偵察(3)
「思ったより、風が強い。潮風が目にしみるなら船室に入った方がいい。せっかくの美しいアイラインを涙で流さないでくれ、ヘファイスティオン」
聞き覚えのある声、それに私のことをヘファイスティオンと呼び捨てに名前を呼べる者はこの船には乗ってないはず、私は恐る恐る振り向いた。そこにいたのはかなり背の高く、がっちりとした体型の女、裾を引きずるような長い衣装を身にまとい、頭と顔は布とベールに包んで全く見えない。彼女はベールを少しだけ上げた。
「アレキサンダー!なんでそんな格好を!」
「この姿なら俺だと誰にもわからないだろう」
「いつからここに?」
「昨日の夜からこの船の中にいた。見つからないようにするのは大変だった」
「どうして、こんなことを・・・・」
「新しい土地へ足を踏み入れる栄誉をお前に独り占めさせたくはない」
「君は王だよ、アレキサンダー。王、自らが危険を犯して偵察に行くなどという話は聞いたことがない」
「今までの王はみなそうだったかもしれない。だけど俺は違う。俺はアレキサンダーだ。未知の土地に真っ先に足を踏み入れ、新しい世界を作っていく・・・・それにお前と二人きりになりたかった・・・」
「アレキサンダー」
「遠征が続き、戦いで勝利を収めるほど、お前と過ごせる時間は減ってきた。俺が偉くなればなるほどお前にばかり目をかければやっかむ者が出てしまう・・・だから・・・」
私はアレキサンダーに抱きついていた。言葉がうまく出ず、涙があふれ出た。
「泣いてはいけないと言っただろう、ヘファイスティオン。お前がこの偵察隊の隊長だ。みなをうまく指示して船が無事目的地に着くようにしろ。俺はお前の船室で待っている。王が乗っていることはしばらく内緒にしておけ、わかったな」
アレキサンダーはまたベールをかぶった。その姿は本当に異国の女のようである。
「俺はお前が港街で気に入って買った奴隷の女ということにでもしておけ」
「私は女に興味を持ったことなど一度もない。宦官だって君が言うからしかたなく・・・」
「そう言っておけば誰も気にしたりはしない・・・・おい、一人来たぞ、うまくやれ」
兵士が一人、私達のいる甲板に向かって歩いてきた。
「ヘファイスティオン様、もう陸地は見えなくなっています。このまままっすぐ南に船を進ませればよろしいですか」
「ああそうしてくれ。ちょうどいい風も吹いてきた。できるだけ先へ進んでおこう」
「あまり気を落とされないで下さい。私達はみなユーメネス様からいろいろ言われていますけど、ヘファイスティオン様をアレキサンダー大王の代わりと思い、どこまでもついていく覚悟です」
「私はそんなに落ち込んでいるように見えたか」
「はい、正直言ってみな心配していましたが、お声をかけることもできず、そうしたらそこの女が・・・」
「ああ、この女は昨日気に入って買ったのだが、実によく気の利く女だ。大きな楽しみもできた。もう何も心配しなくてよい」
「では、失礼いたします」
兵士は歩いて行き、アレキサンダーもベールをかぶって歩いたが、その歩き方は王そのもので女物の衣装とはかなりアンバランスであった。私はアレキサンダーの腰に手を廻し、小声でささやいた。
「その歩き方では女でないとすぐばれてしまう。私につかまって、もたれかかるように歩いてくれ。部屋まで連れて行くから・・・」
「お前にもたれかかるのか・・・」
「静かに!誰か側にいるかもしれない」
それからわざと大きな声で話しながら、アレキサンダーを部屋まで運んだ。
「仕方がないな、初めての船旅でもう気分が悪くなったのか・・・私の部屋で休んで待っていろ。あまり船内を歩いてはいけない。わかったな」
