約束の場所(19)
「ゼウスよ守りたまえ!」
アレキサンダーの声が響いた。草木の全くはえない、荒れ果てた大地の上はたくさんの兵士で埋め尽くされている。アレキサンダーのすぐうしろに馬に乗った私の姿が見える。それなのに私の意識は高い空の上にあり、味方のマケドニア軍も敵の異国の王の姿もよく見える。私は馬に乗り、懸命にアレキサンダーの後を追いかけている。辺りは静まり返っている。戦場で馬の走る音や兵士の叫び声などが聞こえるはずなのに何も物音はしない。ただアレキサンダーの声だけが聞こえ、その声に向かって馬を走らせた。
「ヘファイスティオン、だいぶよくなったみたいだな」
目を開けるとそこにはアレキサンダーではなくプトレマイオスの姿があった。私は王宮と見間違えるような豪華な部屋のベッドに寝かされている。だが、ここは見慣れたペラの王宮の部屋とは違う。
「ここはどこ・・・プトレマイオス・・・」
「俺のことわかるか、ヘファイスティオン!よかった・・・今日は顔色もいいし、意識もしっかりしているようだ」
「ぼくは・・・何を・・・戦いが・・・走る馬・・・・炎の中で・・・アレキサンダー!アレキサンダーはどこに?」
「落ち着け、ヘファイスティオン。お前は長い間熱にうなされ、うわごとばかり言っていた」
「プトレマイオス、僕は君に会った後、フィリッポス王に会いに・・・・そうだ、ミエザで王を暗殺という計画が出て、それでみんなが捕まって・・・」
「そうだ、お前が俺達5人を助けようとして酷い拷問を受けた。その傷から熱が出て何ヶ月もうなされていた」
「何ヶ月も・・・・何があったかよく思い出せない・・・アレキサンダー、アレキサンダーはどこ」
「ヘファイスティオン、落ち着いてよく聞け。アレキサンダーは今、遠く離れた場所にいる。ここはマケドニアではない。モロッソイ王国だ」
「モロッソイ・・・なぜそんな遠くに・・・・」
「俺達5人とお前は命は助けられたが国外追放を言い渡された。ここモロッソイの王はアレキサンダーの母上、オリンピュアス王妃の弟であり、国を追い出された俺達を手厚く保護してくれた。お前はその時、そしてそのあと何ヶ月も意識がないか、うわごとを言っている状態が続いた。ここはモロッソイの宮殿だ。アレキサンダーと同じ名前のモロッソイ王の好意で今俺達はここで何一つ不自由のない生活を送っている。ハルパロス、ベルディッカス、レオンナトス、ネアルコス、みんな一緒だ。お前のおかげで命を助けられた。何も心配せず、ゆっくり体を休めろ」
「僕は今まで何を・・・何も思い出せない・・・フィリッポス王の部屋に向かった後何があったか・・・」
「思い出さなくていい。辛い記憶は忘れろ、それが一番だ」
「アレキサンダーは今何を・・・・」
「ベラの王宮で普通に暮らしているよ。ミエザではなく、王宮で家庭教師について勉強しているはずだ」
「それはうそだね。僕にはわかる・・・アレキサンダーは今、ペラには、いやマケドニア国内にもいない。ずっと南のテーバイの方へ向かっている。手紙が来ているはずだ。見せてくれないか」
「だめだ、お前に手紙を見せて心配させたりしないよう、アレキサンダーに言われている」
「心配しなくてもいい、僕はもう大丈夫だ・・・・」
「お前は酷い状態が続いた・・・刺激を与えたりしないで、少しでも楽な状態でいさせてやってくれと、アレキサンダーが涙を流しながら俺に言った。だからその約束を破るわけにはいかない」
「何も知らないことが楽な状態ではない。僕の心は感じているんだよ。手紙があるなら見せて欲しい」
「わかった、だけど書いてあることを読んで気に病んだりするな。お前は俺達の命の恩人、それが最も重要なことだ」
プトレマイオスは一度部屋を出て、手紙の束を抱えて戻って来た。
「もっとたくさんあるけど、これが一番新しい手紙だ。起き上がれるか」
「だいじょうぶ、ありがとう」
私はベッドの上で上半身を起こし、手紙の束を受け取った。
「プトレマイオス、ヘファイスティオンの状態は今どうだ。この前の手紙でだいぶ落ち着いてきて、穏やかに夢を見ていることが多いと書いてあって、少し心が穏やかになった。本当は俺がずっとそばにいて、見守っていてやりたいのだが、それもかなわない。王の子として生まれながら今の自分は何も変える事ができない。ただヘファイスティオンが苦しまないようにと神に祈り、モロッソイ王にできるだけのことをしてくれと手紙を送り、そしてお前に頼むことしかできない。ヘファイスティオンがどれだけ酷い目にあい、精神を崩壊させてしまったか、お前もよくわかっているはずだ。あいつは優しすぎるから、お前達の命を助け、俺を守ろうとして、自分の体と魂を生贄にしてしまった。もう充分だ。どうかこれ以上あいつが苦しまないように見守って欲しい」
一枚目の手紙を読み終わり、二枚目を続けて読んだ。
