白い粉の記憶(3)

私は武器の販売という仕事をするのに必要な商才を備えていた。弟のヴィタリーも私と同じような才能と感性を持っているとある程度は思っていた。コロンビア沖の船の上、しつこい刑事の追跡を逃れるために船の国籍を変えた時、ヴィタリーは驚くほど機転を利かせた。

「だめだ、オランダの国旗はない。他の国は?」
「もう名前を書き出している。間に合わない」
「それならこれはどうだ?」
「なんだ、それはフランスの国旗だろう。忘れたのか?」
「こうすればオランダになる」

なんとフランスの三色旗を縦にした。なるほど、それならばオランダの国旗となる。ヴィタリーはバカではない。それどころか私の気付かないことまで考え出してしまう。そして船の名前が入った救命具の浮き輪をさりげなく後ろ向きにして隠したのも弟だった。機転が利くだけではない。船の上でヴィタリーは陸地よりもずっと生き生きしているように見えた。ウクライナを出た時の記憶がかすかに残っているのかもしれない。船の上で、恐がるヴィタリーに私と両親は口をそろえて言った。これから希望に満ちた素晴らしい国へ行く。そこでは今までよりもずっと豊かな生活ができる。実際に生活が始まってしまえば、もうそんなことは言っていられなくなった。それでもヴィタリーにとって船は新しい世界へ行く希望に満ちた乗り物なのかもしれない。

「確かにこの海域に怪しい船があるという情報が入った。なんだ、またお前か、これはますます怪しい。乗船して徹底的に調べろ」

近づいてきた捜査船には、もうすっかり顔なじみになってしまったバレンタイン刑事もいた。彼のことは嫌いではない。捜索に対する情熱とあくまでも法律を遵守しようとする態度は尊敬に値する。彼ら捜査員は私達の船に乗り込んで来た。

「船の名前と国籍は?」
「コノ、オランダ国籍だ」
「よく何度も名前を変えて間違わずにいられる」
「自分でもわけがわからなくなってくる。だが、確かにオランダ国籍でコノという名前の船はある。なんだったら今から調べてもいい」
「もういい、どうせ調べてから名前を変えているんだろう。だが、この商船らしき船から大量の武器が発見されれば、お前達を逮捕できる」

ヴィタリーが不安そうな顔で私の方を見た。私は心配するなと目で合図を送った。

「ああ、徹底的に調べてもらってもいい。航海が長いから、大量のイモを積み込んである」

私はバレンタイン刑事達を甲板の倉庫の前に案内した。いくつもの扉を刑事は中を透視でもするかのように睨みつけた。

「よし、そこの右から3番目の扉を開けろ」

端から開けるということはこの刑事はしないから、真ん中の方だけ荷物を奥に押し込んでイモを入れておいた。この熱い場所ではイモはすぐに悪くなる。案の定バレンタイン刑事は顔をしかめた。

「なんだ、この臭いは・・・お前達はこんな腐ったイモを食べているのか」
「この船にはどんな食材を使っても素晴らしい料理にしてしまう一流のコックが乗っているから。もしよければ刑事さん達にもご馳走してやろう。ヴィタリー、このイモを使って何か作ってくれないか。まあ、遠慮しないで食べてくれ。ヴィタリーの腕は確かだ」
「兄貴、いくら俺でもこれはちょっとひどいんじゃないか?」
「いや、お前の腕前ならば・・・・この刑事さん達はさぞかし腹を空かせているに違いない。たくさん作ってやれ」
「あ、料理など、もういい、捜査は終わりだ。引き上げろ!」

さっきから鼻をつまんでいたヴァレンタイン刑事がいやそうな顔で言えば、他の捜査員もいちもくさんに捜査船へと逃げ帰った。そして船は見る見るうちに遠ざかった。

「兄貴、もういいだろう。このイモは捨てるぜ。このままでは銃まで臭くなる」
「ああ、頼むヴィタリー」
「なんだ、他にはイモを詰めてないのか。よく彼がここを開けるとわかったな」
「長い付き合いだから。ああ、ヴィタリー、俺の前にイモを近づけるな」
「一流のコックの手にかかれば、素晴らしい料理になるんじゃないのか」
「まったくお前は演技がうまいよ。顔もいいし、コックよりも俳優にでもなった方がよかったかもしれないな」
「でも、俺はアメリカ人じゃないから、一流スターにはなれない」

笑顔のヴィタリーが一瞬顔を曇らせた。そう、自由の国アメリカでは、誰もがどんな職業にもつける。ただし、一流にはなれない。門戸は平等に開かれていても、先へはいけない仕組みが自然にできあがっている。





私はどこかでヴィタリーは血を分けた弟だから大丈夫と信じていたのだろう。だが、そうではなかった。南米でヴィタリーは麻薬に溺れ私の前から姿を消した。連れ戻し、矯正させるためにはありとあらゆる手段を使った。それは神の前では麻薬よりもっと大きな罪になる行為かもしれない。男同士、しかも兄弟で私達は禁忌を犯した。だが、弟を連れ帰るためにはそれが最良の方法に思えた。私自身正気でそれをすることが耐えられず、同じようにコカインを吸入してからやっていた。だから記憶は曖昧で、どれくらいの期間、回数かはっきりはわからない。ただ禁忌の行為はどんな正常な行為よりも遥かに強い快楽をもたらす、ということだけは記憶に残っている。

