白い粉の記憶(4)
俺は子供の頃から兄貴に縋り、それだけを頼りに生きていたのかもしれない。もう長いこと更生施設に入れられ、麻薬は断ち切ったつもりなのに時々夜幻覚に襲われる。俺は苦し紛れに指にゴムのカバーをつけ、自分の後ろの穴に押し込んでみた。一人部屋でよかった。鍵はついてないから大声を上げれば誰かが入ってくる。声を出さないよう自分で調整しながらベッドに倒れ、シーツに自分のものを擦り付けて腰を動かす。指を奥まで突っ込めば、自然と喘ぎ声が漏れ、シーツを摘んで噛んだ。
「違う、こうじゃない。ああ、兄貴、早く来てくれよ」
兄貴は結婚した。だがそんなことはもうどうでもいい。どうせ結婚相手となったあのきれいな女には仕事のこと何も話していないに違いない。仕事だけではない、自分が麻薬を試したことも・・・・実の弟を抱いたと聞けば、彼女はさぞ驚き、天地がひっくり返ったかのように大騒ぎをするだろう。秘密を分け合い、真の快楽を分かち合ったのは俺だけなのだから・・・・
「兄貴・・・・兄貴だってもう女では満足できないはずだぜ。待っていてくれ、俺はすぐにここを出られるようにする」
だけど、兄のユーリが見舞いに来てくれることは滅多にない。代わりに何度か国外で会ったことのあるバレンタイン刑事というのがしょっちゅう面会に来るようになった。
「よう、ヴィタリー、顔色もよくなったようだな。このまま順調にいけばもうすぐここを出られる。お前がここを退院してしまえばもう訪ね先がわからなくなる。それ前に何か教えてくれないか」
「兄貴は仕事に夢中で俺の見舞いなどちっとも来ない。今の俺は兄貴がどこにいるかなんてさっぱりわからない」
「居場所など知らなくていい。何か証拠となるような物、たとえばヴィタリー、お前も以前一緒に仕事をして名前を変えたパスポートなど持っていただろう。そういうものを見せて欲しいんだ」
「俺はパスポートなど一種類しか持っていない。兄貴のパスポートなど見たこともない」
「一緒に旅をしてもか?」
「実の兄のパスポートなどわざわざ見るか」
「股間はしょっちゅう見ていてもか。ヴィタリー、お前が兄をかばいたい気持ちはよくわかる。だけどそれでいいのか?いくらお前がここで死ぬほど辛い思いをして薬を抜いても、またあの男のところへ行けば同じことを繰り返す。お前はまだ若いし、女にももてるタイプだろう。兄とは手を切り、自分の人生を考えた方がいいのではないか。それにこれはユーリのためでもある。今のような仕事を続けていたらいずれどこかで殺される。人を殺すことなどなんとも思っていない連中ばかりだ。お前達の伯父も車に爆弾をしかけられて殺された。元々狙われていたのはユーリの方だったらしいじゃないか」
「兄貴が・・・・ユーリが爆弾で・・・・車が燃えて炎の中・・・・やめてくれ、帰ってくれ!」
「だからヴィタリー、俺はお前の兄を助け、まっとうな仕事に戻すためにも一度は逮捕しなければならない」
「嘘だ!帰れ!帰ってくれ!」
刑事と話すことはいつも同じだった。もしあいつが更生施設ではなく俺の部屋に来て体をさすりながら口説けば、少しは秘密をバラしていたかもしれない。でも、更生施設の面会室、大勢の監視が遠くで見ている中では何もできないから、そのような展開にはならない。長い間一人でいて、俺の体は限界にきていた。誰かに抱かれればそいつの言いなりになってしまうだろう。
やっと更生施設を出て、俺はまた家に舞い戻った。兄貴は約束を破った。俺と会う時は必ず両親が一緒、あるいは彼女と子供がそろっているというパターンに限られ、二人きりでは絶対に会ってはくれない。そして俺に対してまじめに仕事をしろと説教する。仕事なんかクソくらえだ。まじめに店で働く何倍もの金を一度に手に入れ、麻薬の快楽を知ってしまった俺がどうしてまともに働ける?麻薬はここでは手に入れにくいという理由で使わなくなったが、寂しいので街を歩いては適当な女を捕まえて一緒に寝るようにした。女が相手では満足などしないことはわかっているが、男を相手にすることは恐かった。相手がどんな男であれ、俺は前のようにどうしようもなく溺れてしまうだろう。兄貴が欲しい。もう一度あの南米のボリビアのように・・・・
俺が求めている時に一度も来てくれなかった兄貴は、求めてない時に一人でフラリとやって来た。部屋には他に誰もいない。両親はそれぞれ別の場所に出かけていた。夜、二人がそろって同じ場所に出かけることなど、もう何年もないに違いない。
