってきてそれぞれ相手の悪口を言っては帰っていった。ある日、珍しく二人一緒に面会に来た。
「ヴィタリー、最近は顔色もいいようだな。よかった、これなら外出許可ももらえそうだ」
「外出許可・・・・」
「そうよ、ユーリの結婚が決まったの」
「相手のお嬢さん、お前も知っているだろう。トップモデルの・・・・あのユーリがよくあれだけの、いや、私も驚いた」
「結婚式には出てちょうだいね、ヴィタリー」
「うそだ!結婚なんて嘘だ!・・・・兄貴が結婚・・・・そんなことできるわけがない・・・・だって兄貴は・・・」
「あなた、ヴィタリーは・・・・」
「ちょっとまだ薬が抜けてないのかもしれない」
「うそだー、帰れ、帰ってくれよ」
「ヴィタリー、落ち着くんだ」
「すみません、ちょっと来てください」
興奮して少し暴れた俺はすぐに別室に連れて行かれ、注射を打たれた。意識を失い、目を覚ますと手足を拘束され、少しも動けない。
「なんだよ、これは、少し暴れたといって、ここまですることないだろう。わかっているさ、兄貴は元々ストレートの人間だ。俺だってそうで、たまたま薬でおかしくなっていたからあんなことをしただけ・・・・俺も本当はストレートさ・・・・ハハ・・・・こんなに縛りつけなくても、結婚式ぐらい普通に行って祝ってやれるのに・・・・俺だって、あんな神経をすり減らすような仕事をして、あげくに薬でおかしくなって兄弟で変なことするより、普通に暮らして女と付き合った方がよっぽどいい。あんな狂ったただ痛いだけのようなこと、二度とする気になれない・・・・兄貴、兄貴にとって俺はもう必要ないのか。もう戦友にはなれないのか。ずっと我慢してきたのに・・・・俺も馬鹿だよな、ここを出たらまた兄貴と一緒に・・・・・やめとけよ、兄弟なんて・・・・男が欲しければいくらだって他に見つかる・・・・・」
俺は縛られたまま真っ白な天井を睨みつけた。白い粉がサラサラと落ちてくる。口を開け、息を強く吸い込めば少しは体に入るかもしれない。
「ユーリは助けに来てくれる。ボリビアにまで来てくれたんだ。きっと助けに・・・・ああ、白い粉がどんどん落ちてくる。俺に棲み付いた猛犬がキバを剥きだしにするのか。大人しく待っていないといけない。ああ、そうだよ、そこ、そこ、ああ気持ちいい、最高の兄貴だよ・・・・」
わずかに動く腰を浮かせては、ベッドに激しく叩きつけていた。縛られた手首、足首がギリギリと痛んだ。
「興奮がおさまらないようですな」
「どうしたのでしょう。彼はずっと調子よかったのですが・・・・」
「何かよくない知らせを聞いたのかもしれない。もう一度注射を・・・・」
腕にチクリとした痛みが刺さった。俺の意識はゆっくり遠のいた。
「兄貴、側に来てくれよ・・・・俺は兄貴の邪魔はしない・・・ただ、役に立てれば・・・・」
−つづくー
後書き
この二人が関係を持ってしまったら、弟ヴィタリーの方がずっと激しく求めて苦しむだろうなあ、と思いました。ジャレッドには相手よりも自分の方が遥かに深く愛してしまって苦しむという役柄が似合っています。そして相手役はヘファイスティオンもそうですけどむしろ死後、その存在の大きさがわかって今度は自分が苦しむ、というパターンが多いようです。
2007、5、10
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