約束の場所(21)
「アレクサンドロス王、パウサニアスはフィリッポス王暗殺の理由を次のように申しております。自分はアッタロスの策略にかかって卑しい男達に陵辱されたのに、フィリッポス王はアッタロスになんの処罰も与えなかった、だから暗殺した、このように言っておりました」
「アンティパトロス、それは真実か」
「わかりませぬ・・・パウサニアスの理由などどうでもよいことです。あの男、今しばらくは生かしておいた方が何かと好都合ですので、拷問も手加減しております。理由を考える時間は充分あります。それよりも問題なのは、今巷では、パウサニアスを指示し、暗殺の手引きをしたのはオリンピュアス王妃、またはアレクサンドロス王、あなたではないかという噂が出ていることです」
「私が父上を暗殺したとでも言うのか!王座を手に入れるためにあのような男を使って・・・私はそのような卑怯な男ではない!」
「お静まりください。お怒りはごもっともですが、これはあくまでも噂です。だがこのような噂が立っては、あなたを正当な後継者とするのに不満を持つ者も現われる。パウサニアスを指示した者を別に作り出さねば・・・・」
フィリッポス王が暗殺され、アレキサンダーが王位についた。だがマケドニア国内は極めて混乱している。王を暗殺したパウサニアスを指示したのが、アレキサンダーの母オリンピュアス王妃、あるいはアレキサンダー自身ではないかという噂が出ているのだ。フィリッポス王はマケドニア貴族の娘エウリディケと新しく結婚した。そしてエウリディケの叔父のアッタロスがモロッソイから来たオリンピュアス王妃の子アレキサンダーより、エウリディケが産むはずの子の方が正当なマケドニアの血を引き、跡継ぎにふさわしいと主張していた。だからアレキサンダーやオリンピュアス王妃に疑いがかけられることは充分予測できる。
「アッタロスは早急に始末した方がよいでしょう。彼は今先発隊としてペルシャの方へ向かっています。王の訃報を聞いてマケドニアに戻ってくる前に・・・」
「どのような理由で・・・」
「理由などなくても遠征途中の混乱で死んでくれればよいのです。アレクサンドロス王、あなたがご命令くだされば、私はすぐにそのように手配いたします。パルメニオン将軍がすぐ近くにいるはずです」
「それでよいのか」
「おまかせください。私はフィリッポス王が即位される前からマケドニア王家に仕え、王位継承の争いを知っています。誰を生かし、誰を殺せばよいのか綿密に計画を立て、実行する必用があります」
「私はそのような策略など・・・・」
「お任せください。私がすべてを考え、実行いたします。王はただご命令くだされば結構です」
「わかった、そのようにしよう。ただひとつだけ気になることがある。4年前、父上を暗殺する計画を立てたということで、ミエザにいた私の友が捕えられ、国外に追放された。そのことについては・・・」
「そのことを今更言い出せば、また新たな危険となります。それはもう15,6の子供の考えた戯れ、本気ではなかったということにした方が・・・」
「それが戯れですむ程度のことであるならば、言い出すつもりはない。だがここにいるヘファイスティオンはそのことで酷い拷問を受け、精神に以上をきたしてしまった。そのことを思い出すとどうしても許せない人間が一人いる」
「アレキサンダー、僕・・・アレクサンドロス王、私のことで昔のことなど調べ直すようなことはお止めください」
4年前の事件の話で目の色が変わったアレキサンダーの手を私は慌てて押さえた。
「いや、忘れるわけにはいかぬ。アンティパトロス、お前の王家に対する忠誠心と策略の知恵に対しては高く評価する。お前のような者が重臣として支えてくれなければ、私の王位など簡単に奪われてしまうかもしれない。だが、例えお前を失い、自分の命すら失うことになろうとも、王になった私は4年前の事件について詳しく調べ、お前の長男カッサンドロスを告発したい。あの計画を企て、そして直前になって密告したのはすべてカッサンドロスだったという話を聞いている。そのためにヘファイスティオンが・・・ヘファイスティオンがどれだけ苦しんだか・・・カッサンドロスは許せない!・・・必ず詳しく調べてヘファイスティオンと同じ苦しみを・・・」
「アレキサンダー、止めて!僕のためにそんなことを・・・・」
「わかりました、アレクサンドロス王。わが長男のカッサンドロスが4年前の事件にかかわっているというのなら、あれはもう私の息子でも、わが一族の家系の者でもありません。代々王家に仕えた家系の者が、王の暗殺を企てるなど・・・カッサンドロス・・・あれはわが息子達の中でも飛び抜けて賢く、力のある者と思っていたが・・・そのような者はわが家系の者ではありませぬ。どうかカッサンドロスを捕えて処罰してくださいませ」
「お前は実の息子を殺されても、私にそのまま仕えようというのか」
「子はいくらでもいます。代々王家に仕えてきた我が家系を、カッサンドロスがごとき愚な息子のために絶やすわけにはまいりません」
「よくわかった、ではカッサンドロスのことはともかく、まずはアッタロスに対して、早急にことを運んでくれ」
「かしこまりました」
