約束の場所(11)
「ヘファイスティオン、目をそらすな!俺の目をよく見るんだ、違う!そうじゃない!」
わずかにあいた時間をみつけては、アレキサンダーは私に剣の稽古をつけてくれるようになった。毎日の教練で少しずつ槍や剣に対する恐怖は薄らいできたが、それでもまだ仲間の中で私が一番に弱く下手であった。
「少し休もうか・・・・いいか、ヘファイスティオン、怖れを持ってはいけない。恐怖を感じた瞬間に負ける。アキレスやパトロクロスは恐怖を感じ敵に後姿を見せたことがあるか?」
「無理だよ・・・・僕はアキレスやパトロクロスのようにはなれない。教練でみんなについていくのが精一杯でとても本当の戦いになど出られそうもない」
「何言っているんだ!お前は俺と一緒にどこまでもついてくる、そう約束しただろう。俺の行く先には必ず戦いがある。さあ立て、もう一度やるぞ!」
アレキサンダーの真剣な眼差しは私を捉えて離さない。私は必死に彼の目を見つめ、動きを追いかけて剣を振り回した。私の剣が彼の手にある剣を叩き落し、彼の体を捉えた。
「そうだよ!ヘファイスティオン、その調子だよ。よくやった・・・・よくやった・・・・わかっているよ、俺だって本当はお前が槍や剣を扱い戦いに行くよりも、ホメロスの詩を朗読したり、難しい他の国の言葉を覚えたりすることのほうがずっと得意だって・・・お前を戦場に連れて行こうとするのは俺のわがままかもしれない。でも俺はどんな時でもお前と一緒にいたいんだ。だから強くなれ、ヘファイスティオン」
彼は泣きながら私を抱きしめた。私もまた彼の体を強く抱きしめた。
ようやく恐怖が薄れ、夢にうなされなくなって希望を掴みかけた頃、また私の心は粉々に打ち砕かれた。フィリッポス王の命令で前と同じ神殿跡に向かう道、生贄にされる獣のような足取りで歩いた。
「ヘファイスティオン、俺が遠征で留守にしていた時、王宮ないで変わった動きはなかったか」
「わかりません。私はずっとミエザにいました。王宮内で何かあったか、噂は何も聞いていません」
「では、ミエザではどうだ。仲間内で変わった動きをする者は・・・特にラゴスの息子プトレマイオスなどは歳もお前たちより上で、賢い子だという噂を聞いた。お前たちに何かよからぬことを言ったりはしないか」
「いいえ、何も言われていません」
「では、オリュンピアスからの手紙は・・・お前、全部読んでいるのだろう・・・」
オリュンピアス王妃の名前を聞いて私は顔色が青ざめた。フィリッポス王に対する様々な侮辱を書き連ねている手紙、それをどこまで話していいものやら・・・・
「また前のように痛い思いをしないとお前は正直に話さないか」
「いえ、そんなことはありません。なんでも話します。どうかそれだけはやめてください。お許しください」
「お前のその許しを請う姿、声・・・・なんと欲望を掻き立てることか・・・・お前は強い心を持っている。息子の不利になるようなことはそう簡単には話すまい。拷問にでもかけなければ・・・ここに来い!この者を押さえつけろ。拷問にかける」
外にいた兵士数人がいっせいに入ってきた。
「フィリッポス王、お止めください。彼はまだ子供です。どうかそのような酷いことは・・・・」
「パウサニアス、かってのお前もこれぐらいの歳の時は大いに俺を喜ばせた。あの頃の俺はまだ両目が見え、世界はもっと美しく見えていた。皆の尊敬を集めていた。それが今ではどうだ。ちょっと目を離せば誰もが裏切る。陰で侮辱し陰謀をたくらむ。聞きださねば・・・こいつは何もかも知っている・・・聞き出さねば・・・陰謀の企みを・・・しっかり押さえていろ。暴れたら怪我をして死なせてしまう。決して死なせるな、いいな」
私の服は剥ぎ取られ、体を強く押さえつけられた。前と同じ怖ろしい拷問
「やめてー・・・・イヤー・・・・アアー・・・・ギャー・・・・うわー!」
ありとあらゆる叫び声を上げ、半狂乱になってのたうちまわった。尻の穴から刃の折れた槍を差し込まれ、内部をかき回される怖ろしい痛み、とても耐えられるようなものではなかった。
「さあ、言うんだ。オリュンピアスは手紙でなんと・・・・」
しばらくの間手を止められ、泣きながら覚えている限りのことを話してしまう。激しい怒りと屈辱で槍を持つ手に力が入り、容赦なく奥まで差し込まれる。あまりの痛さで絶叫し、意識を失うことすらできない。
「ああー!・・・・いやー・・・たすけて・・・ウワー・・・ヒイー・・・アアー!」
「ヘファイスティオン、目をそらすな、俺を目を見ろ」
「アレキサンダー・・・・たすけて・・・・」
「俺の目を見るんだ」
ふっと体が軽くなり、意識が遠くなった。
「誰もが俺を侮辱している。この目は一つになった時、よりはっきり見えるようになってきた。殺してやる、陰謀を企む者は皆殺しだ・・・ヘファイスティオン、お前だけだ。この俺に忠実なのは・・・・よくしゃべってくれた・・・辛かったか」