「大きな仕事の計画がある。お前の力を借りたい」
「どうして今頃・・・・兄貴は約束を破った。俺のことなどもう少しも愛してはいない」
「すまない、ヴィタリー、エヴァは精神が不安定だ。俺の仕事に疑いを持ち、それを打ち消そうとオーディションを受けたり絵を描いたりしているが、何一つうまくいかない。自分はただきれいなだけでなんの才能もない女だと笑っていたよ」
「だから兄貴は家庭を大切にし、彼女とうまくやればいいだろう。もう金もたまったのなら、それを元手に別の仕事を始めればいい。兄貴なら何をやってもそこそこうまくいくだろう。あの刑事も言っていた、このままではいつかきっと殺される。人を殺すことなどなんとも思っていない連中ばかりだと・・・・」
「まさか、お前警察に何かしゃべったのか!」
「何も知らないと答えておいた。そうしたら、兄貴の股間は覗いていても、パスポートは見てないのかと言われた」
「下品な男だ。それでも刑事か」
「証拠を掴みたくて必死なんだろう。もっともそのために俺を抱くということまでは考えなかったようだけど・・・・更生施設を出てからは一度も来ていない」
「あいつはストレートな人間だ。道を踏み外すことは絶対できない。どんな小さなことでも・・・・」
「その生き方は正しいと思うよ。俺も最近やっとそのことに気がついた」
「ヴィタリー、何かあったのか?」
「好きな女ができた。今度は本気だ。彼女のためにも真剣に働き、将来は自分の店を持ちたい」
兄貴を試すために俺は嘘を言った。本当はその日その日で女を変えているし、将来のことなど何も考えていない。兄貴の顔に戸惑いの色が見えたが、すぐにそれはいつもの仕事の顔になった。
「そうか、ヴィタリー、お前もやっとそう思えるようになったか。うれしいよ。ただ、今度の仕事だけ手伝ってくれないか」
「彼女に仕事のことは言えない。まじめに働くと約束したんだ」
「大金が入る。自分の店が持てるぞ。今の小さな店なんかクソくらえだ。きれいな店ができれば客の入りも違う」
「俺の料理はただでも食べたくないんだろう」
「努力すればすぐうまくなる。一度だけだ。お前の幸せのためにも金は必要だ」
「俺のことは必要ないのか」
「もちろん必要だ。お前は俺の大事な戦友だから」
「戦友か、その言葉に弱いな・・・・」
俺は兄貴の唇に自分の口を押し付けた。兄貴は俺の肩を押さえ、顔をそらした。
「だめだ、ヴィタリー、俺はもう結婚しているし、お前にも好きな女が・・・・」
「今の話は全部嘘だ・・・・俺は本当は・・・・」
「ヴィタリー、ここではだめだ。他の国へ行ってからでないと・・・・」
「ユーリ・・・・」
「本当に愛しているのはお前だけだ。でもアメリカではいろいろしらがみがある。だから一緒についてきてくれ、戦友として」
「戦友としてすべてを分かち合う、本当に?」
「ああ、もちろんだよ、かわいいヴィタリー」
兄貴が嘘をついていること、もう弟の俺とは関係を持ちたくないと思っていることははっきりとわかった。それでも国外に出れば二人きり、最後の思い出にと薬をくれ、抱いてくれるかもしれない。俺の下半身がどうしようもないほど濡れ、熱が集まっているのを感じた。
「もうもどらないと、エヴァと食事にいく約束をしている」
「そうか、こっちもそろそろ彼女が来る時間だ」
「うまくやれよ。お前は不器用だから何か失敗をしないか不安だ」
「そっちこそ、仕事のことを気付かれないように。それにこれが最後だ」
「ああ、大きな仕事に成功すれば、きっぱり足を洗うさ」
兄貴は部屋を出て行き、俺はまた自分の指で自分を慰めた。涙はでなかった。惨めさも感じない。ただ溜まった欲望を早く外に出したいだけだった。ただそれだけの行為、それなのになぜ・・・・
−つづくー
後書き
この二人の兄弟は感受性があまりにも違いすぎて、それが悲劇に結びついているようにも思えました。ヴィタリーが求めていることをユーリは全くわかっていない、いや、わかってもそれを本能的に避けて自分の安全を守ろうとしています。それができずに剥き出しの感情で求めてしまうヴィタリー、だから麻薬に溺れるしかなかったのかな、と思いました。
2007、5、24
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