雪の墓標(2)

カッサンドロスは小数の護衛の者だけを伴ってペラを出発した。冬、雪の降る高地を避けて進んだため、前よりもさらに多くの日数をかけて遠征隊の野営地に合流した。冬にヒンズークシュの高い山脈を越えることは不可能なので、かなり南に離れた場所で越冬していた。ここで長く滞在する予定のためか、大小たくさんの小屋や小さな劇場、王宮のようなものまで作られていた。そして毎晩のように宴会が行われた。アレクサンドロスはロクサネと同じソグディアナの女の踊りを見ながらバゴアスの注ぐワインを飲み、楽しんでいた。プトレマイオス、ヘファイスティオン、そして他の護衛仲間(ヘタイロイ)も同じであった。フィロタス処刑の知らせを受けて急いでペラを出てきたカッサンドロスには、信じがたい光景であった。全軍がフィロタスの死を嘆き悲しんでいるとは想像してなかったが、少なくともヘファイスティオンなどは責任を感じてゲッソリ痩せているのではないか、そう思っていたからである。

「カッサンドロス、ご苦労だったな。アレクサンドロスには報告したか」

宴会場でカッサンドロスを見つけたプトレマイオスがすぐに話しかけてきた。

「いや、まだだ。バゴアスにあんなふうにもたれかかっていて、見ていられない」
「とりあえず挨拶だけは早めに済ませておけよ。礼儀正しく俊敏な態度が命を救う」
「フィロタスのことは・・・・」
「その話は今はするな。下手にフィロタスの話題などしたら、自分の命が危ない。アレクサンドロスは変わった。昔と同じようにしていたらどうなるかわからない。お前はここを離れていたからわからないだろうけど」
「そうか、そんなにいろいろなことがあったのか」
「ペラではどうだった。アレクサンドロスの結婚にみな反対していただろう」
「結婚などという言葉は口が裂けても言えなかった。側室で、ペルシャ王家の血を引く娘と言っても、まだ説明が必要だった」
「マケドニアから出たことのない人間にはわからないだろうな。俺達の今の状況も、アレクサンドロスの変化も」
「ヘファイスティオンはどうしている?」
「別に変わりはないさ。ワインを飲む量が多くなって、前よりよくしゃべるくらいだ」
「だってフィロタスを・・・・」
「フィロタスのことは口にするなと言っただろう。大きな声で言えないが・・・・」

プトレマイオスは周りを見て、声をひそめた。

「あいつを一番苦しめたのはヘファイスティオンだ。拷問にかけ、真正面から石を投げた」
「そんなことをあいつが・・・・」
「あいつはもう昔とは別人だ。フィロタスのことはずっと妬み、恨んでいたと言っていた。だからといって、昔の友達にあそこまでするとは・・・・拷問があまりにも酷く、アレクサンドロスが途中で止めたそうだ」
「おい、ヘファイスティオンは何をやった!どうしてあいつにそんなことをやらせる!」
「俺に怒るなよ。あいつがやったことだ。いいかカッサンドロス、お前もミエザの仲間とか、誰にもなびかないあいつの強さと気高さに憧れていたとか、そんな夢みたいなことはもう考えるな。根が純粋でまじめなやつほど、一度裏切られればとことんやってしまう。アレクサンドロスもヘファイスティオンもそういう人間だ。もう近づくな」
「あいつは・・・・ヘファイスティオンはさぞかし苦しんで・・・・」
「それを考えるな。お前にまで何かあったらマケドニアはどうなる。アンティパトロス大臣まで殺されたら、国は崩壊する」
「それはないから大丈夫だ。俺はもう父から親子の縁を切られている」
「そこまでする価値があるのか、ヘファイスティオンは・・・・俺にはわからないね」
「その方がいい。お前に迷惑はかけたくない、プトレマイオス。俺はアレクサンドロスに挨拶に行ってくるよ」

プトレマイオスの側を離れ、アレクサンドロスと形式的な挨拶だけ交わし、カッサンドロスは自分用の天幕へ戻った。ヘファイスティオンは他の仲間と飲んでいた。長旅の疲れもあり、それ以上騒ぎの中で話す気にもなれなかった。





「カッサンドロス、カッサンドロス」

夜、自分の名を呼ぶものがいた。慌てて起き上がり、天幕の外に出た。

「ヘファイスティオン」
「戻ってきたのに、どうして俺に挨拶もせずさっさと寝てしまう。それもこんな古い天幕で・・・・ヘタイロイをこんなところで寝かせるわけにはいかない。明日アレクサンドロスに言って、小屋か何かを用意させるよ」
「ああ、そうか。用事はそれだけか」
「いいワインを持ってきた、入ってもいいか」
「いいけど、俺はすぐ寝るかもしれない。長旅で疲れている」
「前に使った薬、まだ持っているんだろう。あれが欲しい」
「早く中に入れ。立ち話して他のやつに聞こえても困るだろう」
「大丈夫さ、俺も今ではアレクサンドロスと同じくらい恐れられている。悪口や噂話など誰もしないさ」
「いいから入れ、お前相当酔っているようだな」

