雪の墓標(3)
カッサンドロスは、自分より少し後にペラを出発したはずの補給部隊の到着が遅れていることが気になった。遠征隊は暖かな場所を選んで冬を越そうとしているのであるが、女や子供、奴隷を含めれば五万人を超える人間の食料や生活用品は周辺の村から集めるだけではとても足りないだろう。そのことを気にしているのか、考えないようにしているのか、アレクサンドロスも護衛仲間の幹部達もみな昼間から宴会を開き、酒ばかり飲んでいた。アレクサンドロスのそばにはいつもバゴアスが付き添い、杓をしている。カッサンドロスがそばにいくと、バゴアスは一礼をして少し離れた位置に立った。
「アレクサンドロス、ちょっと相談したいことがある。今大丈夫か?」
「カッサンドロスか。マケドニアでのつまらぬ批判などは聞きたくない。それ以外の話ならいくらでも言え。ヘタイロイの間に遠慮はいらないだろう。もっとも最近は相手が誰であれ、差し出される飲み物、食べ物には用心しているが、話をして殺されることはないだろう」
「もう酔っているのか」
「俺はいくら飲んでも酔わない」
「マケドニアからの補給部隊が遅れている」
「補給部隊を出したのか。遠く離れていてもお前の父アンティパトロスは忠実に任務をこなしてくれる。お前のことは信頼してもよさそうだ」
「手紙は受け取ってないのか」
「手紙?ああ、しばらくいろいろなことがあったから、手紙にすべて目を通してない」
「昼間から酒を飲んでいるからか」
「カッサンドロス、言葉遣いには注意した方がいい。俺はかまわなくても、いつ誰がお前の言動に注目し、裏切り者と密告するかわからないからな。俺達の話を密かに聞いて、記録をつけているやつがいるかもしれない」
「それなら用件だけお話いたします、陛下。私の父が出した補給部隊の到着が遅れているようなので、隊を離れて様子を見てきてもいいでしょうか?」
「いいだろう。今までこのようなことは大抵フィロタスがやっていた。あいつは本当によく気がきくやつで、偵察でも補給部隊の援助でも自分から進んで名乗り出てよくやってくれていた・・・・あいつは、フィロタスは・・・・あいつの言うとおり陰謀など企ててはいなかった。その話を耳にして、むしろ小姓達をいさめ、計画を未然に防ごうとしていたのかもしれない。それなのに小姓の一人が毒を入れ、その責任をフィロタスになすりつけた。もっとよく調べればよかったのかもしれないが、みな激しくいきりたち、フィロタスを処刑しろとわめいていた」
「陛下、その話を誰かに聞かれる場所でするのは・・・・」
「お前はあの時いなくて運がよかった。フィロタスはお前だけは恨まずに死んだであろう」
「アレクサンドロス、もういい、やめてくれ。俺はそのことについては何も言えない。補給部隊の後援にヘファイスティオンも連れていきたいが、許可をくれるか?」
「ヘファイスティオン・・・・あいつは変わった。昔のあいつは人の失敗を自分がやったと名乗り出て罰を代わりに受けるようなやつだった。いつも真っ直ぐな目で俺を見ていた。そのヘファイスティオンが・・・・あれは絶対ヘファイスティオンがやったことではない。狂気にとりつかれていた。フィロタスをあそこまで・・・・俺が見に行った時、フィロタスはもう半分正気を失ってわけのわからないことをわめいていた。それなのにヘファイスティオンはまだ拷問を続けようと・・・・俺はその手を止めた・・・・敵を一人殺すにも震えていたヘファイスティオンが・・・・」
「アレクサンドロス、ヘファイスティオンに何か別の仕事を与えた方がいい。連れて行っていいだろう?」
「わからない、あいつのことはもう俺にもわからない・・・・おい、バゴアス、ぶどう酒の樽を持ってこい。カッサンドロス、ぶどう酒がもう足りなくなる。急いで行ってくれ・・・・バゴアス!すぐに補給がある。心配しないでありったけの樽を持ってこい!」
「それで俺を連れて補給部隊の様子を見に来たというわけか。まさかアレクサンドロスは俺とお前のことを・・・・」
「そうは思ってないようだ」
「もし疑ったとしてもちょうどいい厄介払いができたと喜んでいるかもしれない。アレクサンドロスにはバゴアスがいる。俺達ヘタイロイと違って、奴隷で宦官の男なら裏切ることは決してないだろう。家族もなく、子を作ることもできない男など、裏切らなければならない理由もない」
