約束の場所(13)

フィリッポス王の遠征は長く続いた。マケドニアにとっては不安な日々であろうが、ミエザにいる私には平和な日々が続き、15歳になった。

「ヘファイスティオン、まだだめか?」
「僕はなかなか大人になれない。体も一番小さいし、力も弱い」
「気にすることはない。お前は誰よりも頭がいいし・・・それぞれ向き不向きということがある」

アレキサンダーは私を気遣ってはっきりとは言わないが、日々の教練の中で、私が戦士としてはまったく才能がなく、不向きであるということは気づいていた。

「お前がいてくれるから、俺は安心して眠り、やがては戦いにいく勇気も与えられる」

そう言葉ではなぐさめてくれる。だが戦いで役に立てず、一緒に寝ることすら拒んでいる私はいつまで受け入れてもらえるのだろうか。ミエザにいる仲間たちはみなとっくに経験してしまっているだろう。そしてアレキサンダーには結婚の話まで持ち上がった。珍しくオリンピュアス王妃自らがミエザを訪れた。

「ヘファイスティオン、母上がまた何か余計な話を持ち出してきたようだ。一緒にいてくれ」
「でも、僕がそばにいると、ますます王妃様の機嫌が悪くなるのでは・・・・」
「機嫌を悪くしてさっさと帰ってくれればいい」
「アレキサンダー・・・・」





「マケドニアの王になろうとしている者が暮らしているというのに、まあ、このミエザは随分質素なこと。壊れた神殿が近くにそのままになっているではありませんか。王が急いで作らせたから無理もないのかもしれないけど・・・」
「母上、私はここで充分快適な生活をしています」
「レオニダスは厳しさと質素な生活を混同しているようね。まあ、いいでしょう、お前も来年はペラに戻ってくるのですから・・・」

オリュンピアス王妃は広間のソファーに悠然と座り、アレキサンダーに向かって話しかけている。

「ヘファイスティオン!お前はそこで何をしているのですか!私とアレクサンドロスの話を盗み聞きなどはしたない。さっさとここから出ていきなさい!」

部屋の隅に隠れるようにして座っていた私はすぐに見つかってしまった。

「母上、私がヘファイスティオンにもそばにいてくれと頼んだのです」
「まあ、お前は昔はこの母がいないと泣いて探すような子だったのに、今ではそれがヘファイスティオンですか?15にもなって、1人では何もできない」
「そうです、私はヘファイスティオンがそばにいてくれないと安心できないのです。10歳の時からずっとそうでした」
「では結婚してその娘を王宮に住まわせた後まで、ヘファイスティオンと一緒に暮らすというのですか!」
「母上、私はまだ結婚する気など少しもありません」
「そうよね。普通の15歳の子ならそう考えるでしょうね。でもね、あなたは普通の子ではないのよ。やがてはこのマケドニアの国王となるべき立場にいるのよ。おまけにあの男は来年お前が16になってペラに戻ってきたらすぐにでも遠征に行かせるつもりなのよ。わかるでしょう。それまでに結婚して跡継ぎを作らなければ・・・」
「私はまだそんな気は全くありません」
「そこにいるヘファイスティオンで満足しているから女は必要ないということなのかしら。でもね、アレクサンドロス、もうひとつ忠告しておくわね。友を選ぶなら、やがて自分の側近にするつもりなら、もう少し強い子を選びなさい。レオニダスに聞きました。槍や剣を持つだけで手が震え、落としてしまうらしいじゃないですか。そんなことで王を守れるとでも思っているのかしら・・・あの男もそういうところがあるわね。パウサニアスなんて見た目がきれいなだけでまったく実力のない男を寵愛して近衛兵の隊長にしているから・・・いざ戦いという時に、あの男は逃げ出してそれで片目をつぶしたと言うではないですか。それなのに相変わらずパウサニアスはお気に入りで近衛隊長のまま・・・・お前も見た目だけで選んでは今に大怪我しますよ」
「母上、ヘファイスティオン本人の目の前でよくもそのようなことを!」
「それぐらい言わないとお前は目を覚まさないからよ。いいですか、男同士はほどほどにして、結婚について考えなさい。私もいろいろ探してみますから・・・」
「わかりました、母上のお考えももっともですので、そのように考えておきます」
「わかってくれたのね。待っていますわよ、私の愛する息子、アレクサンドロス」

アレキサンダーの言葉に気をよくしたオリンピュアス王妃は喜んでペラへと戻っていった。

「アレキサンダー、本当にペラに戻ったら結婚を・・・」
「するわけないだろう。ただそうでもいっておかないと、またいろいろな話を持ち出されてうんざりするからな」
「ペラに戻ったら?」
「戦いが続いていたらさっそく父上の軍に加わるさ。母上も遠征先まではついてこないから・・・あ、お前はもし戦が怖いようならペラで待っていればいい」
「君と一緒には行かれないのか」
「そうじゃない、お前が待っていてくれると思えば、俺は戦で決して死なない。そういうことだ」





