アレクサンドロスが山奥の族長の娘、ロクサネと正式に結婚するという話を聞いたとき、昔からの護衛仲間(ヘタイロイ)は誰もが反対した。複雑なソグディアナの地を征服するためには、ここの族長の力が必要ということは誰もが理解した。だが、それと王の結婚ということがどうしても結びつかない。今までアレクサンドロスはどれだけ多くのマケドニア貴族の娘との結婚を断り続け、遠征にのみ情熱を燃やしたであろう。だがそのおかげでマケドニア貴族やヘタイロイ達の間で均衡は保たれてきた。クレイトス、クラテラス、プトレマイオス、カッサンドロス、フィロタス・・・・誰か一人でもアレクサンドロスの結婚で親族となってしまえば、たちまちヘタイロイ達の間で彼が優位に立ってしまう。そのことを誰よりもよくわかっているヘファイスティオンは、彼が遅くまで結婚しないことをむしろほっとしていた。自分の親族が彼と結婚すればいいのだろうか?だが、両親が南方のポリスから移住してきたヘファイスティオンには家族以外に親族などマケドニアにはいなかったし、兄弟すら一人もいない。それに彼は血縁関係で自分が優位に立とうとは思わなかった。アレクサンドロスと自分の関係は純粋な魂と魂の結びつきであり、それ以外のものを入れることなど許せない。ヘタイロイみながこぞってアレクサンドロスの結婚に反対を唱える中、ヘファイスティオンはただ一人賛成意見を述べた。今、ソグディアナの族長と結びつくことがいかに重要であるか、マケドニア貴族の娘と結婚することがいかに危険であるか、などを細かな例を出して説明した。アレクサンドロスは満足そうに頷き、この結婚は決まった。もはや誰も反対することなどできない。
婚礼の日、アレクサンドロスとロクサネは鮮やかなソグディアナの衣装に身を包んだ。ヘファイスティオンもこの地方の衣装をつけた。だが、他のヘタイロイ達はみな伝統的なマケドニアの衣装を着て、せめてもの抵抗を示した。昼間から始められた祝宴は、夜遅くまで続いた。
「ヘファイスティオン、なぜ、こんなばかげた儀式に賛成した。あんな族長の娘を王妃として認めるくらいなら、バルシネの方がまだギリシャ貴族の血を引いているだけずっとマシだった。」
クレイトスが大声でヘファイスティオンに不満を言った。フィリッポス王の時代から仕えていた彼は、この結婚に最も反対した一人である。
「バルシネはペルシャの傭兵となったメムノンの妻であり、戦利品として側室にした。彼女を王妃にすることなどできない」
ヘファイスティオンも反論した。バルシネは今この遠征先にはいないが、アレクサンドロスは彼女を気に入り、生まれた子にヘラクレスという名前まで与えた。
「バルシネには子供まで生まれた。しかもつけた名前がヘラクレス、よほどお気に入りだったのだろう。ギリシャ人の血を引く王ならば、俺は仕えることができる。だが、こんな山奥の族長の娘から生まれた王など、絶対に王とは認めたくない。」
「何を言っている、クレイトス。アレクサンドロスはマケドニア出身であろうと、他のポリス出身の者であろうと、わけ隔てなくその能力で認めてきた。ペルシャ王の支配を受け継ぎ、よい部分を取り入れていく。マケドニア人かそうでないかなどという区別も、やがてはなくなる。」
「その方がお前には都合がいいからな、ヘファイスティオン。マケドニア貴族の生まれでもないお前がヘタイロイになり、まるで大臣か何かのように威張っているのは、アレクサンドロスに愛されているからだろう。どんな格好で受け入れているんだ。何を命じられても奴隷のように喜んで従うのか。どれほど抱き心地がいいか、一度でいいから試してみたい。そして抱かれながら囁かれた言葉を、そっくりそのまま俺達の前で言うのだろう。自分は本当はどうなんだ?心の中は嫉妬で煮えくり返っているくせに、そんなチャラチャラした派手な服を着て、さも祝っているように見せかけている。お前は戦では手柄を立てられないから、こういう時が手柄を立てる絶好のチャンスなのか。」