カッサンドロスはヘファイスティオンの体中からワインの匂いがしているのを感じた。毎晩浴びるほど飲んでいるに違いない。足元もふらついている。カッサンドロスが体を支えると、一瞬その手を強く体に回された。

「カッサンドロス、お前が戻ってくるのを待っていた。誰もが俺を恐れてまともに話そうともしない。お前なら、何も見ていないから、昔と同じように俺を抱けるだろう」
「抱いてやるよ。抱いてやるから中へ入れ」

フラフラした足取りで歩くヘファイスティオンを支えながらカッサンドロスは天幕の中に入り、ベッドに座らせた。

「ほら、このワインは上等だ。お前が前に使った薬を入れてくれれば、さらによくなる」
「あんなもの、旅に持ち歩いたりはしない。俺が留守にしている間に誰かに盗まれた」
「惜しいな。どこで手に入れた。あの夜は最高だった。自分の体が溶かされ、別のものに生まれ変わったみたいだった。またあの快感が欲しい。カッサンドロス、お前ならできるだろう。小姓や女など話にならない。あの快感を与えてくれるのはお前だけだ」

ヘファイスティオンの手がカッサンドロスの体に周り、唇に触れた。

「ヘファイスティオン、お前の体は何故こんなにも冷たい」
「冬だからさ、暖かい季節とは違う。それにしばらく誰も抱いていないから」
「アレクサンドロスはなぜお前に冷たい」
「俺のしたことに驚いたからだろう。俺はフィロタスを拷問にかけた。途中で見に来たアレクサンドロスがあいつの体を見て顔をそむけ、俺の手を止めたよ。松明の明りでよく見た俺も驚いた。自分が何をしたのかよくわかっていなかった」
「ヘファイスティオン、お前はフィロタスにいったい何を・・・・」
「教えて欲しいか、カッサンドロス・・・・フフ、お前になら教えてやってもいいかもしれない。この前の時のように、俺の体を拘束して、油でも垂らして責めてみるんだな。俺の体はお前に一度溶かされている。じらせばお前を欲しがってなんでもしゃべるさ。ああ、思い出すだけでも体が疼く、お前の指は俺の体を呼び覚ますことができる」

ヘファイスティオンの手はカッサンドロスの手を握り、自分のものへと導いた。

「触ってくれ、カッサンドロス。アレクサンドロスはもう2度と俺の体には触らない。ああ、気持ちいい。こうしていると初めてここに手を触れられた時のことを思い出すよ。俺はいつの自分の手で触れて自分を慰めていた。自分の体はアレクサンドロス以外誰にも触れさせないと誓っていた。それなのに・・・・」
「触ってやるよ、ヘファイスティオン、お前が満足するまでいつまでも触っている。だけど、お前がフィロタスを拷問にかけたのも、元はと言えばアレクサンドロスのためだろう。手紙ではよくわからなかった。詳しく話してくれ」
「フィロタスは小姓達がアレクサンドロスの暗殺を企んでいたのを知っていた。知っていて何も告げないでいた。アレクサンドロスが殺されるのを待ち・・・・」
「そんなことあるわけないだろう。なぜフィロタスがアレクサンドロスの死を願う」
「あいつの父親はパルメニオン将軍だ。アレクサンドロスが死ねば全権限が将軍の手に渡るかもしれない。そうすればあいつの思うままだ」
「本当にそこまで考えていたのか」
「さあね、だけどあいつはみんなに嫌われていたから、裁判になった時誰も弁護しなかった。あいつの悪口ばかりみんな言っていたよ。ニカノールが死んでからフィロタスは変わった。自分以上の指揮官はいないとみんなに自慢し、奴隷女にまでアレクサンドロスの命を助けたことがあると言いふらしていた。それまで弟のニカノールは優秀だったから、それで妬んでいたんだろう。もしかしてニカノールとヘクトルを殺したのもフィロタスかもしれないな」
「いくらなんでも実の弟は殺さないだろう」
「甘いな、カッサンドロスは・・・・俺もフィロタスと同じタイプの人間だからあいつの気持ちはよくわかる。自分を踏みにじり、侮辱したヤツにいつか復讐しようと機会を狙っている。おそらく子供の時からずっとニカノールの方がよほど優秀だったのだろう。俺達よりずっと若いのに歩兵の指揮官まで任されていた」
「確かにニカノールは指揮官として天才的な才能があった。だがそれでフィロタスが嫉妬して殺したと思うか?」
「そう思わせてくれ・・・・フィロタスは残忍で卑怯で嫉妬深い性格の男だった。だから王の暗殺まで企てた・・・・弟を殺した男だ・・・・ああ、カッサンドロス、お前の指はいいところに入っている。もっと俺を責めてくれ。そうしたら全て話す」
「誤魔化すな、ヘファイスティオン!フィロタスがニカノールを殺しただと・・・・お前がそんなこと信じているわけないだろう。フィロタスがニカノールの死でどれだけ嘆き悲しんだか知っているだろう。あれからあいつは変わったよ。それまでは人がよくて危険な仕事を率先してやるようなやつだったのに、浴びるように酒を飲み、部下に豪勢に振る舞い、自慢話ばかりするようになった。俺は弟と年が離れているからフィロタスの本当の気持ちはわからない。優秀な弟を持ち、それでも負けまいと頑張り、認められることだけを目指して歯を食いしばって生きてきた男が、その目標とする弟を亡くしたらどうなってしまうか、想像はつくよ」
「ああ、カッサンドロス。言葉はいいからそろそろお前のもので俺を責めてくれ。これ以上話を聞いていると、フィロタスがいいやつで、彼を拷問した俺が酷く残忍な人間のように思ってしまうじゃないか」
「俺の前で全てを吐き出せ、ヘファイスティオン。そうしないとお前は狂ってしまうぞ」
「気が狂う?もうとっくに狂っているさ。俺はアレクサンドロスを守るためにフィロタスを拷問にかけた。それなのにアレクサンドロスは目をそむけ、毎晩バゴアスばかりをはべらせている。友人を拷問にかけてまで守ろうとした男より、何も知らない、男ですらない宦官に身を任せ、愛しているんだよ。この手を汚さずにアレクサンドロスに愛されるなら、俺だってそうしたい。でも、誰かがそれをやらなければいけないのなら、誰よりも愛している俺がその役を引き受けるよ。俺は神の前で堂々と誓える、誰よりも彼を愛していると、それなのにもう、愛されることは決してない」

