雪の墓標(1)

アレクサンドロスとソグディアナ族長の娘ロクサネが正式に結婚した後、カッサンドロスはしばらくの間戦列を離れてマケドニアに帰国することを考えた。王とロクサネの結婚は全ての兵士、護衛仲間(ヘタイロイ)、将軍、指揮官、小姓、学者など遠征に参加したほとんどの者が反対した。下っ端の兵士や奴隷、女、娼婦などおおっぴらに反対できる立場でない者でさえ、その表情や態度から不愉快に思っているのは明らかだった。全ての者に反対されても自分の考えを変えないアレクサンドロス大王、カッサンドロスは遠征隊だけでなく留守にしたマケドニアのことが気になった。そうでなくてもマケドニアでは父アンティパトロスとアレクサンドロスの母オリュンピアス大后の対立が激化し、様々な手紙が遠征先に送られてきた。王が異民族の娘と正式に結婚したなどということを知ったら、遠征隊より遥かに数の多いマケドニア国民はどう思うだろうか?誰かが扇動して暴動が起きる可能性さえある。

「なあ、プトレマイオス。やっぱり俺が一度帰国して、アレクサンドロスの結婚を伝えてくるよ」
「確かにお前が一番妥当だろうな。アンティパトロス大臣の子であるし・・・・」
「ヘタイロイの中で一番抜けても構わない立場にいる。この辺りはまだ山岳部族の残党も多い。フィロタスやペルディッカスが抜けるわけにはいかないだろう」
「カッサンドロス、なぜお前は指揮官にならない。お前ほどの実力があれば、隊を率いて戦った方が遥かに手柄を立てられるはずだ。フィロタスよりも」
「俺は人に指図するのは苦手だ。自分がいかに傷つかないで生き残るか、そればかり考えている人間だからな。敵に取り囲まれて危ないとわかったらさっさと降伏する。そんな指揮官に誰もついてはこないだろう」
「そう言ってすぐごまかす。ミエザの時から変わらないな。本当はフィロタスを気にしているんだろう。あいつはどんなことをしてでも指揮官にならなければいけない立場にいる」
「フィロタスは気の毒な立場だよ。パルメニオン将軍の天才的な軍事才能は弟のニカノールがほとんど受け継いでしまった。あいつは才能もなく不器用で、偵察のような危険な仕事ばかり率先してやってきた。やっと認められて指揮官として弟と肩を並べられるようになったと思ったら、ニカノールはあっさり病死した。もう一人の弟ヘクトルも同じ頃死んだ。兄弟の中でただ一人の生き残りになってしまった」
「ニカノールやヘクトルは本当に病死なのか。俺はどうも怪しい気がする」
「俺もそう思う。狙うとしたら誰だ?ヘタイロイの一人か?ミエザにいたヤツだって信用はできない」
「ミエザの仲間は疑わない。そう思っているのは今ではアレクサンドロスだけか」
「それからヘファイスティオン・・・・あの二人は夢ばかり見て、周りの状況がまるでわかっていない」
「冷静な俺達がどうにかするしかないな。お前がマケドニアに戻り、俺は遠征隊を見ておく。お前がいない間、ヘファイスティオンからも目を離さない」
「知っているのか、俺達のこと」
「お前達がどういう関係か俺は知らない。だが、自分の命を第一に考えるお前が唯一命がけで助けるのはヘファイスティオンだけだ。ミエザの頃からずっと追いかけていた。無駄だとわかっていながら・・・・」
「無駄なことぐらいはわかっている。俺は今できることをやるよ。マケドニアで反乱が起きたら大変だ。手紙ではうまく伝わらない。俺が直接話す」
「お前は今でも結婚には反対なのだろう。それで何を話す」
「もちろん反対だ。だが決まった以上どう話せば暴動は起きないか、それを第一に考える」
「カッサンドロス、お前はやっぱりアンティパトロスの子だな。国のことを一番大切に思っている」
「そうでもないさ。俺達がいくら戦いで勝っても、補給が来なくなったら終わりだ。自分の身の安全を第一に考えている」
「俺も同じだ。気をつけて行ってこい。特に母大后様には注意しろ。下手に近づくと毒を盛られるからな」
「わかっている、わかっている・・・・こっちのことは頼んだぞ」





カッサンドロスは数人の護衛の兵士と共にマケドニアに戻った。途中異民族の残党に出会わないよう遠回りをしたため、予定よりかなり遅れてマケドニアに着いた。アレクサンドロスの結婚やその他の遠征について知らせる手紙は一緒に運ばれたので、そのことを知る者は誰もいなかった。カッサンドロスはまず先に父アンティパトロスに話をした。

「まさか陛下が異民族の女と正式に結婚するとは・・・・世継ぎが生まれたらどうする?マケドニア国民は決して認めない」
「しかし父上、畏れながらもアレクサンドロス王自身がエペイロス国から来たオリュンピアス母大后様の子です」
「それとこれとでは話が違いすぎる!カッサンドロス、その程度のこともお前はわからないのか!エペイロスや南の都市国家の人間は、皆国は違っても同じ神から生まれたいわば兄弟といっていい間柄だ。ところがペルシャの先、ソグディアナという場所など、どのような人間が住んでいるか見当もつかない。その地方の女の肌や髪はどんな色なのだ。エジプトのように褐色の肌をしているのか?」
「いえ、肌は白く黒髪で美しい女が多く・・・・」

