約束の場所(20)
モロッソイ王の庇護のもと、私達の毎日はミエザにいたころとほとんど変わりなく過ぎていった。私達のために学者が招かれ、将来軍隊の中心となるよう訓練を受けている者と一緒に教練を受けることもあった。私の体は急に成長し、背も他のみんなと同じぐらいの高さにまでなった。だがどれほど背が伸び、筋肉がついても、私の体が大人の男になることはなかった。普段は勤勉な仲間達も、祝宴などが行われるとハメをはずして飲み、女との戯れを楽しんでいたが、私がそのような場に行くことは全くなかった。みなの嬌声や笑い声が聞こえる中、私は一人ホメロスの詩を読み、アキレスやパトロクロスについて考えた。トロイの戦争は10年続いた。アレキサンダーは今もなお戦場で戦っているのだろうか?
「ヘファイスティオン、マケドニアからの使いがきたようだ」
「本当、今どこに・・・」
「王との謁見が終われば、俺たちと話もできるんじゃないか、行ってみよう」
私達はマケドニア軍の使者から素晴らしい知らせをたくさん聞くことができた。マケドニア軍が大勝利をおさめたのはもちろんのこと、アレキサンダーがいかに勇敢に戦い、手柄を立てたかという話も存分に聞くことができた。
「やっぱりアレキサンダーはすごいよな。俺も一緒に戦いたかった」
「初陣とは思えないほどの活躍だってな、ところでカッサンドロスやフィロタスの話はでなかったけどあいつらどうしていたんだ」
「どうせ、後ろの方で震えていたんだろう、死んだという話は聞いてないから、生きているさ」
「カッサンドロスのやつ、どうせ大したことしてなくても、戻れば自分がいかに勇敢に戦ったか、自慢話を始めるんだろう」
「あーあ、俺達がアレキサンダーと一緒に戦える日はいつになることか」
「それより俺はもう早くマケドニアに戻りたいよ。ここでの暮らしに不満はないけど先も見えない。許されて国へ帰るのが遅くなればそれだけ俺達のことなど忘れられ、他のやつが高い役職についてしまう」
「いや、もどったところで俺達にいい役職などもらえないよ。今位が上がっているのはアッタロスの一族ばかりだ。それだけではない。アッタロスがよく思ってない人間は次々謀反の疑いをかけられ、処刑されているという噂だ」
「あんまり余計なことしゃべらない方がいいかもな、俺達にだって見張りがつけられているんだろう」
「それはそうだろう。謀反の疑いどころか、実際フィリッポス王の暗殺を計画し、毒物まで用意したぐらいだからな・・・」
毎日の生活は穏やかだった。だが異国での先の見えない生活と絶えず見張られているという緊張感で次第にみな酒を多く飲み、憂さ晴らしをすることが多くなった。特にハルパロスなどはここでの酒の飲みすぎが原因で体を壊し、後の遠征には参加していない。
4年の月日が過ぎた。私は二十歳になり、他の仲間はそれ以上の年齢になった。モロッソイ王とアレキサンダーの妹クレオパトラの結婚が決まり、その式典に参加するために、特別に私達も帰国が許された。4年ぶりの帰国、国境付近まで家族、親族の者が出迎えてくれ、私も両親との再会を喜び合った。だがそこにはアレキサンダーの姿はなかった。彼の立場を考えればしかたのないことかもしれないが・・・
「ヘファイスティオン!」
ようやくアレキサンダーに会えたのは式典の行われる会場であった。モロッソイ王国とマケドニア王国、双方にとって極めて重大な結びつきとなるこの婚姻の式典にはマケドニア国内はもとより、ギリシャ諸都市からも大勢の人が招待されていた。大勢の人がごったがえす中、彼は強く私を抱きしめてくれた。
「ヘファイスティオン!背が伸びた。顔色もいい。手紙でお前が正気を取り戻し、向こうで元気に暮らしていることは知っていたが、実際にお前を見るまでは・・・うれしいよ・・・またこうしてお前に会えるなんて・・・これ以上うれしいことはない」
「アレキサンダー・・・・」
「もっと顔をよく見せてくれ、ヘファイスティオン・・・確かにお前だ・・・・だが俺が最後に見た時、お前は正気を失い、俺が誰かもわからないでいた・・・・会いたかった・・・・本当に会いたかった・・・」
「僕もだよ、アレキサンダー・・・」
私達は周りに大勢の人がいることも忘れて固く抱き合った。会えない4年間の埋め合わせをするように夢中になってお互いの温もりを確かめ合った。
「ヘファイスティオン、ずっとこうしていたいけど、もう行かなくては・・・お前達はあの辺りの観客席に座って式典を見ていればいい。モロッソイ王と妹クレオパトラの結婚の祝典と言ったって、実際は父上の権力を誇示するのが目的さ。それに見てみろ、一番いい席に座っているのはエウリディケとアッタロスで、俺とクレオパトラの母上はあんな離れた場所が用意されている。ほら、あそこに彫像が見える。父上はオリンポス12神と一緒に自分の彫像まで作らせた。13番目の神になるらしい。マケドニア軍を勝利に導いたのはこの俺だと言うのに・・・」
「アレキサンダー、ここでは誰が話を聞いているかわからない。後で話そう、さあ、早く行って」
「そうだな、お前の方が苦労したから、よほどよくわかっている」
式典が始まった。コーラスの歌声が聞こえ、踊り子が華やかに舞う姿が見える。だが私の目には遠くにある建物の中が見え、そこで話をする者の声が聞こえる。また幻覚を見ているのだろうか?