オリンピュアス王妃がミエザに来たという話はすぐに遠征先のフィリッポス王にまで伝わってしまった。私はまた内密に戻ってきた王に呼び出されてしまった。前と同じ神殿跡、真夜中にである。

「ヘファイスティオン、久しぶりだな。お前は少しも変わらない。戦で血と泥にまみれた兵士ばかり見ていた目にはお前の美しさは特別輝いて見える」
「お願いです。私は役割を果たし、どんなことでもお話します。だからどうか・・・・」
「何もするなと言いたいのか。なぜ俺がわざわざ戦の最中に戻って来たかわかるか」
「オリンピュアス王妃がミエザまでこられました。どのような話をアレクサンドロス王子としたか・・・私はその場にいてしっかり二人の話を聞いていました。全てお話しします。だからどうか・・・・」
「相変わらず賢いな・・・俺の考えなど全てお前は見抜いている。賢いお前が何もせずに真実をしゃべると思うか?」
「話します、だからどうか・・・お願いします」
「フィリッポス王、私からもお願いします。どうか彼を酷い目にあわせないでください」
「パウサニアス、お前、誰に向かって口を利いている」
「もとはと言えば私があの時、お守りできなかったためにこのような傷を負われて、あのような不始末をしでかし、どのような罰をも覚悟していましたが、王は私をお許しになられました。今彼を拷問するというのなら、どうかあの時のことを思い出し、私を拷問にかけてください。その声を聞いただけでもおそらく彼は震えだし、全て真実を話すでしょう」
「やめてください。私はすべて話します、どうかそのようなことを・・・・」
「フ・・・おもしろい・・・逃げてばかりいたお前が他のやつのために自らを拷問にかけろと頼むとは・・・その美しい顔がどのように歪んでも知らぬぞ」
「構いません、元はといえば私があの時・・・・」
「やめてください!お願いです!」

私はたちまち他の兵士に取り押さえられた。

「その子には拷問の様子など見せないでください。ただ声を聞けば充分怖れ」
「わかった、外に出せ。合図をしたら中に入れろ」
「やめてください!」

私がいくら叫んでも体の大きな兵士達に両腕を捕まれ、神殿の外に出された。続いてすさまじい叫び声や呻き声が聞こえてきた。私も以前同じ声を上げていたに違いない。叫び声は急に弱くなって途切れたかと思うと、再び激しくなった。どれぐらいの時が過ぎたのだろうか。ただ怖ろしく震えたままその叫び声を聞いていた。やがて悲鳴は完全に途絶え、中に入るように促されたが、その場に座り込んでしまい、立ち上がることすらできなくなっていた。引きずられてフィリッポス王の前に出た私はオリンピアス王妃がアレキサンダーに話したことを、すべて話してやっと解放された。





意識を失っているパウサニアスと数人の兵士を残して、フィリッポス王はまた急いで遠征先へと戻った。

「ヘファイスティオン、何をぼんやりしている、早く戻らないと夜が明けてしまう」

倒れていたパウサニアスがつぶやくように私に話しかけた。

「でも、こんなこと・・・あなたは私を助けるために・・・・」
「お前のためではない。自分がどれほどの気持ちでいるか伝えるためだけだ」
「あなたはこれからどうなるのですか」
「また・・・近衛兵になって、フィリッポス王のおそばにいる。・・・・二度と逃げることはない」
「こんなひどいことがあって・・・・」
「何があってもフィリッポス王に対する自分の気持ちは変わらない・・・・そのことを伝えたかった・・・気持ちは伝わった・・・・王は手加減をしていた・・・・」
「ありがとうございます・・・・」
「礼をいう余裕があるなら早く戻れ。そして強くなれ・・・・王を守るということは並大抵のことではできない」
「でも僕はなんの力もなく・・・・」
「アレクサンドロス王子を愛しているのだろう。私も同じだ。心配するな、もう二度とフィリッポス王はお前を苦しめたりはしないだろう。早く行け・・・夜明け前に戻らないとこのことが知られてしまう」
「はい、ありがとうございます」

私は走ってその場を離れ、急いでミエザへともどった。パウサニアスと話をするのはこれが最後になる。





                                                      ーつづくー




後書き
 パウサニアスをずいぶんいい人に書いてしまいました。この人が後の事件を起こしたのは純粋に愛していたためと信じたいからです。
2006、3、20


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