月の溶かされる夜(2)

「お前は疑うということを知らないのだな」

ヘファイスティオンが一息に飲み干したワインの器を見て、カッサンドロスは微笑みを浮かべた。

「俺がここに毒を入れるとは考えないのか」
「ミエザの仲間を疑うことなどしない。アレクサンドロスも同じだ」

ヘファイスティオンとて王に仕える主要な側近の一人なのだから、当然王や自分自身が口にするものに毒を入れられてはいないか、常に気を配っていた。だがアレクサンドロスは、そうした警戒心を騎兵隊の中から特別に選ばれた護衛仲間、ヘタイロイの前で見せることは決してなかった。特にミエザの学校で共に学んだ仲間、ヘファイスティオン、カッサンドロス、プトレマイオス、フィロタスなど8人に対しては、王の友として常に対等に意見を言うことが求められ、疑いを持つなどということは決してない。

「ミエザの仲間か。あの頃の俺達は対等に意見を交わし、議論をすることができた。だが、今はそうではない。俺達が戦いで勝利を掴むほど、アレクサンドロスは王としての権力を手に入れ、俺達の言葉など聞かなくなった。今、対等に話せるのはお前ぐらいだろう。お前はこの美しい体を差し出して、王と対等に話す権利を手に入れた。他の誰かの誘いに乗ることは決してなく・・・・」

カッサンドロスの滑らかな手がヘファイスティオンの頬に触れた。彼の手がヘファイスティオンの体に触れること、それは初めてではなかった。当時のマケドニアの少年達は、他のギリシャ諸都市と同じように、ほとんどの場合は女を知るよりも先に男同士の経験をしていた。それは年上の男に誘われる場合もあれば、気の合う仲間同士で行うこともある。親元を離れて兵士の宿舎や王宮内に特別に与えられた部屋、あるいは学校の宿舎などで生活する少年達にとって、そうした行為は食事を取り、訓練を受けるのと同じくらい日常生活のごくありふれた行為であった。15歳くらいまでには一通りの経験は済ませてしまい、その後本当に一人の相手と付き合うようになるか、それとも女に興味をもつようになるかがほとんどだった。だが、ヘファイスティオンは13歳から16歳までのミエザの宿舎にいた時も、その後、ヘタイロイとして王宮に住むようになってからも、そうした関係は固く拒んできた。少年時代のヘファイスティオンは背が高くスラリとしていても顔立ちはまだあどけなく、ミエザの仲間はもちろん、もっと年上のヘタイロイ仲間からも本当によく誘われていた。

「今のお前も美しいが、あの頃のお前はもっと輝いていた。誰がお前を手に入れるか、みんなで密かに競い合っていたぐらいだ。アレクサンドロスなど問題外だった。王子と関係を持つ危険性は誰もが知っていたから、誰も手を出そうとは思わなかった。それなのにお前はそうした誘いをすべて断り、アレクサンドロスだけを見ていた。実際に関係を持ったのは、ずっと後になってからだろう。ミエザにいた頃はまだ何もなかった」
「なぜ、そんなことまでわかる」
「俺はお前が思うよりもずっと長くお前を見ていた。気付いてないだろうが・・・・」

確かにアレクサンドロスはミエザにいた頃、ヘファイスティオンと抱き合って眠り、耳元で愛の言葉をささやいても実際の行為に及ぶことは一度もなかった。二人ともその方法などは周りの友人にいやになるほど聞いていたが、自分たちもすぐ同じことを試そうとは思わなかった。自分達の愛は、ただお互い快楽を求め、好奇心や欲望を満足させるものではない。同じ一つの魂を持った者同士が体を一つに合わせる神聖な儀式であるのだから、そう簡単に行ってはいけない、はっきりとした言葉に出さなくても、どちらも同じように考え誓い合っていた。二人が初めて結ばれたのは、王の遠征中にトラキアでマイドイ人の襲撃があり、アレクサンドロスが指揮官となって急に征伐に向かわなければならなくなった前の晩である。

