白い粉の記憶(5)
私はヴィタリーを連れて西アフリカに来た。紛争の多いこのあたりの国は同時に私の最も大切な商売先である。最悪の体験もこの国でした。大統領が伯父の敵である男を捕え、私に殺せと命じた。武器を扱ってはいても私は今まで人を殺したことなど一度もなかった。だが、それもできた。一度体験してしまえば恐怖はなくなる。私はこの国でさらに強い麻薬を試し、病気を持っている可能性が極めて高い女を抱いた。そして今は弟のヴィタリーを連れてここへ来た。この国では高級ホテルに分類されるのかもしれないが、窓を開ければ人が生きているのか死んでいるのかわからないような状態で倒れている。銃声や嬌声が絶えず聞こえる。雨の降らない時期なのか部屋の中の土ぼこりもひどい。
「これがホテルの部屋なのか」
「ああ、お前はこの国は初めてだったか。これでも星がついているホテルだ」
「ボリビアで安宿をさ迷ったけど、ここまでひどくはなかった」
「我慢しろ、取引が無事終わったら、いいところをまわって帰ろう」
「本当か?」
ヴィタリーは疑わしそうな顔で私を見た。弟が何を求めてここへ来たかはよくわかっている。私は空港で手に入れた瓶入りの生ぬるいジュースを少し口に入れ、薄汚いベッドに腰をおろした。ヴィタリーがやたらにまぶしくてギラギラ照りつける太陽をさえぎるためにカーテンを引いた。ただボロきれがぶら下げられているだけで、片方の窓をふさげば、もう一方から光が入った。私はそこだけやたらに大きくて頑丈そうなドアの錠をしっかり閉めた。
「兄貴、その前に話がある」
「なんだ?こんな部屋じゃ、落ち着いて話もできないだろう」
「これで最後にして欲しい」
「俺達の関係か、それとも・・・・」
「この仕事と俺達の関係、両方だ。俺は国に帰ったら結婚してまじめに働く。いつか自分の店を持ちたいという夢もできた。兄貴も普通の仕事をして、家族を守ってやってくれ」
「ヴィタリー、お前本当に好きな子ができたのか?」
「今はいないさ。でもそうなるよう努力する。薬もきっぱり止め、今度こそ生まれ変わった気持ちで人を好きになり、仕事も精一杯する。だから兄貴も・・・・約束してくれるか」
「ああ、いいだろう。今度の仕事でまとまった金が手に入る。最近はエヴァの周りを警察がうろついているし、これで最後にする。ヴィタリー、お前は大丈夫なのか」
「生まれ変われるさ。こんな世界からはもう抜け出す。今夜が最後だ」
「約束しよう。俺もこの仕事を今回で最後にする」
私はベッドに座り、ズボンの膝の上に白い粉を撒いた。ヴィタリーは私の足の間にしゃがみ、顔を股間に近づけてきた。
「どうして俺はこんなに情けない男なのだろう。兄貴に甘えてばかりいる」
「ヴィタリー、お前はかわいいよ。好きなだけ甘えるがいい」
荒い鼻息がズボンの上から皮膚へと伝わった。一度白い粉を吸い込んだ弟は狂ったように床に落ちた粉にまで顔を擦りつけた。私はズボンを下ろし、どんな国に行く時も必ず身につけている白いワイシャツを脱いだ。ヴィタリーはまだ跪き、床にこぼれた粉に顔を近づけている。ズボンを下ろし、股間に手を触れれば、弟もまた欲望ではちきれそうになっていた。
「いい加減にしろ、ヴィタリー、まだここにもたくさんある」
私は麻薬を入れた小瓶を脱いだズボンのポケットから出し、汚れたベッドカバーの上に少し巻いた。薄茶色に変色したシーツの上で、真っ白な粉だけが純粋な輝きを放っている。顔を近づけ、強く息を吸い込んだ。目の前がクラクラし、ボヤけてくる。それなのに意識は妙に冴えている。
「ズルイ、兄貴は自分だけそんなにたくさん」
私を覗き込む弟の顔。青い瞳が今にも泣き出しそうに潤んでいる。弟は何をこんなに怯えているのか。
「ヴィタリー、愛しているよ。何も恐がらなくていい」
「お願いだ、兄貴、もう少しだけ・・・・」