「さあ、ヴィタリー、車から外に出ろ。ここは一流の施設だ。綺麗な女優やお天気お姉さんもいる」
「頼む、兄貴、もう一度だけ」

懇願するヴィタリーを前に、私は隠し持っていた小瓶の粉をズボンの上に少し置いた。ヴィタリーが鼻を擦りつけ、ズボンの上から舐めるように息を大きくすすった。その甘い感触に、私の体は幸福に満たされた。弟だから、同じ血を分けた弟だからこそ少しの接触でも感じる満ち足りた思い、同じ目的を話せる喜び、戦友と協力して敵を退散させた快感があった。もう一度この手でヴィタリーを抱き、体の中心で思う存分感じることができたなら・・・・甘えるようにヴィタリーは体を擦りつけてくる。弟は私以上に禁忌の快楽の虜になったらしい。私を見つめる目は女よりももっと艶っぽく、しなやかな体は潤いに満ちている。

「いけない、ヴィタリー、もう行くんだ」
「兄貴、ユーリ、大好きだ。もう一度だけ」
「ここはアメリカだ。誰かに見られたら困る」
「ここを出られたら、すぐに兄貴のところへ行って・・・・」
「ああ、好きなだけ抱いてやるよ。約束する」

私は弟に嘘を言っている。ここアメリカでそのようなことをしたら身の破滅だ。溺れる前に対策を考えなければならない。自分にすがり、頼りきっている弟を抱きしめながら、私の心は冷静だった。





やがて私は商売で蓄えた金を使い、前から憧れていた女に近づくことに成功した。モデルの彼女を撮影と偽って島に誘い出し、そこに一つしかないホテルを貸切にし、さらに台風で撮影は中止になり、帰りの飛行機もしばらく飛ばないことにした。莫大な費用も、私が蓄えた金の一部を使うだけで充分に足りた。定期便が飛ばなくなった代わりに飛行機をレンタルして自家用機だと偽り、帰らせてあげると約束すれば、それだけで彼女はもう私に夢中になった。自分の仕事は貿易商などと適当に言えば、それ以上詳しく聞かれることはない。子供の頃から憧れていた女とのベッドインは、兄弟の禁忌とは別の快楽を与えてくれた。ヴィタリーのことは忘れるために、会いにはわざと行かないようにした。あの眼差しに見つめられれば、手でも握ってしまえば自分は全てを手放しても同じことをしたいと思うに違いない。だから手紙だけ書いて、各地に行っていて忙しいからと言い、写真を同封した。実際私の仕事は忙しさを極め、1週間の半分以上をどこかの国へ行き、別の名前で作ったパスポートで暮らしているような状態だった。帰国している間は彼女へのサービスも必要だ。そして私はついに結婚することになった。

「ユーリ、おめでとう。お前がこんなきれいな方と結婚するなんて」
「これもすべて神の思し召しだ。神への感謝を忘れるのではないぞ」
「ヴィタリーに今日のことは?」
「話したわ。あの子かなり興奮していたけど、もう落ち着いたみたいよ。私達と一緒に来るように誘ったけど、友達と来るからいいって」
「友達、あいつにそんな親しい友達なんていたかな」
「どうせ女だろう。まったくヴィタリーは我が家の恥さらしだ。あんなことになってしまって・・・」
「ヴィタリーのことはあまり悪く言わないでくれ。あいつは優しいから・・・・」
「お前、一緒に仕事していたんだろう?なんの仕事をして弟をあんなふうにした!」
「あなた、結婚のパーティーなのよ」
「特別な仕事ではない。ただ貿易商として外国へ多く行くから、そこで麻薬を覚えてしまった」
「何が貿易だ。怪しいものだ」
「あなた、その話はよしてちょうだい。あなたのご両親は?」

結婚式のパーティーで、父は私の仕事についていぶかしく思っているようだが、母が妻になった彼女のことを気遣ってうまく話をそらしてくれた。

「私の両親は、私の子供の頃二人とも事故で亡くなりました」
「まあ、それはさぞ心細かったでしょう。これからは私を本当の母親だと思っていいのよ」
「ありがとうございます」

彼女の両親は強盗に銃で撃たれたのだった。でも、そのことについて詳しくは語らず、ただ事故とだけ話している。頼る者を持たずに生きてきた彼女もまた、ヴィタリーと同じように何かにすがるような目をしている。

「ユーリ、結婚おめでとう。うれしいな、こんな綺麗な人が俺の姉貴になるなんて」
「ヴィタリー、今日は顔色もよさそうね。心配していたのよ」
「お前は母さんに心配ばかりかけている」
「何みんなしらけているのさ。もっと盛り上がろうぜ。兄貴の結婚を祝ってさあ。天使もお祝いにかけつけているんだ」