カッサンドロス自身あちらこちらで異民族の女とも関係を持っていたし、何人かは遠征に同行させている。ヘタイロイ達もほとんどそのようにしているし、マケドニア本国に残った者よりも彼らの方がよほどよく異民族の女を知っていた。だからただ側室にするというだけならば、大きな反対はなかったであろう。

「アレクサンドロス王が異民族の女を王妃にするとは・・・・こんなことが知られたら、マケドニアはどうなってしまうのか。だから私は遠征前にあれほど結婚を勧めたというのに・・・・いいかカッサンドロス、本当のことは決して国民には知らせないようにしろ。また一人側室を娶ったとだけ、いや側室でも族長の娘では好ましくない。由緒あるペルシャ王家の血を引く太守の娘を側室にした、そう伝えるのだ」
「しかし父上、真実はいずれ、やがてアレクサンドロス王が遠征を終えてペラに帰還した時にでも知られてしまいます。それにアレクサンドロス王が母大后様に手紙を書かないとも限りません」
「おお、そうだ。その問題があったのか。あのオリュンピアス・・・・だがせめて国民には正式な結婚とは伝えるな。よいな」

何日もかけて注意深く、カッサンドロスはマケドニア国内の主な官僚に王が新しい側室を娶ったことを告げた。それでさえ異民族の女をということで、反論は大きかった。自分も反対したのにと思いながらも、カッサンドロスはアレクサンドロスを弁護する意見を言うしかなかった。そして数ヶ月があっという間に過ぎ、冬が近づいた。





「カッサンドロス、大変な知らせを受け取った。パルメニオン将軍の子フィロタスが王暗殺を企て、計画のまま未遂に終わったが、尋問を受け処刑された。パルメニオン将軍も密かに殺されたそうだ。ああ、なんということだ!あのパルメニオンが・・・・あれほどの活躍をし、敵に恐れられた男ができの悪い息子を持ったばかりに命を失うとは・・・・」
「フィロタス、フィロタスが暗殺を企てるなんて、そんなことあるわけない!これは陰謀だ。俺、いや私はフィロタスのことはよく知っている。父上、何が書いてあったのです。他になんて・・・・」
「私が今言ったこと以外、何も手紙には書かれていない」
「すぐに遠征先に行きます。何があったのか、この目で確かめます」
「待て、カッサンドロス。もしフィロタスの死が陰謀によるものならば、遠征先に向かえばお前の命も危ない。フィロタスもパルメニオンももう死んでいる。今さら何もできない。ここで次の知らせがくるのを待つのだ」
「そんな、フィロタスはミエザからの友達で・・・・彼にには随分意地悪をしたけど・・・・フィロタスがどういう性格か知っています。陰謀を企てることなど決してありえない」
「私とて、パルメニオンは古くからの友人だ。彼がいたからマケドニアはここまでの国になった。もうこの世にいないなどということ、今でも信じられない。私とパルメニオンはフィリッポス王の両腕と言われていた。王を失い、今ここでもう片方の腕を失うとは、自分の体を引き裂かれるように辛いことだ。だが、私はこの事件の真相を調べようとは思わない。そんなことをすれば、また先の王位継承争いのように、同じマケドニア人が戦い、親と子、兄弟が敵味方に分かれて殺しあうことになってしまう。パルメニオンは決してそんなことを望んではいないだろう。お前も今行ってもフィロタスは救えない。いずれ戦列に戻るとしても今はここから離れるべきではない」
「わかりました、父上、私もマケドニア人が敵味方に分かれて戦うなど、決してあってはならないことだと考えています。フィロタスの死の真相を追求しようとも思いません。でも、今俺、私が行かなければ取り返しのつかないことが・・・・」





カッサンドロスの目の前にある光景が浮かんだ。秋の終わり、そうでなくても寂れた山岳地帯の荒野で杭に縛られうなだれているフィロタスの姿が・・・・暗殺を企てた裏切り者の処刑はもっとも苦しむ石打の刑と昔から決まっている。護衛仲間(ヘタイロイ)が石を持って周りを取り囲んでいる。ミエザの仲間とアレクサンドロスはその位置にはいない。プトレマイオス、ペルディッカス、みな少し離れた場所で処刑の様子を見ようというのか。だが、ヘファイスティオンはそこにはいない。彼はフィロタスの真正面の位置で震える手で石を握った。

「やめろ、ヘファイスティオン、お前が石を投げてはいけない」
「手を離せ、カッサンドロス」
「ミエザの仲間を、なぜ、自分の手で殺す!」
「仲間だから、俺の手で殺さなければならない」
「やめろ!お前がそれをやるな!お前がそんなことできるわけないだろう・・・・」





「打算的な性格のお前が、ミエザの者に対してだけは自分を捨てられるのだな」
「父上・・・・・」
「私はパルメニオンのようにはなりたくない。今戦列に戻るというのなら、親子の縁を切ると証書に書いておくからサインをしておけ。子は他にいくらでもいる。愚かな一人の息子のために命を失いたくはない」
「わかりました。証書はすぐに書いてください。明日の朝にでも出発します」
「誰に対して、そこまで忠実になれる」
「私はアレクサンドロス王に対して誰よりも忠実なつもりです。彼以外の者の中では・・・・」


                                          −つづくー



後書き
 カサヘファの続きとして、ふっと頭に浮かんだシーンがあったので書き出してみたらヘファが全然登場しないまま終わってしまいました。フィロタス絡みの悲しい話で、他に書かなければならないと思っている話があるにも関わらず、浮かんだシーンが頭から離れないので、まずはこちらを書き終えてみます。
2006、3、20


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