私は頷き、白い粉を自分の拳銃の上に振り撒いた。ヴィタリーの目は輝く粉に釘付けになり、その行方だけを追っている。口から涎を垂らし、私の拳銃にむしゃぶりついてきた。私は目を閉じて心ゆくまでその感触を楽しんだ。まだまだ子供だと思っていたヴィタリーの髭が私の感じやすい皮膚を刺激した。理性を失った弟は、興奮した喘ぎ声を出し、硬くなった拳銃をさらに刺激する。弟の乱れた髪を指で梳かすと、懐かしい匂いがした。ここはもう街に死体が転がり、銃声が絶え間なく聞こえる悪夢のような国ではない。ウクライナから出港する船の上、怯える幼いヴィタリーを抱きしめ、必死で慰める自分がそこにいた。
「ヴィタリー、さあ、もういいだろう。お前の中に入ってもいいか」
「だめだ、これが最後なんて、兄貴、俺は本気で・・・・」
「最後ではないさ。俺はいつだってお前のこと愛している。お前が好きなときにいつでも・・・・」
「本当に?」
「愛しているのはお前だけだ。いつでもお前を愛してやる」
私はもう一度シーツの上に散らばる粉を集めて吸い込んだ。ヴィタリーのしなやかな体にも粉がつき、ところどころ光っている。指で粉をかき集め、弟の体の一点に集めた。白い粉に縁取られたその穴に私は力を込めて拳銃を埋め込んだ。きつく締め付けるその力に、私は弟の苦痛を感じた。ヴィタリーは固く目を閉じ、顔を歪めているが声だけは出すまいと歯を食いしばっていた。穴は私を掴み、奥へ奥へと導いた。
「兄貴、ユーリ・・・愛している・・・・だからもう・・・・」
「ヴィタリー、俺もお前を愛しているよ」
ヴィタリーは全身で私を掴んで離さなかった。それでも私は欲望が命ずるままに拳銃を激しく上下させた。
「これで最後だ、俺達はもう・・・・」
「何を言う、ヴィタリー、俺はお前を愛している。お前は俺の大事な戦友だ」
「これからも、ずっと戦友として・・・・」
「もちろんだ、どこへ行くにも必ずお前を連れて行く」
ヴィタリーの顔がふっとゆるんだ。穏やかな、安心しきった顔で私を見て、手を伸ばしてきた。
「戦友として、どこに行く時も必ず一緒に・・・・」
「愛している、ヴィタリー・・・・」
意識が途切れそうになり、私は慌てて弟の体を強く抱いた。欲望の体液が拳銃から流れ出し、弟の体に染み込んでいくのを感じた。失われていく意識の中で、ただ力を込めてヴィタリーを抱きしめた。
翌朝、私達は大統領の息子に案内され、国境を越えて隣の国へ入った。大量の拳銃を積み込んだトラック二台も一緒である。国が変わっても、見える景色に大きな違いはない。干からびた大地に骨が散らばり、水と木のあるところには粗末な小屋が立っている。小屋ならまだいい。わずかな水と木だけの場所に、信じられないほどたくさんのテントが張ってあったりもする。そして争いが起き、人が殺されているすぐそばを通り抜けたりもした。私達の乗った小型のトラックからもそんな光景はよく見えた。私はできるだけ素早く通り抜けてくれるよう運転手に話した。やがてどこよりもたくさんのテントが張ってある場所のすぐそばの小高い場所でトラックは止まった。
「降りろ」
大統領の息子がぶっきら棒に言った。
「ここか、取引相手は・・・・」
「もう待っている」
商売相手は「自由と独立のための抵抗軍」と名乗った。名前は立派だが、難民キャンプを襲い、各国の支援物資を横取りするような盗賊よりも性質の悪い連中だ。こんな相手に銃は売りたくないが、どうせこのような場所の商売相手は似たようなものだ。人間としては最悪だが、このあたりは良質のダイヤモンドが取れる。使い方に関わらなければ、よい取引ができる商売相手と言っていいだろう。草の上に置かれた粗末なテーブルの上、商談は思ったよりはるかにうまく進んだ。大量のダイヤモンドが無造作に目の前に置かれた。後は武器を確認するだけである。
「兄貴、ちょっと話がある」
「なんだ、取引が終わって、無事国境を越えてからにしてくれ。この辺りはいつどこで狙われるかわからない」
「いいからちょっとだけ・・・・」
ヴィタリーは強く私の手を引き、難民キャンプのよく見える場所まで強引に連れてきた。
「兄貴、商売は中止だ。あれを見ろ。今武器を渡したら、あいつらは彼らを皆殺しにする」
