約束の場所(22)

「ヘファイスティオン、もういい、もう充分だ・・・・俺から離れろ・・・俺から逃げてくれ・・・頼む・・・これ以上お前を巻き込みたくはない・・・」
「アレキサンダー・・・・」

フィリッポス王暗殺後、慌しく混乱した日々が続いた。アレキサンダーは皆の前では王として堂々とした態度を貫いた。だが一度自分の部屋に入り、私と二人きりになると、途端にその心情を吐き出すようになった。ある時は狂ったように叫び、またある時は子供のように激しく泣き出したりもした。そんな時、私はただ彼の背をなで、胸に自分の耳を押し付けることぐらいしかできない。

「アレキサンダー・・・落ち着いて・・・何があったの?・・・僕に話して・・・・」
「駄目だ!ヘファイスティオン・・・俺から離れろ!そうしないとお前はまた狂ってしまう・・・・俺から離れた4年の間にお前の心は回復し、体も見違えるほど成長した・・・・うれしかったよ・・・そんなお前を再び見ることができて・・・だけど俺の側にいたらお前は再び狂ってしまう・・・・だから離れてくれ・・・俺は怖いんだよ・・・一人になるのが・・・・ずっと側にいてほしい・・・でもお前を狂わせてしまうくらいならいっそうのこと・・・他の国で静かに暮らし、幸せを掴んでくれ・・・お前にはそれができる」
「アレキサンダー・・・落ち着いて・・・・いろいろなことがあり過ぎて君は少し混乱しているんだよ。僕はどこにも行かないし、狂ったりもしない・・・ずっと君のそばにいる・・・・だから安心して話して・・・・」
「ヘファイスティオン・・・お前の目には俺の姿はどう見える?・・・それと知らずに父を殺し母と交わって自ら目をくりぬいた王の姿か、狂気にかられ、我が子を次々に殺した英雄の姿か・・・・それとも神を冒涜して怒りをかい、狂った母に八つ裂きにされた王の姿か!お前には俺の真の姿が見えるのだろう・・・何が見える・・・俺の未来がお前の目に見えるか?」
「僕の目に君の未来は見えないよ。ただ今の君の姿が映るだけだ。君はアレキサンダーだよ。他の誰でもない・・・君の運命はまだ決まっていない・・・・」
「俺は呪われている・・・・呪われた血が濃くこの体に流れている・・・・やがてマケドニアの国民は俺が王にふさわしい人間でないことに気づいてしまう・・・オリンポスの神々にも見放され、やがては呪われて惨めな末路をたどる運命だ」
「たとえ神々が君を見放し、呪ったとしても僕は君のそばにいる。最後まで君を守る。だから安心して何もかも話して・・・何がそんなに君を苦しめているのか・・・・」
「ヘファイスティオン・・・・」