ヘファイスティオンは体を震えさせながら泣いた。その体をカッサンドロスは強く抱いた。

「ヘファイスティオン、アレクサンドロスはお前を愛してないわけじゃない。お前が愛のためにどれだけの犠牲を払ったかも知っている。でも、今お前を見て、お前の体に触れるのは辛すぎるから、バゴアスに逃げているだけだ。俺だって辛い。ミエザの時から俺達はいつも一緒だった。何をするにも一緒だったから、少しのことですべてを思い出してしまうんだよ。お前を愛してないわけではない」
「カッサンドロス、もっと強く俺を責めてくれ。お前のもので意識を失わせてくれ。そうすればお前に全てを話す」
「わかった、今夜はお前を溶かさない。氷のような鋭く冷たい痛みを覚悟しろ」

カッサンドロスはヘファイスティオンの体をベッドに固定した。足を大きく開かせ、目隠しをして体に力を入れた。戦士として鍛えたカッサンドロスの体は優雅に見えても強い力を出せた。何の処置もされずに開かされたヘファイスティオンの後腔は少しの摩擦でも血を流し、口からは嗚咽が漏れた。

「もっと、もっときつく責めてくれないと・・・・カッサンドロス・・・・俺を苦しめろ・・・・フィロタス、そこにいるんだろう?こんな格好で叫んでいる俺を見てあざ笑え・・・・お前はどんなに苦しめられても男らしく誇りを捨てずに・・・・どうしてそんなに誇り高く生きようとする・・・・もういいだろう、パルメニオンの関与を認め、お前は生き延びろ。早く認めてしまえ、フィロタス・・・・名誉も誇りも必要ない・・・・俺はただお前にどこかで生きてほしいと・・・・ただ生きて・・・・生きて欲しい・・・・フィロタス、そこにいるんだろう。わかってくれ・・・・」





意識を失ったヘファイスティオンの体を、カッサンドロスは何度もなでた。顔についた涙の跡をぬぐい、そっと口をつけた。

「フィロタス、お前は今どこにいる?お前はわかっているんだろう、ヘファイスティオンはお前を殺した罪に苦しみ、死にかけている。どうしたら救えるか、教えてくれ。俺ではだめだ。お前にしか救えないんだよ。俺はどうしたらいい・・・・」


                                          −つづくー



後書き
 ヘファイスティオンが一番アレクサンドロスと離れてカッサンドロスと結びつく可能性が高いのは、ロクサネとの結婚後とフィロタス事件の後だろうと思って書き始めました。フィロタスの心理や、彼を拷問して処刑したヘファイスティオンの本当の気持ちはまだつかみきれていませんが、そこまでしたヘファイスティオンをアレクサンドロスは避け、バゴアスに逃げてしまったんだろうな、と思います。アレクサンドロスには彼なりの苦悩があるのでしょうけど、それでもこの時期のヘファイスティオンの苦しみは壮絶だったと思います。
2007、3、23


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