「ヘファイスティオン、恐れなくてもよい。今までの訓練の成果が試されるだけだ」
「でも、もし君や僕にもしものことがあったら・・・・アレクサンドロス、君はまだ一度も実際の戦いなど経験していない」
「経験などなくても、この体に流れるアキレウスとヘラクレスの血が、俺がどう戦えばよいか教えてくれる。お前にも同じ血を分け与えよう」

ヘファイスティオンは身につけた衣服をすべて取り、アレクサンドロスの前に身を横たえて目を閉じた。このような時、あらかじめどのような準備をしておけば痛みを感じずに快楽を得られるか、おせっかいな友人からイヤというほど知識を与えられていたが、何も準備をしないという方法を敢えて選んだ。アレクサンドロスの考えも同じであった。初めての者同士、しかも古来より様々に伝えられた方法を一切使わずに直接肉体と肉体を擦り合わせるその行為は、二人に想像を絶する痛みと苦痛を与えた。だが、アレクサンドロスは顔を歪めながらもさらに体の奥深くへと進んでいった。ヘファイスティオンは目を閉じ、懸命に唇をかんで声を出すのを抑えた。これは儀式であり、自分は神の前に捧げられた生贄の羊と同じである。激しい痛みの中、彼は声を出すことも、ほんのわずか体をずらすことも自分自身に許さずに、耐え続けていた。体に打ち込まれた巨大な杭が自分の体を貫き通すのを感じた。アレクサンドロスとの行為は神との交わり、神の血を持たぬ自分が、神と交わるためにはそれ相応の痛みが必要である。ヘファイスティオンは耐え続けた。ギリギリまで肉体の痛みに耐え、意識を失う直前、確かに神アレクサンドロスの体液が自分の体に注ぎこまれ、自分の血となって流れるのを感じた。





「お前にとって、アレクサンドロスとの行為は儀式だ。違うか?神の子である彼の血を分け与えてもらい、自分の肉体を生贄として差し出す。どんな痛みにも喜んで耐える。お前とアレクサンドロスの関係は、神と人間の関係だ。人間同士の愛ではない」
「うるさい、お前に何がわかる!」
「おっと危ない、こんなもの投げつけられて、俺の顔に当てられたら大変だ。今まで随分多くの戦いに参加してきたが、この顔にだけは傷をつけないように注意してきた」
「そんないい加減な気持ちで戦っていたのか!俺はいつだって死ぬか生きるかのギリギリのところで戦っていた。死の恐怖に怯えながらも、決してそれを人には見せずに戦ってきた。顔に傷をつけないよう気をつけてきた?そんなこと考える余裕があるのか!」

激しい怒りを感じたヘファイスティオンはワインの入っていた器を掴んでいたが、その手首をカッサンドロスのしなやかな手で押さえられていた。

「余裕なんかないさ。敵だって死ぬか生きるかのギリギリのところで戦っている。油断すればこっちがやられる。だが、自分がいかに傷つかずに相手を倒せるか、何度も戦いを経験する間に自然にそのコツがわかってきた。お前にも教えてやるよ。そうすれば体にやたらに傷をつけることもなくなる」
「お前のようないい加減な人間が手に入れたコツなど知りたくもない。俺はただ、アレクサンドロスと同じように戦うだけだ」
「やめておけ、お前がどうあがいたところで、アレクサンドロスのようには戦えない。彼は神の子、俺達は人間だ。お前は今、俺に押さえられて手を動かすこともできない。アレクサンドロスなら軽く動かせるだろう。お前の力など、しょせんその程度だ」
「これぐらい、俺だって本気を出せば・・・・」

ヘファイスティオンは懸命に押さえられた手を動かそうとするが、どうにもうまく力は入らなかった。手だけではない、足がふらつき、眩暈を感じる。もう酔ってしまったのだろうか。