アレキサンダーの声は震えていた。私は彼を落ち着かせようと懸命にその背中をなでた。

「母上がエウリディケとその生まれて間もない子を殺したのは知っているだろう・・・・アッタロスが殺されたという知らせを受けてすぐだ。アッタロスが死ねばエウリディケを守る者は誰もいない。それがわかっていて母上はエウリディケの部屋に行き、まず彼女の目の前で赤ん坊を殺した。なんの抵抗もできない子を殺し、それから彼女に首をくくって死ぬよう命じた。エウリディケは抵抗することなどできない。命じられたとおりのやり方で死に、母上は彼女が息絶えるまでじっと見ていた。そして勝ち誇った笑い声をあげながら、俺にその時の一部始終を話した。お前や私を押しのけて王の跡継ぎを産むと言っていた憎いあの女を始末したとうれしそうに笑いながら・・・エウリディケとその子はいずれ殺されただろう・・・母上が彼女を憎んでいたことも知っている・・・・だけど自らの手で殺さなくてもいいだろう・・・それも笑いながら・・・・」
「アレキサンダー・・・・」
「父上はお前に酷いことをした・・・俺の父と母がしたことは普通の人間がすることとは思えない。あまりにも残虐で・・・だけど俺の体には間違いなくその血が流れている」
「アレキサンダー・・・君の両親が何をしようと、君とは違う人間だ・・・君が必要以上に悩むことはないんじゃないか」
「お前にはわからないよ・・・お前の父と母は人を殺したことなど一度もない。人に恨まれることなど全くなく、ただ一人の子であるお前を大切に育てた・・・俺の心はお前にはわからない・・・」
「そうかもしれない・・・」
「エウリディケだけではない。父上の暗殺も母上がかかわっているという話だ。パウサニアスにいろいろ知恵を吹き込み、必ず助けると約束して父上を殺させた。みなそう噂している・・・・歩いていると声が聞こえてくる・・・アレキサンダーは人殺しの子だ。あいつに王となる権利はない、アレキサンダーこそフィリッポス王暗殺を企んだ者だ。フィリッポス王の兄の子、アミュントス様こそマケドニア王にふさわしい方だ・・・・いろいろな声が聞こえてくる・・・俺は狂っているのか・・・母上が父上を暗殺したのか・・・わからない・・・なにもかもわからない・・・」
「アレキサンダー、君は疲れているんだよ。何も考えないでもう寝よう。ゆっくり休んで心を落ち着けるんだ」
「そばにいてくれるか・・・ヘファイスティオン」
「当たり前だよ」

私達は抱き合って寝た。互いに体の熱も胸の鼓動も感じられるほど近くにいながら、別々の声を聞き、違う狂気に襲われ苦しめられていた。アレキサンダーは母の行為に怯え、そして私はパウサニアスの呻き声に怯えている。少しずつ長い時間をかけて拷問されているのだろうか。彼の呻き声は途切れることがない。私があの暗殺の直前に見て聞いたことを話せば、彼は助けられるかもしれない。そしてオリンピュアス王妃への疑いも消える・・・だがそうなればフィリッポス王に対する信頼そのものが崩れ落ちてしまい、マケドニア国民の不満は高まり、王位はフィリッポス王の兄の家系の者に、ということになってしまうだろう。それはパウサニアスの望んでいることではない。彼は命をかけてアレキサンダーや私達、そしてフィリッポス王の名誉を守ろうとしたのだから・・・・

「アレキサンダー・・・頼みがある・・・お願いだからパウサニアスへの拷問はもうやめて欲しい。僕は彼に昔助けられたことがあるから・・・」
「それはもうとっくに止めている・・・・気が狂ってしまって何も聞き出せそうもない。ただ生かしておいた方が好都合だという宰相の忠告があるから牢に入れたままにしている」
「そうだったのか」
「聞こえるはずのない呻き声が僕には聞こえる・・・・」
「ヘファイスティオン、お前は疲れている、もう何も考えずに寝るんだ。ゆっくり休めば心も穏やかになり・・・・」
「それはさっき僕が言った言葉だよ」
「そうだな・・・俺とお前は・・・・・」

アレキサンダーの言葉はよく聞き取れなかった。このような状態のとき言葉はたいして役にたたないものかもしれない。私もアレキサンダーも夢と現実と狂気の間をさまようばかりであった。






「カッサンドロス、今はお前に会いたいと思うような心境ではない。すぐにここから立ち去れ。さもなければ俺はお前に対して何をするかわからない」
「俺も同じ気持ちだ。できれば王となったお前の前になど跪いて・・・・しかもヘファイスティオンなどが宰相か何かにでもなったような態度で王の隣に座っているとは考えただけでも気分が悪くなるような光景だ」
「カッサンドロス、貴様よくも!・・・・ヘファイスティオンはどれほど苦労して・・・」