「なぜ、そういい切れる。ペルシャの話を知っているだろう。宦官が前の王を殺し、王宮を支配した」
「宦官の話はもういい。俺はそういう経験はないから、宦官が何を考えているかなんてさっぱりわからない。それよりも早くお前が欲しい。そのために連れ出してくれたんだろう」
「それもそうだが、お前は大丈夫なのか?」
「本当にアレクサンドロスを愛しているのか自信がなくなってきた。お前があまりにも大きな快楽を与えてくれるから。カッサンドロス、もし俺の初めての相手がお前なら、俺の人生は変わっていただろうな」
「そうでもないさ、俺も昔はいろいろな相手といろいろやったけど、別にそれで俺に狂って人生を台無しにしたやつなんて、一人もいない」
「俺ならきっとお前に溺れていたさ。この年齢でも、話をするだけで体が疼いてくる。カッサンドロス、お前が欲しい、愛している」
「もっとそばにこい、体が冷えているぞ」
「冬だからな、また雪が降り出しているかもしれない」
「ここで足止めか」
「それもいいだろう。ここでお前と抱き合っていれば、全てを忘れられる。もっと雪が降ればいい。ああ、俺の体に熱い血が流れる。死んだような体が生き返る。カッサンドロス、きてくれ、早く・・・・」
「外は雪だ。ゆっくり溶かしてから愛し合えばいい。ヘファイスティオン、もう苦しまなくていいぞ」
「俺がいつまでも苦しんでいるわけないだろう。ああ、いい。お前の指は最高だ。俺の体をいいように溶かしてくれる。ああー・・・・」
小数の護衛兵を連れて、カッサンドロスとヘファイスティオンは西へ進んだ。だが、本当にカッサンドロスは補給部隊の後援のためだけにこの道を通っているのだろうか。もう少し南よりの道を通ってもよさそうなのに、カッサンドロスは忠実に以前遠征隊が通った道を進んだ。山道は雪が積もり、一日に進める距離もわずかだったが、それでも同じ道を進んだ。
「カッサンドロス、山は雪が多いぜ。こんな道補給部隊も通ってはいないだろう。もう少し雪の少ない所を・・・・」
「いや、ここを通らないと途中で行き違いになる。あの山を越えれば平らな場所に出る。雪が深くなければ馬に乗って進めるだろう」
「平らな場所か。山の向こうには魔物が住んでいるぞ」
「魔物なんて俺は恐れたりはしない。あんなものは神話に出てくるだけだ」
「復讐の女神という魔物はどうだ。お前は大丈夫でも、俺は無事あそこを通れるか自信がない」
「この山の向こうで・・・・」
「フィロタスを処刑した。お前は俺をそこに連れていきたかったのだろう」
「ヘファイスティオン・・・・」
「どうせ俺は復讐の女神から逃げられない。どんな形で復讐されるのか、お前が見届けてくれ。ここまでお前と一緒に来れて楽しかった。俺が神と思い愛したのはアレクサンドロスだったけど、お前は人間として俺を愛してくれた。おかげで死の恐怖を忘れることができた。ここから先は俺一人で行き、フィロタスに会ってくる」
「待て、ヘファイスティオン。俺もそこへ一緒に行く」
「復讐の女神からは逃れられない。俺もお前も狂気に取り付かれる。フィロタスもそうやって死んだ。拷問で正気を失って、まっすぐ歩くことさえできなくなっていた。俺が支えて歩かせた」
「今のお前も震えていて、まともに歩くことさえできない。ヘファイスティオン、俺が支えてやるよ。お前は俺達ミエザの仲間で一番気が弱く力もなかった。一人ですべて背負えるわけないだろう。一緒に行こう」
「カッサンドロス・・・・」
雪は激しく降り出してきた。途中で洞窟を見つけて護衛兵達をそこに避難させ、二人だけで山道を歩いた。山を降りると真っ白な平原が広がっていた。その場所に以前は川が流れ、草が生えていたのだが、今は何もかも雪と氷で覆われていた。
「フィロタスを殺したのは川の近くだった。大きな木に体を縛りつけ、石を投げた。この木だよ、見覚えがある」
「他に高い木は見当たらない。わかりやすい場所を選んだのか」
「この木だ、間違いない。俺は別の場所でフィロタスを拷問にかけ、夜明けになってここまで運んできた。せめてパルメニオン将軍に言われたと白状してくれれば命は助けてやることができたかもしれない。いや、命は助かっても拷問で正気を失い、まともに歩けなくなった体ではどんな生き方が他にできる。殺されてよかった・・・・苦し紛れに何度もミエザのことを話した。ミエザといえば俺が手加減し、許してやるとでも思っているのか!仲間に裏切られたアレクサンドロスがどんなに苦しんだか、フィロタスは何もわかっていない」