再び痛みで意識を取り戻した時、私の体はフィリッポス王の下で激しく揺さぶられていた。
「お前はアレクサンドロスを愛しているのだろう・・・その名を叫んで意識を失った」
「いいえ、私は・・・・だれも・・・どうかこれ以上・・・」
「怖れるな、お前に対する尋問は終わった。お前だけは俺に忠誠を誓うのだな・・・」
「はい、・・・・どうかおゆるしを・・・・」
言葉は途切れ途切れだった。何を考えているのかもわからなくなってきた。
「パウサニアス、手当てをしておけ」
また同じ名前が聞こえた。名前などどうでもいい・・・私はどうすればいいのか・・・神殿跡の彫像は壊れかけ、何も答えてはくれない。
「ヘファイスティオン、今ならフィリッポス王もたくさんの側近達も遠征に出かけてマケドニアにはいない。無事逃げられる」
「父上・・・・」
「お前がどんな酷い目にあったか、こっそり知らせてくれる者がいた。アリストテレス先生も驚いていたが、力になると言ってくださった。全て準備はしてある。マケドニアを出よう」
父と二人だけで話すよう、少し離れた場所に呼び出された。フィリッポス王から呼び出されたすぐ後のことである。
「何も心配しなくていい。フィリッポス王は狂っている。お前のような子供にあれだけ酷いことをするとは・・・いくら戦いで勝っても狂った王が治めているのでは、やがてはこの国も混乱の渦に巻き込まれ、滅びてしまう。別の国へ行こう。贅沢はできなくても家族3人穏やかに暮らすことができる。お前を王宮に連れていったのが間違いだった」
「父上、僕のために国を出ると・・・・」
「そうだ、もうこの国にはいられない」
「僕はマケドニアを離れません。ずっとこの国にいます」
「何を言っている。お前、脅されているのか?家族を殺されるとか・・・皆で国外へ行く」
「いいえ、脅されているのではなく、僕がここにとどまりたいからです」
「あれほど酷い目にあってもか」
「僕は逃げることができます。でもアレキサンダーは逃げられません。王家の者が背負わなければならない憎しみや孤独や裏切り、狂気などやがては彼が受け継がなければなりません。狂気に怯えながらそれでも国を守り、戦い続けなければなりません。アレキサンダーは逃げることができないのです」
「でも、お前はアレキサンダー王子ではない」
「僕もまたアレキサンダーから逃げることはできません。酷い拷問を受けて気を失いそうになったとき、彼の顔が見えて、目をそらしてはいけないって・・・・彼に向かって僕も微笑んだ・・・安心して、僕は決して逃げたりしないから・・・」
「だけどお前、このままではフィリッポス王に殺される!」
「殺されてもいいんだよ・・・殺されても僕が最後まで逃げなかったことがわかれば、約束を守ったことさえ伝われば・・・彼は僕を信じることができる。フィリッポス王は誰も信じることができなくて・・・でもアレキサンダーには僕がいるんだよ。僕を信じれば、彼は気が狂わない。僕を信じれば・・・・・」
私は泣いていた。父は私を抱きしめ、しばらくの間何も言わなかった。
「アリストテレス先生はこうおっしゃっていた。もし国外に逃げると言うのであれば、できる限り力になろう、だが彼は決して逃げようとはしないだろう。なぜならば、彼が彼として生きられるのはアレクサンドロスのそばにいる時だけだからだ、そう言われた。私には先生の言われることの真意を汲み取るだけの力はない。だがお前がその道を選ぶというのであればもう何も言わない」
「すみません、心配ばかりかけて・・・」
「いつまでも子供だとばっかり思っていたが、お前はとうに私を追い越していたのだな」
「そんなことないです。僕は弱くて力もなくて泣いてばかりで、このミエザで一番の落ちこぼれです」
「そんなことはない、お前は誰よりも強い心を持っている」
「力は弱くて、剣でも投げやりでも勝ったことがないし・・・・そろそろ戻らないとアレキサンダーが心配するから・・・また来てください。次来てくれる時までには、誰か一人ぐらいには勝てるようになっています。アレキサンダーやカッサンドロスには絶対無理だけど、フィロタスぐらいだったら・・・・」
「そうか、楽しみにしているぞ」
父はペラへと戻っていった。私自身これからどうしたらいいのかはっきりした答えが出せているわけではなかった。ただアレキサンダーのそばにいたい、その思いだけが13歳の私を支えていた。
−つづくー
後書き
突然名前が出てきたパウサニアス、フィリッポス王を暗殺した人物です。王の寵愛を受け、成人してからは近衛兵として仕え、王の栄光も狂気もすべて見てしまった人だから暗殺したのかな、などと考えてしまって・・・ストーリーとは直接関係ありませんが・・・
2006、3、7
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