偵察隊の隊長として、部下達と話し合ったり、食事を取ったりしているうちにあっという間に太陽が沈み、星が見えるようになった。アレキサンダーのことが気になったが、私の部屋には水や食料も充分においていたので大丈夫だろう。普段一緒に食事をとることもなかった兵士達と食事をすると、驚くほど彼らは喜んでくれ、楽しく話すことができた。他の将校達に嫌われていることがわかっている私は、食事の時も、作戦会議でもほとんどしゃべらなかったが、部下達に嫌われてはいないことがわかってほっとした。少しだけ飲むつもりがついワインの杯を重ねてしまい、フラフラになって自分の船室に戻った。
「遅い!ヘファイスティオン、遅すぎる。今まで何をしていた」
「何をって、部下と話をしたり・・・」
「それで俺のことはずっとほっておいたのか、俺はお前と二人っきりになりたくて、女の格好までして揺れる船の中でずっと待っていたんだぞ」
「ごめん、悪かった」
「お前はけっこう誰に対しても分け隔てなく接するから、将校には嫌われても、部下には人気があるんだろう。でも俺に対してそういうのはイヤだ。俺は特別扱いしてくれないと・・・」
「わかっているよ、アレキサンダー、まず何を君にしてあげればいい」
「風呂に入りたい。お湯をもってこさせろ」
「ここは船の中だ。そんなにたくさんのお湯は使えない」
「じゃあ、少しでもいいから持ってこさせろ。それから夜食も何か頼む。果物は皮をむき、肉は食べやすく小さく切って持ってくるように言え」
「わかったよ」
私は部屋の外に行き、お湯を頼み、夜食は食堂にあったものをもらってきた。
「肉はもっと小さく切ってあった方が食べやすい」
「これで充分だよ」
「バゴアスだったら・・・」
「わかったよ、小さく切ればいいんだろう」
私はナイフで肉を切ろうとしたが、どうもうまく細かくできない。
「下手だな、肉はこう切るんだよ」
アレキサンダーの手が私の手に重なった。私の胸はドキドキし、手は震えてうまく動かない。彼は肉の一切れをつまむと私の口に押し込んだ。
「お前は本当に不器用だ。バゴアスといると何もしなくていいが、お前と一緒だと俺の方が働かされる」
「・・・・・」
「お前といると、俺が手を出さなければならないから、自分が王であることすら、忘れてしまう。俺は王の子として生まれ、いつも人の手本となるような生き方をしろと言われ続けた。即位してからは物を食べる時はもちろん、寝る時ですら王としてふるまわなければならなかった。お前を抱いて、その温もりを感じたまま眠りにつきたいと思っても、それは許されない。バゴアスですら寝る時は離れてしまう。一晩中誰かに抱かれて眠れたらどんなに幸せな気分だろうといつも考えていた」
「アレキサンダー・・・今は君のそばにいることができるよ。一晩中、朝までずっと・・・」
「子供の時からお前はいつもそばにいたけど、ずっと一緒のことはなかった」
「一緒にいるために君は偵察を命じたのか」
「違う、偵察は必要なことだ。全軍を率いて未知の国に入り、全滅するわけにはいかない。俺は神の血を受け継ぎ、神に代わって新しい世界を作らなければならないのだから・・・だが神の子にも休息は必要だ。お前だけが俺に休息を与えてくれることができる」
「アレキサンダー・・・」
私はアレキサンダーに抱きついて口付けをした。
「ちょっと待て。俺はまだ食べている途中だ。ここにはロクサネもバゴアスもユーメネスもいない。お前だけだ、そうあせらなくてもよいだろう・・・」
「そうだけど・・・こんなこと初めてだから・・・・どうしたらいいかわからなくて・・・」
そういいながらも、アレキサンダーは私を抱く手に力を入れている。私もまた抱きしめる手に力を入れた。
−つづくー
後書き
偵察という名のハネムーンですね、これは(笑)。わがまま一杯の夫に苦労することがあってもやっと独り占めできて幸せなヘファです。熱い夜は続きます。ちなみにこのクルーズ、今のパキスタン辺りからインドへ向かっているという設定です。
2005、11、7
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