約束の場所(15)
「アレキサンダー、頼みがあるんだ」
「なんだ、頼みって?」
「今すぐ、僕を抱いて欲しい」
部屋に戻った私はすぐにこう話し出した。
「抱いて欲しいって、お前はまだ自分が大人の体になってないからといってずっと拒んでいた」
「今まではそうだった。でも僕達のミエザでの生活はもうすぐ終わりになる。離れ離れになる前に抱いて欲しいんだ」
「ここでの生活が終わっても、俺とお前の関係は変わらない。これからもずっと一緒に暮らせばいい」
「でも君は、戻ったらすぐ初出陣だ。僕はおそらく遠征には連れて行ってもらえないだろうけど・・・」
「お前が待っているんだ。俺は決して死んだりはしない、心配するな」
「君の勇気を少しでも僕に分けてもらいたい」
「わかったよ、でも無理しなくていいからな、少しずつ慣れていけばいい。俺達はずっと一緒に生きていくんだから・・・」
私達はまず唇を重ね合わした。互いの舌を絡め合い唾液を混ぜる。幼い頃より繰り返し行ってきた行為も特別なことに感じられた。私もアレキサンダーも鼓動が激しくなり、息苦しさを覚えて慌てて口を離す。そしてまた、求め合う、そんなことを数回繰り返すうちに彼のものはたちまち固く立ち上がっていた。だが私の体にはなんの変化もない。心がどれほど激しく求めていても体に刻み込まれた恐怖が、それを拒んでいた。アレキサンダーはやさしく私の衣類を脱がし、体中を愛撫してくれるのだが、私の体は固くこわばったままである。
「ヘファイスティオン、俺も初めてだからよくわからないんだ。どうすればお前は気持ちよくなる」
「僕も初めてだから体も固く震えている・・・でも君を求めている・・・君が感じるとおりにしてくれればいい」
私は嘘をついている。もしこれが初めての行為で、未知の体験に震えているのならば、今この瞬間はどれほど幸せであろうか・・・けれども私はその行為の意味もわからぬ年齢の時にそれを経験してしまった。その意味を知る年齢になってからは、その行為は拷問のような激しい暴力の後、血だらけになり、泣き叫んでいる時に行われた。怖ろしい記憶は体の隅々にまで染み込んでいる。
「震えているのか、無理をしなくてもいいんだよ。お前を愛している。傷つけたくないんだ。お前の体が受け入れられるようになるまで待っている」
「僕は弱い人間だから、君に愛される時ですらその痛みを怖れている・・・・強くなりたい・・・なにものをも怖れない強い人間になりたいんだ。君のように・・・僕がどんなに怖れ、痛みに泣き叫ぼうと、気にせずに刺し貫いて欲しい。君の強さが欲しいんだ・・・僕を押さえつけ、強引にこじ開けて、ねじ込み、欲望が命ずるままに動けばいい」
「俺はお前を愛している・・・お前を苦しめたくはない」
「愛し合うためには痛みが必用なんだ。僕はそれを知っている・・・君から与えられる痛みを僕は喜んで受け入れるよ」
長い沈黙が続いた。私はベッドにうつ伏せになり、その瞬間を待った。彼の手が私の背中を押さえる。荒い息遣いが聞こえてくる。呼吸を整えようとしているのがわかる。彼の手が私の体の最も敏感な部分に触れたと思ったとたん、激しい痛みに襲われた。
「アアー・・・・ウウー・・・ウワー!」
覚悟はしていてもそれは声も出さずにこらえきれるような痛みではなかった。
「ヘファイスティオン、苦しいのか!もういいよ、充分だよ・・・きょうはこのぐらいでやめておこう」
「だめだよ!君は自分の欲望のままに動けばいい。君を愛している・・・どんな痛みでも耐えられる・・・アアー」
彼の肉体の一部が私には鋭い槍か剣のように感じられた。私に気を使ってのわずかな動きでさえ、体の内側から皮膚をむしりとり肉を裂き、内臓を抉り出されるようだ。唇が血だらけになるほど歯を食いしばっても呻き声が漏れ、のたうちまわりながら彼の動きを受け入れた。体中が痺れ、意識も失いそうになったが、懸命にこらえていた。気を失ってはいけない・・・彼に伝えなければならない言葉があるのだから・・・・