クレイトスはかなり酔っている。ヘファイスティオンもいつも以上にワインを飲んでいた。飲まずにはいられなかった。確かにクレイトスの言う通り、心の中は嫉妬で煮えくり返っていたのである。アレクサンドロスがバルシネを側室とした時、アキレウスの子ネオプトレモスが、ヘクトルの妻アンドロマケとの間に子をもうけた話を思い出した。敵のメムノンは憎んでも、その妻であったバルシネは大切に扱う、それが彼の優しさなのである。バルシネだけではない、ペルシャのダレイオス王の妻と子、後宮にいた数多くの女や宦官達、誰に対しても精一杯昔と変わらない生活を保障した。宦官の少年バゴアスを愛人にしたのも、そうした優しさの表れであろう。そんなアレクサンドロスの優しさをヘファイスティオンは愛し、大切にしたいと思ってきた。だから彼らに対して嫉妬など持つはずもない。だが、今度のロクサネの場合は違う。こちらの方がはるかに勢力は上なのだから、正式に結婚などしなくても、族長は喜んで娘を差し出していただろう。契約的な意味合いがなければ、なぜアレクサンドロスはロクサネを・・・・まさか本気で好きになってしまったのだろうか。いや、そんなはずはない・・・・
「どうした、何も言えないのか。せいぜいワインでもたくさん飲んでおくんだな、ヘファイスティオン。今夜はどんなに体が疼いても、アレクサンドロスに慰めてもらうのは無理だから・・・・」
「何を言う!」
ヘファイスティオンは立ち上がった。彼はクレイトスの目の前に行き、こぶしを振り上げた。だが、その手を後ろから素早く押さえる者がいた。カッサンドロスである。彼はこうした時、力など使わなくても、どの指を使ってどう押さえれば相手は動けなくなるかをよく知っている。
「誰だ、手を離せ!」
「ヘファイスティオン、ソグディアナの族長がお前をさがしていた。交渉の時、何度か通訳の代わりしたのだろう。クレイトス、彼はマケドニアの数少ない大切な通訳だ。ケンカはまた別の時にやってくれ。」
カッサンドロスはサラリというと、ヘファイスティオンの手を掴んでさっさと歩き出した。
祝宴の場を離れ、カッサンドロスはそれぞれの天幕が張ってある場所まで、ヘファイスティオンを連れて行った。見張りの兵士が持つ松明の明りが少し離れた場所に見えるぐらいで、足元は暗い。
「ソグディアナの族長はどこにいる。これは俺達が使っている天幕だ。」
「俺の天幕に来ている。そこで交渉をしろ。」
「嘘をつけ、族長など始めから用はなかった。」
「そうかもしれない、だが、俺はお前に話がある。」
「騙されていたのか。それなら向こうに戻る。
「そういうわけにはいかない。今戻ればこの美しい顔に傷がつく。お前がクレイトスとケンカをして、勝てるわけがないだろう。」
「だが、アレクサンドロスのところに戻らなければ・・・・」
「祝宴など適当にやらせておけ。どうせいつもは暇な小姓が、この時とばかりせっせと働いているさ。さあ、着いた、俺の天幕だ。みんな向こうに行ってしまって、この辺には誰もいない。ゆっくり話すにはちょうどよい。」
「話って何を・・・・」
「まあ、入れ。」
ヘファイスティオンは渋々ながら天幕に入った。正直言ってこのカッサンドロスとは子供の時からどうも相性がよくない。ミエザにいた時、ヘタイロイの仲間で集まっている時、彼の口からヘファイスティオンに向けて出る言葉は、悪口、嫌味、皮肉というようなものばかりだった。
「そこの椅子に座れ、アレクサンドロスのものに比べれば見劣りするだろうけど、なかなか広いだろう。」
確かにカッサンドロスの天幕は、外から見たよりもずっと広く、遠征先とは思えないほどの豪華な調度品が並べられていた。
「話ってなんだ?」
「俺は子供の頃、自分は世界で一番美しい人間だと思っていた。」
「なんだ、自慢話か。」