フィリッポス王の時からの宰相アンティパトロスはアレキサンダーの前でうやうやしく礼をして王宮を出て行った。玉座に腰掛けているアレキサンダーの目は血走り、顔色も悪く、疲れ果てているようである。私もそうだが、フィリッポス王の暗殺があって以来、ほとんど眠れない日が続いた。
フィリッポス王暗殺の日からずっと私とアレキサンダーは同じ部屋の同じベッドで眠りについた。どちらもぐっすりと眠れるということはない。しばらくうとうとしてはうなされて目が覚め、お互いの体をまさぐりあってはまたうとうとした。
「ヘファイスティオン、お前がいてくれてよかった。俺一人だったらどうなっていたかわからない。父上が暗殺され、何がなんだかわからないまま王位につき、そしてこうしている間にも王暗殺にかかわったという疑いをかけられて拷問されている者がたくさんいる。俺の一言で処刑されるかどうかが決まってしまう。実際には罪がないことがわかっていても・・・・」
「アレキサンダー、フィリッポス王を殺したのはパウサニアスなんだから他の人まで拷問するのは・・・」
「そんなことわかっているさ!わかっていても今のこの混乱を鎮め、俺が正当な跡継ぎであることを認めさせるにはそれしか方法はない」
「パウサニアスに昔助けられたことがある・・・・だからあまり酷いことは・・・・」
「わかっている・・・父上がお前にどれだけ酷いことをしたか、よくわかっているよ。だけどパウサニアスを助けるわけにはいかない。父上は狂ったようにいろいろなことをしてきた。でも今それを言って父上の威信を落としたらどうなる。マケドニア人にとって父上は偉大な王であるのだから、その王を暗殺した者は見せしめに拷問にかけ、極刑にしなければならない。お前はこんな状況でいろいろ思い出して辛いならまたモロッソイ王のところに行っているか?」
「いや、君のそばにいる」
「父上を失って初めてわかった。王という者がどれだけの重荷を背負わなければならないかということを・・・お前のことがあってからずっと父上を憎んできたけれどもっともっと話をしたかった・・・俺の体にも同じ血が流れ、同じ運命を背負わなければならないのだから・・・ヘファイスティオン、お前にはわかるか、俺の孤独が・・・」
「僕にはわからない・・・ただ君のそばにいることしかできない・・・・」
「そうだよな・・・でもそうやってお前はずっと俺のそばにいてくれた。ただそばにいるために全てを犠牲にして・・・・ありがとうヘファイスティオン・・・・」
アレキサンダーは私に口付けし、足の間にそっと手を触れた。
「まだだめなのか・・・俺もお前も二十歳を超えた。それなのにお前の体は・・・俺のそばにいたために一生男としては生きられなくなってしまったのか・・・」
「男として生きられなくても君のそばにいることはできる。僕は知っている。体も心も失っても君のそばにいることができる。だから安心して、君は決して一人にはならない」
「お前と一つになりたくても、今の俺には何もできない。お前と同じだ・・・あまりにも多くのことがあり過ぎて・・・」
「初めて会った日のこと覚えている?僕は別の部屋を与えられているのに、離れたくないって一緒の部屋に・・・僕達長い間ずっと話をしていた・・・・どこかにあるその場所に一緒に行こうと約束して・・・・それは遠いところなの?」
「遠いところだ・・・俺にもよくわからない・・・俺はただ逃げようとしているだけかもしれない・・・父上や母上・・・そしてこのマケドニアという王の地位から・・・・父上もいつも聞いていたのだろうか・・・自分が殺した人間の叫び声や拷問にかけた人間の呻き声が・・・俺も王になったらそんな声ばかり聞こえてくるようになった。幻の叫び声が聞こえてくるから、目の前にいる人間の本物の叫び声が聞きたい。俺はおかしくなっているのか?」
「僕にも聞こえるよ。いろいろな叫び声や呻き声・・・フフ・・・僕は一度は気が狂った人間だから、同じように聞こえない方がいいよね。いろいろな声が聞こえて苦しいよ・・・苦しいからこうして君のそばにいないと・・・」
「ヘファイスティオン・・・・ずっと俺のそばにいてくれ・・約束だ」
「そばにいる・・・君から離れることはない・・・・」
私の耳に聞こえるさまざまな呻き声や叫び声、それは今この時でもフィリッポス王暗殺の手引きをしたと疑われた人、そしてその本人であるパウサニアスが拷問を受け、苦しんでいる声なのだろう。私は知っている。なぜ彼がフィリッポス王を殺したか、その本当の理由を・・・でもその理由を口にすることはできない・・・それを話せばアレキサンダーもマケドニアの国全体も大きな混乱の渦に巻き込まれてしまうから。かって私を救ってくれ、そして王暗殺という大罪を犯してまで、アレキサンダーや私達を助けてくれようとしたパウサニアスを救うことはできない。ただその苦しげな悲鳴が自分には届かぬよう耳をふさぐばかりである。
−つづくー
後書き
王になることはものすごく大変なことかもしれない。フィリッポス王も王位継承争いを知り、数々の戦いで人を殺し、自分も傷ついたからその痛みや恐怖を紛らわすために狂気に走っていろいろなことをしたのだろうか?
2006、5、8
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