ヴィタリーの指差した先にあるテントの前で一人の女が逃げていた。自称抵抗軍の数人の兵士が女を襲い、近くにいた小さな子供を殺すのが見えた。
「今でもあのざまだ。これで拳銃なんか渡したらどうなる。彼ら難民は皆殺しになる」
「ああ、そうかもしれない。だけどヴィタリー、前に言っておいたはずだぞ。かかわりになるなと」
「それはそうだ。でも、目の前で殺されるのがわかっていながら・・・・」
「武器がなくても、どっちみち彼らはいずれ殺される」
「でも、それは今すぐではない。彼らを殺した後、あいつらは別の難民キャンプへ行く。拳銃を渡したら最後、そうやって次々と人を殺していく。大勢の人間を虐殺する」
「ヴィタリー、今ここで道徳的なことを話しているわけにはいかない。ここはそういう国だ」
「でも、武器を渡さなければ、少なくとも彼らは今すぐには殺されない」
「何を言っている。ここまできて取引を中止にすれば、こっちの命が危ない。これで最後だ。ヴィタリー、俺もお前も国に帰り、それぞれ仕事を持って家族と一緒に生きていくんだ。こんなことは一瞬の悪夢と思って忘れればいい」
「一瞬の悪夢か・・・・昨日のことも何もかも・・・・」
「おい、何しているんだ」
私達がなかなか戻らないのに苛立った大統領の息子が側に来ていた。
「兄弟けんかなら後にしてくれ。先方がイライラしている」
「ごめん、俺が値段のことで勘違いしていた。兄貴、急いで取引を終わりにしてくれ」
「いいんだな、ヴィタリー。俺は戻るぞ」
この時、ヴィタリーの気持ちを少しでも考えれば、私はは弟を失わずにすんだかもしれない。だが、目の前のダイヤモンドが私の判断力を奪っていた。
「何をするんだ!」
「やめろ!」
大きな爆発音が起きた。振り返るとトラックの一台が爆発し、すぐそばにいた大統領の息子も一緒に炎に包まれていた。その脇に立つヴィタリー、手には手榴弾が握られている。
「ヴィタリー、止めろ!」
「取引は中止だ。兄貴、お願いだから・・・・」
激しい銃弾の音がした。抵抗軍の兵士達が一斉に弟に向かって撃っていた。ヴィタリーの体は大きく揺れ、地面に倒れた。手にはまだ手榴弾を握りしめている。私はそれを取り上げ、爆発しないようにピンを刺した。弟は目を見開いたまま死んでいた。真っ青な空が瞳にうつっていた。
「だめだよ、ヴィタリー、こんな危険なことをしては・・・・一瞬の悪夢、関わってはいけなかったんだ」
ヴィタリーを失った日、私のダイヤの取り分は半分に減った。大統領の息子も死に、私も殺されることを覚悟したが、無事アメリカに帰された。息子以上に大切な商売相手になってしまったのだろう。ヴィタリーの遺体は、医者に頼んで銃弾を取り除き診断書を書いてもらったが、費用をケチったために銃弾は残り、私は帰国してすぐ逮捕された。勝ち誇ったバレンタイン刑事が、今まで集めたたくさんの証拠と一緒に私に面会に来た。ヴィタリーの死を知らせると両親は私を勘当し、そして刑事から私のことを聞かされたエヴァは、離婚届を残して息子を連れ家を出て行った。
「ついにお前も逮捕されることになったか。どれくらいの期間刑務所に入ればいいのか、判決が出るのを楽しみにするがいい」
「ああ、私はむしろ刑務所で残りの人生を暮らしたいくらいだ。今の私に何が残っている。弟のヴィタリーは死んだ。両親には勘当され、妻と子は家を出ていった。何も残ってない」
「それで寂しいから刑務所にいたいわけか。安心しろ、まだまだ調べなければならないことが山のように残っている。当分の間は取調べと裁判で忙しくて寂しがっている暇もないよ」
「だといいんだけどね。君があんまり驚いてもいけないから、最初に予言しておこう。まず君は上司に呼び出され、今までの苦労と努力をねぎらう言葉をかけられる。そして私を釈放しろと命じられる」
「釈放、何をバカなこと言っている。あんまりいろいろなことが起きて、頭がおかしくなったのか」