確かにカッサンドロスは長いサラサラの金髪と彫刻のような顔立ちで子供の頃からよく目だっていた。そして自慢話も大好きで、彼の話に周りのヘタイロイ仲間ー彼らは子供の頃からアレクサンドロスと一緒に教育と訓練を受けてきたーはうんざりしていた。だが、彼の自慢の内容はもっぱら家柄や父アンティパトロスに関することで、顔についての自慢はあまり聞いていない。
「自分は世界一美しく、頭もいい人間だと思っていた。世界一強いとは思わないけど。」
「確かにお前の顔は、子供の頃から目立っていた。」
ヘファイスティオンは面倒な顔をして答えた。自分はアレクサンドロスの結婚について考えなければならないのに、どうしてこんな好きでもないやつの顔について語らなければならないだろう。そもそも彼はずっとアレクサンドロスに夢中になっていて、他のヘタイロイ仲間のことなど、ほとんど眼中にはなかった。
「その俺が、初めてお前に会ったのは12ぐらいの時だったかな、お前を見てかなり驚いた。」
「別に俺は特別美しくもないし、特別変な顔でもない、子供の時から・・・・」
「そうなんだよ、ぱっと見るとお前の顔はよくある顔なんだよ。だけどなんか違うんだよな。怒った顔と落ち込んだ顔と喜んだ顔がまるで違っていて・・・・お前、不器用だから槍とか投げる時、すごいしかめっ面しているんだよ。それがたまたま偶然、滅多にないことなんだけど、うまく的に当たると、一瞬こうなんていうかなあ、太陽が輝いたような笑顔になるんだ。それが美しいんだよ。俺にはあんな顔はできない。」
「ああそうか、それなら昔からもう少し人を喜ばせる言葉を言えばいいだろう。お前の口からは悪口と嫌味しか聞いたことがない。そんなお前にきれいだなんだと言われてもちっともうれしくない。特別な用がないなら、もう戻る。」
「やめておけ、お前が戻ってもイライラするか、他のヤツに殴られるだけだ。みんな恨んでいるぞ、お前さえ賛成しなければアレクサンドロスだって考え直したはずなのに・・・・」
「誰も理解しなくても、自分だけはわかっていたい。アレクサンドロスはマケドニアとか、貴族の権力争いとか、そんな狭い世界は見ていない。彼の目は、もっと遠くを見ている。せめて俺だけでもそれを理解していたい。」
「そうやって、自分を誤魔化し、ボロボロになっていくのか。お前はいつもそうだ。バルシネの時はアキレウスの子ネオプトレモスのようだと思い、バゴアスの時は、ペルシャ王に仕えた者を、卑しい男に触れさせたくはないから自分の愛人にしたと納得している。そうやって自分の嫉妬心を押さえ、輝きを失っていく。そんなお前を見ているのが辛い。昔の輝きを取り戻らせたい。」
「お前に何がわかる。俺の心はアレクサンドロスのものだ。自分の天幕に戻る。」
「戻ってどうする。気も狂うばかりに高ぶった気持ちを抑えるために、自分で自分を慰めるのか。やめておけ、お前は自分の体を傷つけてしまう。傷つけない方法を教えてやる。」
「お前の慰めなど必要ない!」
「そうか、怒っている顔も魅力的だ。自分の精神を保つことができるなら、もう少しここにいろ。いいワインがある。本気でアレクサンドロスを愛しているなら、どんな誘惑にも負けないはずだ。」
「ああ、お前の誘惑になど決して負けない。」
ヘファイスティオンはカッサンドロスの差し出すワインに口をつけ、一息に飲み干した。胸が熱くなったが、意識はしっかりしていた。何を言われても、誘惑に負けることなどない。カッサンドロスの美しい顔を睨みつけた。
−つづくー
後書き
Dさまからの2周年記念リクエスト「ラブラブのカッサン×ヘファ」です。月が溶かされる!などと衝撃的なタイトルを使っているわりには、私の書くカッサンは自意識過剰で傲慢で、なんだかヘファがますます固くなっていくのですが、次回頑張って溶かしてみせます(笑)
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