いきなりヴィタリーがパーティー会場に入ってきた。興奮して妙にはしゃいでいる。すぐ側に派手な服を着た見知らぬ女がいる。

「彼女は?」
「ああ、紹介するよ。俺の幸福の天使だ。俺達も来月結婚する」
「まあ、ヴィタリー、いつの間に」
「お前は施設にいなければならないのに、何を考えている!」

両親が驚いてヴィタリーを見た。私は側にいる女の方を見た。派手な化粧に赤いドレス、シロウトではなさそうだ。

「何が結婚だ。ヴィタリー、この女は通りで拾って来たんだろう」
「ああ、そうさ。でも、結婚した兄貴とやることは一緒だ。裸になって抱き合い、大事なところを舐めあったり、突っ込んだり、天にものぼる気持ちにさせてくれる」
「ヴィタリー!」
「それに彼女の名前はエンジェルっていうんだぜ。ああ、俺の天使、どんなふうに楽しませてくれるのかな」

ヴィタリーは女を抱きかかえ、キスをした。そしておろした女の手を私は強引に引っ張って、出口に来た。

「いくらもらった?」
「まだもらってないわ。お金持ちのお兄さんがいるから、そこでお金をもらえるって・・・」
「それならこれを受け取って出て行け」

100ドル札を数枚渡して、無理やり女を外に追い出した。相場より余計に渡したから、戻ってくることはないだろう。ヴィタリーが顔色を変えて追いかけてきた。

「ユーリ、俺の天使は?」
「金を渡して追い出した」
「何するんだよ。せっかく外泊許可が今夜だけおりたというのに・・・・」
「それでさっそく通りの女と寝るのか」
「いいだろう。どうせ兄貴だって今夜は寝ないで朝まで楽しむんだ。俺はその間何をしている。指をくわえて呆然としているのか?それとも嫉妬に狂って暴れまわり、警察に捕まって今度は病院に入れられるかもしれない」
「ヴィタリー、お前はまだ完全に薬が抜けてない。回復すればいくらだって女と遊び、結婚できる。もう少しの辛抱だ」
「女はいらない。結婚もしたくない。ただ、兄貴が欲しい」
「何を言う。人に聞かれたらどうする?」
「兄貴はもう忘れたのか?俺は忘れられない。もう一度あれができるなら、麻薬なんかもう必要ない。ああ、俺はもう我慢できないんだよ。どうして一度も見舞いに来てくれなかった」
「ヴィタリー、俺もだよ。俺もお前に会えば自分を抑えられなくなる。麻薬など必要ない。あの快楽だけが繰り返し繰り返し夢に出て焦燥感に襲われる」
「ならば今夜、いいだろう?」
「お前、俺は新婚初夜だぞ。いくらなんでもそれはないだろう」
「あ、そうか」

ヴィタリーはきまり悪そうに下を向き、自分の唇を舐めた。弟には何か言いたくてうまく言えない時唇を舐める癖がある。その口の動きに自分のものが舐められている気分になった。弟の何気ない動作すべてが情事を思い出させ、官能に体が震えてくる。周りに誰もいないことを確かめて、私も彼の唇を舐め、舌を口に差し込んだ。伸びかけた髭がチクチクと頬にあたった。そして私は口を耳の位置にずらした。

「ああ、ヴィタリー、たまらない。俺はお前を誰よりも愛している。約束しよう。お前が治って更生施設を出たら、真っ先にお前に会いに行き、もうイヤだと言い出すまでお前を抱いて離さない。望むことなんでもしてやる。だからお前は今夜は素直に施設に戻れ」
「本当にそうしてくれる?」
「ああ、約束するさ」
「船の上は楽しかった。あの頃は俺達、まだ普通の兄弟だったけど、兄貴と協力してあの刑事を追い出したり、イモはひどかった。いくら手を洗っても臭いがなかなか落ちなくて・・・・」
「普通の兄弟のままがよかったか?」

私の意地悪な質問にヴィタリーはまた唇を舐め、そして大きな青い眼を見開いたまま私の胸に顔を埋めてきた。私はやさしく柔らかな髪を撫でた。

「愛している、愛しているんだ。俺は兄貴を・・・・自分でもどうしようもないくらいに・・・・」
「わかった、ヴィタリー」

泣きじゃくる弟を抱きしめていると、周りに人が集まってくるのを感じた。妻になったエヴァや両親も近くにいるかもしれない。顔を上げずに大きな声を出した。

「まだヴィタリーは完全に薬の影響が取れてないようだ。俺があの女を追い出したら興奮して騒ぎ、それから泣き出してしまった。落ち着くまでしばらく待ってくれ。いい子だ、ヴィタリー、落ち着くんだ」

弟の髪を撫で、その手触りと立ち上るかすかな髪の匂いにクラクラとした。私の官能は苦労して手に入れた妻よりも、血を分けた弟の方に向かっている。


                                        −つづくー



後書き
 ジャレッド演じるヴィタリー、書けば書くほど表情や動作の一つ一つがなんて官能的で男を刺激する魅力に満ち溢れているのかと今更ながら驚いています。まあ、本人は決してそれを意識して演じているのではないでしょうけど(笑)
2007 5、18

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