「私の頭は正常だ。いっそうのこと気が狂った方が楽かとも思えるのだけどね。そして間違いなく釈放される。なぜならば、私の取引など、君が忠誠を誓うアメリカ国家の取引に比べれば何百分の一に過ぎない。国家は表立って公表できない取引を、私のような個人経営の者に任せる。つまり私は君が忠実な国家に必要不可欠な人間なのだよ」
「うそだ!そんなことあるわけない」
「君をがっかりさせてすまない。私は君のこと大好きだった。いや、好きという言い方はおかしいかもしれないが、少なくとも嫌いではない。君の人間性、生き方、すべて私にとって好ましいものだった。君の顔さえも、もうすぐ別れがくるかと思うと懐かしい」
「人をおちょくるのもいい加減にしろ!俺はお前のような人間は大嫌いだ!」
大声で叫んだところで、バレンタイン刑事は上司に呼ばれ、もどって来た時には私を釈放してくれた。その時は上司も一緒だったので、一言も口をきかなかったが、どれだけ不愉快ではらわたが煮えくり返る思いでいるかは、その顔つきで充分察知がついた。
西アフリカの、今となっては泊まり慣れた高級ホテルの部屋で、私は念入りに錠をおろし、ベッドに腰掛けた。スーツのポケットには白い粉の入った瓶をいつも入れている。白く光る粉をズボンの膝に撒き、顔を近づけた。
「ヴィタリー、お前は俺との約束を守らなかった。関わりをもつなといつもあれほど言っていたのに、なぜ商売の鉄則を破った?もうお前を戦友として認めるわけにはいかない」
いくら粉を吸っても、私の頭は正常な思考を保ち、狂うことなど決してない。
「俺にはお前が必要だった。わかっていた。こんな世界に連れてくれば、感受性の鋭いお前は傷つき、心を狂わしてしまうことくらいよくわかっていた。だけど、俺にはお前が必要だ。だからこうして何度も会いにきている。お前が期待するようなこと、俺はこの国で何一つしていない。相変わらずどんな人間にも武器を売り、目の前で大勢の人間が虐殺されてもなんとも思わなくなっている。ヴィタリー、もし俺の行動を止めさせたいなら、お前が俺を許せないなら、もう一度俺の前に姿を現せ・・・・もう一度目の前に来てくれ・・・・その日までずっと俺はこの仕事を続ける。いいか、人にはそれぞれ持って生まれた才能がある。それは呪いかもしれない。俺は商才という呪いを持って生まれてしまった。一度だけ、いや、死んでからもう一度、お前は俺の呪いを解いてくれようとした。でも、俺にかけられた呪いは、お前が思うより遥かに大きい。そのことをお前はわからなかった」
私の意識は足の間と鼻先から入る麻薬の匂いに集中した。
「ヴィタリー、愛している。俺は商売も金もどうでもよかったのかもしれない。ただ、お前と一緒に旅ができれば・・・・金なんかどうでもよかった。覚えているかい。ウクライナを出る船の上、震えるお前を抱きしめて、お前の柔らかな体に触れていると、俺の不安はかき消された。そこにいるんだろう、ヴィタリー、もっと側に来てくれないか。お前の青い瞳に女の子が夢中になるたびに、俺は嫉妬に気が狂いそうになった。お前に対してではないさ。お前ばかりがモテて、そりゃ、ちょっとは腹が立ったけどさ、おい、そこは止めろ、そんなに急がなくても、俺達はいつでも愛し合える。戦友として・・・・」
「戦友として・・・・」
私の体に絡みつき、纏わりついているもう一つの体を感じた。波の音が聞こえる、ここは海から遠く離れた場所なのに・・・・
−完ー
後書き
「ロード・オブ・ウォー」のユーリとヴィタリーの兄弟、この二人は弟のヴィタリーの方が兄が持つべきはずの感情や良心まで全部引き受けてしまっているようなので、弟の死後、この兄は精神的には大変なことになってしまうだろうなと思いました。それでも表面的には変わらず、冷血な商売人としてますます成功していく。こういう人生も大変だと思います。物語を書いていく中で、もう一度DVDを見直したりして新たな発見や感想を持つことができました。P様、リクエストありがとうございました。
2007、5、29
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