「・・・・・・」
「この木に縛り付けた時にはもう正気を失っていた。ミエザに降る雪が見たいとか、雪の降る場所に埋めて欲しいとか、わけのわからないことばかりつぶやいていた」
「フィロタスは冬が好きだと言っていた。雪が降って暖炉のまわりにみんなが集まり、窓の外を見たりしゃべったりしている時が一番楽しいと言っていた」
「あいつは俺と同じ不器用な人間でだから、雪が降って野外演習ができなくなるとほっとしたんだろう。乗馬、槍投げ、弓矢、俺とフィロタス、どちらが仲間の中で一番下手か争っていたぐらいだったから・・・・それなのに雪が降るとやたら張り切って外へ行こうなんて俺を誘うんだぜ。ノウサギの足跡を見つけたとか、落ちてくる小さな雪のかけらが一つ一つ形が違う、なんてうれしそうに言いながら・・・・雪の降る場所に・・・・それだけは願いをかなえてやった。この木の下にフィロタスを・・・・二度とこんなことは起きないよう見せしめのため拷問にかけ、石打の刑で殺せと言い出したのも俺だ。酷い人間だろう。昔の友達を正気を失うほどの拷問にかけ、石で打ち殺した。死んだすぐ後の体はまともに見られないほどひどい状態だった。お前は見なくてよかったよ」
「本当に、雪のかけらは一つ一つ形が違うんだな。ほらヘファイスティオン、よく見るとなかなか綺麗だ」
「雪のかけらなんて・・・・そんなものすぐ溶けてしまい、なんの価値もない」
「すぐ溶けてしまい、なんの価値もない雪のかけら、確かにそうだ。でもな、フィロタスは死の間際、苦痛と恐怖で正気を失いながらも、お前にそれを見せようとしたんだよ」
「雪の降る場所に埋めて欲しい・・・・」
「フィロタスにはわかっていた。やがてお前が自分のところに戻ってくることを・・・・その時お前が苦しまないようあたり一面白い雪に覆われて、美しい世界になっていることを望んでいたんだ」
「なぜ、俺を恨まない!俺はあいつを散々苦しめ死に到らせた。苦しめて復讐すればいいだろう」
「復讐なんて望んでいない。死の間際、ただお前が苦しまぬようにとそれだけを・・・・俺にはわかるような気がする」
「俺にはわからない・・・・なぜそんな気持ちになれる・・・・・」
「ヘファイスティオン、もっと俺のそばに来い。一人で立っていると寒いだろう。二人で抱き合っていれば暖かい。あそこにノウサギがいる」
「こんな雪の降る日に出てくるわけないだろう」
「それがいるんだよ、ノウサギの中にも変なヤツが・・・・お、こっちを見ているぞ。気がついて逃げ出した。もう見えない、逃げ足の速いヤツだな」
「カッサンドロス、俺は生きていてもいいのかな」
「そのためにフィロタスはこんな雪の日にわざわざ俺達を呼び出した。お前が死ねばアレクサンドロスも生きていられない」
「もう俺のことなんか、バゴアスもいるし・・・・」
「愛とは、互いの魂が深く結びつくとこ。真の愛は互いの魂を高め、国をつくり、どこまでも遠くへ羽ばたかせる。お前達二人は魂で結びついている。俺やバゴアスなど入る隙もない。まあ、俺は少しはお前の体にもぐりこめるようになったが・・・・」
「カッサンドロス」
「ここではやめろ。フィロタスが驚くだろう。俺達ミエザではそういう関係でなかったから」
「そうだね」
「まっすぐにアレクサンドロスだけを愛している、そんなお前をみんな好きだった。誰も手が届かなかったが・・・・」
「俺はみんなに嫌われていると思っていたけどな」
「そんなことはない。みんなお前を愛していた・・・・だからフィロタスもお前を許すことができた・・・・俺達の関係も変わってしまった。だけどミエザで過ごした日々は変わらず胸の中にある。俺達が生きている限り・・・・」
ヘファイスティオンは頷いた。彼はカッサンドロスのそばを離れ、大きな木の幹に手を触れた。
−完ー
後書き
この話は最初の雪のシーンがまず頭に浮かび、それから最初の方を書き始めました。音楽としては「アヴェ・マリア」(イル・ディーヴォの歌声)で、許しというテーマで考えてみました。最後、木に手を触れたヘファイスティオンがフィロタスに何を語りかけるのか、その言葉は何を言わせても違うように感じたので、あえてそのまま終わりにしました。
2007、3、29
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