いつのまにか私は背中からではなく、正面から抱かれていた。痛みに耐えながらも私の足は彼の足に絡みつき、少しでも近づこうとしていた。足だけではない・・・私の手は彼の体を抱きしめ、唇は頬を触れていた。私の体のすべてがアレキサンダーの体を求め、触れようとしている。
「ヘファイスティオン、よくわかったよ、どんなにお前が俺のこと愛しているか。もう終わりにしていいか」
「もう少し・・・・もう少しだけこのままでいて欲しい・・・」
「口からひどく血が出ている・・・あそこからも・・・苦しいんだろう・・・」
「苦しくはない・・・うれしいんだよ・・・やっと願いがかなえられた」
私の目から涙が零れ落ちた。こらえてもこらえても涙は後から後からあふれ出る。もう一度彼を抱きしめる手に力を入れた。
「僕は君にふさわしい人間ではないんだよ・・・身分も低いし、力も勇気もない・・・君と一緒に戦場へ行くこともできない。それでもただ毎日君と一緒にいて、話をしたり、体を触れ合ったり、一緒に勉強したり・・・ただ一緒にいられるだけで僕はものすごく幸せだった。君と一緒にいられるだけで・・・」
「俺もお前と一緒で幸せだよ。今までも・・・これからだって・・・・俺がお前に高い地位と身分を与えてやる。共に戦場で戦うことができなくても、お前には別の才能がある。幅広い知識をみなに与え、他の国と交渉を行い、宰相として俺が国を治める手助けをして欲しいんだ」
「アレキサンダー、僕はもう君のそばにはいられなくなるかもしれない。僕の身にこれから何が起こるかわからない。でも何があっても僕が心から君を愛した・・・そのことだけは忘れないで欲しいんだ。そして僕だけじゃない。カッサンドロス、プトレマイオス、フィロタス・・・このミエザにいるみんなが君を心から愛している。君は決して一人ではない」
「わかっているよ、ヘファイスティオン、そんなことはわかっている」
アレキサンダーが体に力を入れ、再び激しく私の体をかかえて揺さぶった。私は目を閉じて全てを任せた。もう痛みはほとんど感じられない。ただ痺れるような感覚だけがある。
「まって、アレキサンダー、動かないで、もう少しだけこのままでいたいんだ」
「もう、がまんできそうもない」
「もう少しだけこのままで・・・僕の体全てで君を感じ、君の事覚えていたい・・・離れている時も君の温もりを感じたい」
「王宮に戻ったらお前とは一緒に暮らせなくなるかもしれない。でもそれはほんの一時だ。やがて俺が王位を継いだら必ずお前を・・・」
「もし君が王位を継ぐ前に僕が死ぬようなことがあっても、あんまり悲しまないで・・・僕の願いはすべてかなえられた・・・幸せだったから・・・僕が死んでも魂はきっと君の事覚えていて、いつもそばにいるから・・・」
「お前が死ぬなんてそんなことあるわけないだろう!お前はずっと長生きして俺と一緒に国を治め、それぞれ子供を作って・・・それからあの場所に行くんだ」
「あの場所って?」
「わからないさ、どこにあるかわからない。でも俺たちには必ず行かなければならない場所がある。だからお前はそれまでは決してしなない」
「どこにあるかわからない場所に行くから、死んではいけないなんて、君は無茶なことばかり言う」
「そうだよ、こんな俺と一緒に生きられるのはお前しかいない。もういいだろう、またいつでもできる」
「そうだね、僕達はずっと一緒にいられるのだから」
私が微笑みを浮かべたとき、彼はまた力を入れた。精液が流れ、ゆっくり体に染み込んでいくのがわかる。私達は一つになれた。もう何も怖れるものはない。