「パウサニアス、今日はとっておきの服を着て来いと命じたのに、いつもと同じではないか」
「私の役目は近衛隊長としてあなたをお守りすることです、フィリッポス王。いつもと同じで充分です」
「お前には今日、特別な役割を果たしてもらう。俺を本当に愛しているのはお前だけだ。引き受けてくれるか」
「どのようなお役目でございましょうか」
「この日のために特別な剣を作らせた。この剣を持ち、わが息子アレクサンドロスはみなの前に姿をあらわす予定だ。だがアレクサンドロスはこともあろうにこの俺に刃を向けてきた。王を殺し、自分が新しく王座に着くために・・・それを見ていたお前はやむを得ず後ろからアレクサンドロスを刺し殺す、王の命を守るために・・・・それが今日のお前の使命だ」
「フィリッポス王、今なんとおっしゃいましたか。私の聞き間違えでは・・・・」
「聞き間違えではない、アレクサンドロスにこの剣を渡したすぐ後に後ろから刺し殺せ、命令だ。一瞬も迷ってはいけない」
「アレクサンドロス王子はただ一人のお世継ぎではありませぬか。その方を殺すことなどとても・・・」
「世継ぎなどエウリディケがいくらでも産んでくれる。神の血など持たぬ普通の子をな・・・戦場でお前も見たであろう。アレクサンドロスのあの姿を・・・アキレスの血を引くどころではない・・・軍神アレスが姿を変えて出てきたようだった。あれはもう俺の息子ではない。今に必ず俺を殺す・・・殺される前に殺さなくては・・・・いつがよいかずっと考えていた。アレクサンドロスを殺すのにふさわしい場所と時はいつか・・・」
「フィリッポス王・・・・」
フィリッポス王はアレキサンダーを殺そうとしている。早く彼のところに行かなければ・・・だが私の体は少しも動かず声を出すこともできない。
「アレクサンドロスは一人で死ぬのではない。友と一緒だ。プトレマイオス、ベルディッカス、ハルパロス、レオンナトス、ネアルコス、そしてヘファイスティオンも、すべて今日ここに呼び戻した」
「ヘファイスティオンまでも殺すのですか」
「4年前まだあどけない顔をしていたあれは、たくましく成長して戻って来た。4年前、心を狂わしたその姿があまりにも哀れでつい同情してあれも他のやつも命を助けてやった。心を狂わせてもなおあれの目はアレクサンドロスを見ていた。息子はあれを気に入って片時も側を離れようとはしなかった。4年ぶりの再会でどれほど喜び抱き合っていたか、その姿がはっきり見えた。せめてもの父の気持ちだ。アレクサンドロスを一人では逝かせない。刺し殺した後すぐにあの者達を捕らえてこの広場で処刑する。謀反を働いたということでな・・・」
「お止めください。そのような計画はどうか・・・・」
「俺は今から13番目の神となる。神とは酷い者、孤独な者・・・その座を守るためには愛する者も殺さなければならない。アレクサンドロスを愛していた。あれほど賢く強い者は他にはいない。誰よりも愛していた・・・だが殺さなければ・・・殺さなければ・・・」
「わかりました。王をお守りするために私がアレクサンドロス王子を殺します。ただお約束してください。私は地位も名誉もこれ以上望みはしません。ただ私一人を・・・アレクサンドロス王子よりももっと愛してください」
「愛している、誰よりも愛している・・・・」
パウサニアスはフィリッポス王に口付けをした。
「お許しください。あなたを誰よりも愛したのはこの私です・・・・」
パウサニアスが手にした剣はフィリッポス王の胸を刺し貫いていた。長い間彼は息絶えた王の体を抱きかかえていたが、やがてゆっくりその体を床に下ろし、胸に刺した剣を抜いた。異常な事態に気づいた者が部屋の中に入ってきた。パウサニアスはすぐに取り押さえられた。アレキサンダーがフィリッポス王の近くで泣き崩れているのが見える。私は夢中になって走り出した。広場を抜け建物の中へと入った。泣きじゃくるアレキサンダーの手を取り、広場へと連れ出してこう叫んだ。
「フィリッポス王は亡くなられた。新しい王の誕生だ!マケドニアの王、アレキサンダーに皆のもの、そして神よ、祝福あれ!」
私はアレキサンダーの手を高く上げた。彼はもう泣いてはいなかった。プトレマイオスがフィリッポス王の頭を飾っていた金の葉の飾りをアレキサンダーの頭にかぶせた。
「マケドニアの新しい王、アレキサンダー!」
私はもう一度大声で叫んだ。なぜとっさにこのような行動をとることができたのか、それは今でもわからない。
−つづくー
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