「さて、俺の初出陣が決まった。テーバイを中心としたギリシャ各地の都市との戦いが始まる。この手紙をお前が読む頃には、俺はもう戦場にいるに違いない。カッサンドロスとフィロタスも一緒だ。初出陣はミエザにいた仲間全員と一緒にと思っていたがそれはかなわない夢となった。カッサンドロスについてはいろいろな噂も聞いているが、今は共に戦う仲間として彼を思い、そのことは考えないようにしている。ヘファイスティオンの部屋にいくつかの手紙が残っていた。その時の彼はまだ正気を保っていたが、死を覚悟していた。例え死んでも魂は決してそばを離れない・・・そう書いてあった。その手紙を持って俺は戦場に行く。万が一、万が一俺にもしものことがあって、ヘファイスティオンが正気を取り戻したなら、その時はこの手紙を見せて同じ想いを伝えてくれ。たとえ命を失うことがあっても、俺の魂はお前のそばを離れないと・・・・・プトレマイオス、お前には大変な役割ばかり任せてすまない」
手紙を読み終えた時、目の前にアレキサンダーの顔がはっきり見えた。私達はこんなに近くにいる。けっして離れ離れになっているわけではない。
「プトレマイオス!今日は遠乗りに行く予定だろう。何をしているんだよ、早く・・・」
突然部屋にハルパロス、ベルディッカス、レオンナトス、ネアルコスの4人が入ってきた。
「おい、見ろ!ヘファイスティオンが起き上がっている」
「もう変なこと口走っていない。普通の顔している」
「余計なこと言うな、プトレマイオス、ヘファイスティオンが・・・」
「ああ、正気を取り戻した」
「よかった、ヘファイスティオン、本当によかった」
「手紙読んだりできるのか、俺の顔わかるか」
「わかるよ、みんなわかる、右からレオンナトス、ベルディッカス、ネアルコス、それからハルパロスだ」
「よかったー全部あっている・・・正直言って俺、ヘファイスティオンの部屋にくるのいつも怖かったんだ」
「俺もだよ・・・なんでこんなことにって・・・」
「僕はそんなにひどい状態だった?」
「ひどいなんてもんじゃなかった、俺達のことわからないだけじゃなくて、わけのわからないことしゃべっていたかと思ったら、急に叫び声をあげたり、暴れ出したり、もう完全に気が狂っていた」
「余計なこと言うな、今の言葉、アレキサンダーに聞かれたら、お前殺されるぞ!今俺達が生きているのはヘファイスティオンのおかげだ」
「わかっているよ、だから喜んでいるんだよ」
懐かしいミエザの仲間が目の前にいて、笑い合っている。長い間夢と幻覚を交互に見て、記憶もなくしていた私はようやく昔の自分に戻れたようである。
「みんなで遠乗りに行くのか。僕も行きたいなあ」
「ヘファイスティオン、お前の体はまだ・・・・」
「長い間同じ夢を見ていた。僕達は戦場にいて、アレキサンダーを先頭に戦っているんだ。みんないた。僕もプトレマイオスもレオンナトスも、ミエザのみんなが同じ戦場で・・・・だから僕もこうして寝てばかりいるわけにはいかない」
「そうか、みんなが一緒の戦場にいるなら、アレキサンダーは死んだりはしない。やがてそれは実際に起こることになる」
「お前、アレキサンダーが死ぬわけないだろう。あれは不死身だよ」
「アキレスの生まれ変わりって自分でいうくらいだからな」
「カッサンドロスはいたか・・・・いるわけないだろうな・・・あいつ自分がフィリッポス王暗殺の計画を立てたくせに、密告なんかしやがって・・・今度あったらただじゃおかない」
「カッサンドロスのことは考えないようにしろ。宰相の跡継ぎだ。下手なことしたら今度こそ命が危ない」
「カッサンドロス、カッサンドロスはどこに・・・・」
夢に見た戦場で、ハルパロスとカッサンドロスの姿だけは見えなかった。
「ヘファイスティオン、お前はすぐ前の記憶を失くした代わりに、未来のことがわかるようになったのか」
「そんなはっきりとわかるというわけではないよ。ただ夢に見ただけで・・・カッサンドロスがどこにいたか、はっきり覚えていないけど、きっとどこかにいたと思うよ」
「あいつは1人俺たちとは離れた場所に配置されたんだろうな。それでいい。あんな裏切り者と一緒に戦って死ぬなんてまっぴらだからな。それならばヘファイスティオンと一緒がいい」
「ヘファイスティオンの近くで戦うのは大変だぞ。満足に武器も扱えないから、自分の身を守りながら、さらに守ってやらなければならない。それでもいいのか」
「ああ、俺は二人分ぐらいは余裕で戦える」
久しぶりに外の空気を吸い、馬の背に乗った。みんな私に気を使って馬をゆっくり走らせてくれた。今頃アレキサンダーも同じように馬に乗り、テーバイに向かっているに違いない。カッサンドロス、フィロタスも一緒に・・・私は離れていても常にアレキサンダーの存在をはっきり感じることができる。
−つづくー
後書き
ヘファの状態について、実際にはありえないことなのですが、フィクションなのであえてこういう表現を使いました。
2006、4、24
目次に戻る