数日後、私はまたカッサンドロス達の部屋に招かれ、例の計画の相談に加わった。
「おい、思っていたよりも俺達の初出陣は早くなりそうだ。今ペラではその準備に追われている。テーバイとの戦いが避けられないようだ」
「テーバイが中心になって他の国と同盟を結んでいるんだろう。これじゃあ勝ち目は薄い」
「アレキサンダーは左翼を任せられるという噂だぜ」
「いきなり左翼かよ。俺達もそのそばだろう。実戦の経験がない者をかためておいて、まとめて始末しようっていうのか」
「どうせアッタロスの入れ知恵だよ。こうしてはいられない。いそいで計画を実行しなければ・・・」
「俺は密かに数種類の毒物を集めておいた。これだ・・・いいか慎重に扱えよ・・・一口舐めただけで死ぬような毒ばかりだ」
「すごいな、プトレマイオス・・・いつの間にこんなもの集めた」
「どうせ俺が毒を盛る役目をすることになるんだろう、カッサンドロス。お前やフィロタスだと成功してもそのあと揉め事が多くなる。俺なら最悪ばれても俺一人が処刑されれば済むことだ」
「お前一人では済まないだろう。王を暗殺するんだ。失敗すれば一族の者がみな処刑される」
「でも、それは他のやつでも同じだ」
「そうだな、でも誰かがやらなければ俺達はみな危険な戦場に送り出され、殺される」
「・・・・・・・」
「・・・・・・・」
「僕がその役目を引き受けるよ」
少しの沈黙の後、私はそう答えた。
「僕なら長い間宮殿に住んでいて、フィリッポス王に酒を注いだり、食べ物を運んだこともある。パーティー会場でうろうろしていても誰も怪しまない。それだけではない、僕の家族でマケドニアにいるのは両親だけで他に親戚もない。実行する前に両親には打ち上げて国外に出てもらう。家族を巻き込むこともない。僕がやるよ」
カッサンドロスが私の方を見た。近くまで駆け寄り、私の手を握り締めた。
「本当にお前がやってくれるのか。俺達のために・・・俺、今までお前のことバカにして随分ひどいことしてきたけど・・・悪かった・・・許してくれ・・・お前は誰よりも勇気がある・・・」
「いいのか、ヘファイスティオン、失敗すればお前こそ間違いなく拷問され、殺されるぞ」
「失敗しなければいいんだよ。成功させ、アレキサンダーが王になれば、ヘファイスティオンが暗殺をしたことがばれてもまさか殺したりはしないだろう。それどころか俺達の真意を知って感謝するぜ。失敗するわけにはいかない。俺達も協力して必ず成功させ、ヘファイスティオンもうまく逃がそう」
「よし、細かい計画を練ろう。次に王宮でパーティーが行われる時・・・それぞれ役割を決めて・・・」
フィリッポス王暗殺の計画は驚くべき早さで進んだ。でも仕方がない。こうなることがわかっていて私はアレキサンダーに頼みこみ、無理にでも抱いてもらったのだから・・・自分が彼に本当に愛される資格などないことはわかっていた。いずれフィリッポス王とのことはわかってしまい、彼は私から離れてしまうだろう。それならばいっそうのこと少しでも役に立つようなことをして死にたい。王の暗殺はそんな私の願いをちょうどかなえられる計画だ。そしてほんのひとときでも彼と愛し合うことができた。もうこれで充分だ。多くを望んではいけない。彼に知られる前に死ぬことが、一番よいに決まっているのだから・・・・
「万が一失敗して殺されるようなことがあっても、お前は俺達の英雄だ。アレキサンダーも決してお前を忘れないだろう」
カッサンドロスの声が響いた。英雄として死ねる・・・その言葉に私は少し酔ってもいた。力も勇気もない私には不可能なことだと思っていたからだ。
−つづくー
後書き
もう後がないと判断したヘファイスティオンは決死の覚悟でアレキサンダーに抱かれ、すべてを振り切って大変な役目を引き受けてしまいます。
2006、3、29
目次へ戻る