約束の場所(2)
フィリッポス王に会って宮殿で生活するようになった翌日、今度はアレキサンダーの母、オリンピュアス王妃に紹介された。相変わらず私はそのような場面には慣れず、椅子に腰掛けても下ばかり見ていた。
「母上、新しくこの宮殿で暮らすことになったヘファイスティオンです」
「ヘファ・・・聞いたことのない名前だわね。どこかよその国の王族の血筋なのかしら・・・・」
「違います。ヘファイスティオンはこの宮殿で働いている書記官の・・・名前はなんといったっけ・・・」
「書記官の子ですと!そんな子を宮殿に住まわせて王子と一緒に学ばせると王は言われたのですか!」
「はい、彼はかしこく・・・・」
「おだまりなさい!書記官の子を選ぶなんて、王は気でも狂ったのかしら・・・私があなたと共に学び競い合うのにふさわしい子を、王族、貴族の子の中から選んで連れてきても、何が気に入らないのかすぐに追い出してしまい、あげくこんな子を宮殿に住まわせるなんて・・・まあ確かにかわいらしい子よね。顔をよく見せなさい!」
王妃に言われ、私は恐る恐る顔を上げた。彼女は私の頬をそっとなでた。
「このなめらかな白い肌、吸い込まれそうな青い瞳、ほんと王の好みのタイプの子だわね。あと2,3年もしたらどれくらい美しくなるかしら、王は自分の醜い姿も省みず、若くてきれいな子を次々と囲い・・・・」
妖しく微笑んでいた王妃の顔は急に暗くなり、私の頬を思い切り叩いた。
「母上、いきなり何をするのですか!」
「王の考えはお見通しだわ。彼をただの小姓にして身の回りの世話をさせずに、あなたの友達にしたのは、私とあなたを監視するためよ。汚らわしい、子供だと思って油断させて・・・」
「母上!いい加減にしてください。父上がヘファイスティオンを私のために選んでくれたのです。母上にはそれをとやかく言う権限はないはずです!」
「おやまあ、十歳にもなると母に対して随分偉そうな口を利くのですね、アレクサンドロス。それともあなたも彼のこと気に入ったのかしら。全く似てない親子だけど、好みのタイプだけは同じね。よくお聞きなさい。王は彼を利用して私達の様子を探ろうとしているのよ。だまされないで状況を判断しなさい」
「充分判断しています。母上はもう彼のことでこれ以上何も言わないでください」
「わかりました。せいぜい用心するのですよアレクサンドロス。あなたは王の大切な跡継ぎなのですから・・・」
オリンピュアス王妃は部屋を出ていってしまった。
「ヘファイスティオン、大丈夫か」
アレキサンダーに言われてはっと気づいた。あまりの緊張と王妃の威厳、恐ろしさに圧倒され、頬を叩かれた痛みも忘れていた。今頃になってじんじんと痛み、涙がこぼれでた。
「だいじょうぶです」
「そんなに気を使わなくていい。俺とお前は友達なんだから、二人きりの時は普通に話していい。どうせ母上は父上のすることは何でも気に入らないのさ。そのとばっちりでお前まで殴って・・・酷いことする、こんなに赤くなって・・・手当てをしてやる、俺の部屋に来い」
「はい」
初めてアレキサンダーの部屋に入った。昨日は自分用に用意した部屋で休み、食事も何もかも彼とは別であった。部屋は王子のものにふさわしく、広く豪華な作りである。
「遠慮しないで中に入れ、俺達の部屋なんだから・・・」
「僕の部屋は別に用意して・・・」
「あんな狭いとこ、誰か来た時だけいっていればいい。どうせ父上も母上もこの部屋までは滅多にこないんだから・・・好きに使えばいいさ、そのベッドの上にでも腰をかけろ」
「王妃様、僕のことをかなり嫌って・・・・」
「お前を嫌っているわけじゃない。父上を嫌っているのさ。今に始まったことじゃないよ。俺が覚えている限りあの二人、一緒にいる時はいつもケンカしていた。俺が最初にケンカを見たのは五歳ぐらいの時だった」
「五歳?」
「そう、俺の部屋に母上の蛇が迷い込んできた」
「蛇って・・・あの細長い・・・」
「そう、その蛇さ。母上は何匹も部屋の中で飼っていて、その一匹が俺の部屋にやってきた。その蛇を返すために母上の部屋に行ったら、ちょうど酔っ払った父上がもどってきた。ろくに母上のところになんか来ないのに、その時に限ってやってきて俺の目の前でののしりあいの大喧嘩、あげくの果てに父上が俺を見つけて・・・何をしたと思う?」
「え、どうしたの?」
「俺をかついで、石段の上から思いっきり投げ飛ばした」
「・・・・・・・」
私は言葉に詰まった。この宮殿は高い場所にあり、たくさんの石段を上らなければ中には入れない。そんな場所で投げ飛ばされたら大怪我をするか、下手すれば死んでしまう。
「運良く見張りの近衛兵が受け止めてくれたからよかったけど、その時の傷が今も残っている。見ろ」
彼が上衣をめくると、太もものところに大きな傷が見えた。
「お前の家もこんな感じなのか」
「僕の家は母は病気で寝てばかりいるし、父は仕事で家にいないことが多いけど、でも父が悪いこと言ったり乱暴したりしたことは一度もなかった」
「そうか、お前はいい家で育ったんだな」
「王族でも貴族でもないから・・・・」
「そんなことどうでもいいんだよ。俺はお前が気に入った。ずっとそばにいてくれ」
「うん」
「約束だぞ」
「約束する」
私達はいつまでも話し続けていた。二人とも同じ年頃の子供と話すことがほとんどなく、大人に囲まれて育ったためだろうか。一度打ち解けると話は尽きなかった。
数日過ぎた頃には、私達は食事も勉強も何もかも一緒にするようになっていた。寝るときも彼の部屋で同じベッドで寝た。それでもまだ不安なのか、私の手をしっかり握って眠りについた。
「ヘファイスティオン、しっかりしろよ!もうくたびれたのか」
「もうこれ以上走れない、先に行って・・・」
「だめだ、早く立て!」
宮殿で、アレキサンダーと一緒にしなければならない日課は勉強だけではなかった。スパルタ出身の家庭教師レオニダスは勉強以外の体の鍛錬の時、特に厳しかった。剣術の稽古、馬に乗ること、野山を走ることなどが、勉強の後毎日のように課せられた。勉強、特にギリシア語は父に教わっていたのでそれほど苦にはならなかったが、体を動かすことは苦手であった。その日は特に山道を走っているうちに急に足が痛くなり、一歩も動けなくなってしまった。
「先に行って、あんまり遅くなると罰があるよ」
全てを任されている家庭教師は、私はもちろん王子のアレキサンダーですら少しでも怠けているところが見つかると鞭で打たれた。
「早くいって、鞭で打たれるから」
「走るのは無理か」
「無理、歩くのがやっと・・・・」
「それなら一緒に歩いて行こう」
「遅れると君まで一緒に鞭で打たれるよ」
「俺はお前一人が鞭で打たれるのは耐えられない。でも一緒に打たれるのは全然平気だ」
「アレキサンダー」
「お前のことは必ず俺が守ってやる。だからこの手を離さないでくれ」
彼の手に引っ張られ、私は痛む足を引きずりながらも少しずつ前へと進んだ。
−つづくー
後書き
王妃には身分が低いとさげすまれて頬を叩かれ、スパルタ家庭教師にしごかれてとヘファの受難は続きます。
2006、2、1
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