「お前、まさか、さっきのワインに何か入れたのか?」
「俺は人間だ。どう頑張っても神には勝てない。だから時々小細工もする」
「卑怯者!ミエザの仲間をアレクサンドロスは決して疑わないと知っていて・・・・」
「アレクサンドロスの信頼は守るさ。これからもずっと彼はミエザの仲間を疑ったりなどしない。ただ、生贄の子羊が、今にも死にそうになっているから、助けてやろうとしているだけさ」
「どうして俺が生贄の子羊なんだ!」
「強がりを言うな。お前はもう俺に逆らえない」

カッサンドロスは立ち上がり、ヘファイスティオンの腕を掴んで椅子から立ち上がらせた。唇を重ねて舌を無理やりいれ、手で胸をまさぐり乳首を軽く摘んだ。ヘファイスティオンは顔をそらし、唇を噛み締めた。

「無理をするな、こんなに感じやすい体を持ちながら、神の生贄にだけ使っていたとはもったいない。お前はまだ本当の快楽を知らないだろう」
「快楽など、いくらでも女を使って・・・・」
「それもまた、アレクサンドロスにあてがわれた女や小姓を使ってだろう。お前の肉体はそんなことでは満足しない。アレクサンドロスに扱われるのと同じようにいたぶられながら、しかも快楽を引き出すやり方が必要だ。男を本気で喜ばすのは、女を喜ばすより何十倍も難しい。だが、一度そのやり方を完璧に覚えてしまえば、これほど役に立つことはない。自分の周りにいる部下の兵士、小姓の中からこれはと思う男を選び、最高の喜びを与えておく。そうすれば毒殺される危険など絶対になくなる。戦いの時には、自分の命を捨てても俺を救おうとする」
「お前と俺では考え方が違いすぎる。俺は自分の天幕に戻る」
「こんなフラフラした足取りで戻れるのか?それよりも俺を試してみろ。お前とアレクサンドロスの絆が本物なら、俺との行為など与えられた女を使って欲望を処理するのと変わりはないだろう。お前の体は求めているさ、神ではない、人間に愛されることを・・・・」
「何をする・・・・アアー・・・・」

ヘファイスティオンの口から、かすかな喘ぎ声が漏れた。カッサンドロスの手は彼の体の中心を握り締めていた。手で刺激を与えられれば、たちまちそれは起き上がり、激しい欲望が体の中心に集まった。

「ヘファイスティオン、感じるままに声を出してみろ。お前に本当の喜びを教えてやる」

カッサンドロスの滑らかな指が、体の中心に潜りこんできた。ヘファイスティオンは必死に声を抑えた。アレクサンドロスとの行為の時、自分は意識を失うほどの痛みですら声をあげずにいた。体をずらしもしなかった。どれほどたくさんの夜、そうやって彼を受け入れ、その血を自分のものにしてきただろうか。それに比べればカッサンドロスの指など、たいしたことはない。

「カッサンドロス、ここで立っているのは辛い。ベッドに行ってもいいか」
「やっとその気になったか」
「早く終わらせてくれ。祝宴の終わる前に・・・・」
「本当に祝福されるべき人間はお前の方だ」

指を抜かれて自由になったヘファイスティオンはフラフラした足取りでベッドに向かった。これは、自分の意志ではない。カッサンドロスに騙され、酔わされているだけだ。早く終わらせてくれればいい。バタリトとベッドに倒れた彼は、無意識のうちにシーツを固く握り締めていた。アレクサンドロスとの夜、そうやって自分の叫び声を喉で抑えていたのだった。だが、体に力は入らない。何を飲まされたのだろうか?


                                −つづくー



後書き
 カッサンドロスは美しいだけでなくありとあらゆるテクニックを知っていて、周りの者を支配していたという設定です(本当かな?)一方のアレクとヘファは無理をして、わざわざ困難な方法を選ぶというタイプの人間です。こんな二人が関係を持つことになったらどうなるのでしょうか。楽しみです(笑)


目次に戻る