アレキサンダーは思わず立ち上がり、カッサンドロスのキトンの襟元を掴んだ。

「アレキサンダー、やめて!ここはミエザではなくて王宮の一室なんだよ。たくさんの人が見ている前で・・・」
「ヘファイスティオン、大した出世だな。4年前、目が虚ろでよだれをたらし、わけのわからない言葉をつぶやいてプトレマイオス達にかかえられながら国外に追放されたお前とは全く別人のようだ。プトレマイオスがよっぽどよく看病してくれ、愛してくれたんだろう。それなのに国に戻って、フィリッポス王が暗殺され、アレキサンダーが王になったらさっそくもうプトレマイオスなんかはさっさと別れて、アレキサンダーのもとに舞い戻ってきた。俺の父も相当の策略家だが、このヘファイスティオンにはかなわないな」
「カッサンドロス、僕はプトレマイオスとは何も・・・・」
「まあ、王の前ではせいぜいそう言っておけ、そう言わなければ高い地位にお前のような家柄ではとてもつけないからな。だけど誰が信じる?4年間だぜ。しかもアレキサンダーの側にいるよりよっぽど顔色もよくなり、男らしくなった」
「カッサンドロス、今すぐここを出て行け!いくら宰相アンティパトロスの子であっても、お前には今後一切王宮への出入りを禁ずる」
「お前に命じられなくても、どうせ俺は今日そのつもりでここへ来た。王宮だけでなく、自分の住む家に入ることももう二度とない、とな」
「どういう意味だ、はっきり話せ」
「襟元をつかまれたままではうまく話せない」
「わかった、さっさと話せ」

アレキサンダーはカッサンドロスから手を離し椅子に腰掛けたが、その目は激しい怒りで血走っていた。カッサンドロスはなぜわざわざアレキサンダーを怒らせるようなことばかり言うのだろう。ミエザにいた時からずば抜けて頭もよくみなの中心になっていたカッサンドロスがわざわざアレキサンダーの目の前で私を侮辱するなど、余程の理由があるに違いない。

「俺は父の命令で今日ここへ来た。4年前の事件のことで、アレクサンドロス王がお前に疑いを持っている。もしかかわりがあるのなら、王の前で全てを話し、潔く死罪になれ、こう言われた」
「やっぱりお前が関係していたのか」
「その際、父アンティパトロスとその家系の者はまったく関わりがない。あくまでもカッサンドロス個人の考えで計画した、こう言えと命じられた」
「それで、4年前の事件、お前とどう関わりがある」
「他の者がいる前では話せない。人払いをしてくれ」
「わかった」

アレキサンダーの命令でその部屋にいた者はすべて外に出された。

「ヘファイスティオンもだ」
「ヘファイスティオンはいいだろう。あの事件で彼が一番傷ついた。真相を知る権利がある」
「聞いていてもいいが、俺は気を使って慎んだ言い方はしないからな」
「お前の性格はよく知っている。昔から少しも変わっていない」
「4年前のフィリッポス王暗殺の計画、計画を考えたのも密告したのも全ては俺だ。もともと暗殺を実行する気などこれっぽっちもなかった、ただある一つの目的のために俺は周到に計画を練り、皆を巻き込んで実行した」
「なんだ、その目的は!はっきり言え!」

アレキサンダーは怖ろしい形相でカッサンドロスを睨みつけているのだが、カッサンドロスは口元に薄笑いすら浮かべていた。

「俺の真の目的はフィリッポス王暗殺ではない。真の目的は・・・・・・・・」



                                                  −つづくー



後書き
 フィリッポス王暗殺直後、アレキサンダーは王になった喜びよりも、母や自分に対する疑惑やいろいろな政治的駆け引き、さらにはたくさんの人を静粛という形で殺さなければならず、精神的にはかなり参っていたと思います。そこに現れたカッサンドロス、私の書くカッサンは傲慢でひねくれていて本当にイヤな性格ですね。ファンの方、ごめんなさい。
2006、5、15








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