| 2008年10月19日 |
| 渡り鳥 |
| 一昨日、草取りをしていたら、頭上で鳥の鳴き声が聞こえました。とても近くで、普段は聞くことのない鳴き声でしたので、顔をあげて見ました。渡り鳥の群れでした。白鳥が逆Vの字になって綺麗に羽根を広げて飛んでいました。きっとウトナイ湖をめざしているのだろう、と思い、ぽっと胸が温かくなりました。去年と同じ白鳥の群れではないかもしれません。それでも今年もこうして飛んできてくれたのが嬉しいのです。冬になったら行って見よう。羽根が折れて飛び立てずにいた白鳥と再会できたかもしれません。再会といえば、今年もあの大空を飛んで異国へ行き、明るい太陽のもとで喜びを分かち合っている友達がいます。一緒に行けない寂しさがないといえば嘘になりますが、高所恐怖症で閉所恐怖症の身なので、すっかり諦めています。でも想う事は出来ます。心は一緒に旅をしています。写真でお馴染みの方たちとあの地を歩いています。一緒に大空を飛べなくても、湖の片隅で、来年の飛来を待つ片羽の白鳥の気持ちを、思いやることの出来る私になれました。 |
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Posted by suzuki at 11:19
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| 2008年10月12日 |
| 旅路 |
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10月になると一気に秋の気配です。9月にはまだ夏の名残があって、暑かったりもしましたが、さすがに一雨ごとに寒さが増してきました。峠では雪の便りも聞こえます。紅葉は山間から麓へ下りて来て、町を歩いていると、並木も色づき始めています。風が吹き抜けるたびに、色とりどりの枯葉が舞い上がり舞い落ちて、一層秋の深さを思わせます。あと一月もすれば雪が降り出して、あたりは白い世界に変わって行きます。季節は毎年同じことの繰り返しなのですが、同じ時間が流れているわけではないのだと、実感させられるのがこの時期です。日々老いていく自分を雪かきのたびに思うのです。視力も落ちてきて、歩みもおそくなり、何より気力が萎えてきました。哀しいくらいに根気がなくなった事を感じます。だからこそ、今、このひと時がとても大切に思えるのです。この現実を素直に受け入れて、出来る事を、ただ誠実にやっていこうと思います。決して無理することなく、ひとつひとつ、この目でこの手で、五体を使って確かめながら、失敗したらやり直して、その途中で倒れることがあったとしても、ありがとうの言葉だけは忘れずに旅立ちたいと思うのです。 |
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Posted by suzuki at 21:28
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| 2008年9月25日 |
| 秋景 |
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今年の9月は何時に無く残暑が長かったような気がします。汗などめったにかかない私が、今年は「暑い!」を言ってしまいました。朝夕は涼しいのに、日中は夏日になったりして、草取りも休みながらでなければ続きません。それでも日陰に入るとひんやりとします。少し風が強く吹くとすっかり秋です。空を見上げると青く高く、そして、白い雲がゆったりと流れていきます。赤とんぼがすっと飛んできて足元に羽根を休めたりします。鳥たちの囀りも変化があります。夏の間は賑やかだった鳴き声が、このところは少しゆったりと穏やかになってきた気がします。鳥の種類など知らないのですが、それでも一年を通して聞く鳥の声は、やはり季節によって違うのだと、今更のように気付かされました。耳を澄ませば、身近な自然の声が、聞こえてきます。心を傾ける…。それがとても大事なことだと思えます。土の色、草の音、風の囁き、ことさらに研ぎ澄まさなくても、素直に視線を向けるだけで、自然は応えてくれるのですね。秋の景色のなかに身をおいて、それをしみじみと感じています。 |
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Posted by suzuki at 10:44
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| 2008年9月3日 |
| 時の流れ |
| 私が初めて編物に触れたのは、中学生の時、家庭科の授業でした。レース編みで袋物を編んだのです。とても苦労して友達に手伝ってもらい仕上げた記憶だけが残っています。本格的に編物を始めたのは高校生になってからです。何を編んだのかは覚えていませんが、母が購入した婦人雑誌に編み方が載っていたのを見て、多分鈎針編みのベストを編んだと思います。以来どれくらいの編物の本を手にしたことでしょう。数えたことはありませんが、かなりの数があると思います。若い頃のように寝る間も惜しんでの編物はできなくなり、最近は専ら本の頁ばかりをめくっています。それも娘時代の古い本ばかりです。この本を買ったときは何処に住んでいたとか、何をしていたとか、思い出にひたりながら見ています。モデルは若いお嬢さんばかりではなく、年配の方だったり、女学生だったり、赤ちゃんなどもいます。眺めていて、ふと思うのです。私も歳をとっていますが、思い出の本の中で、にっこり微笑んでいる人たちも、現実ではやはり年齢を重ねていらっしゃるはずです。どんな人生を歩まれているのでしょう。想像もつきませんが、昨今の悲しい事件の報道を目にするたびに、せめてこんな不幸な出来ごとに関わっていませんようにと願います。子供時代「今時の若い者は…」とか「昔は良かった…」とか大人は何かと言えば口にしたものでした。そして、その子供達が大人になった今、往々にして同じ言葉を子供達に浴びせています。自分達が言われて嫌だった言葉を何故言うのでしょう。「子供のくせに」と言われて傷ついた事を何故忘れてしまうのでしょう。覚えていたら、きっと同じ言葉を口になど、出来ないと思うのです。私は今まで生きて来て、嬉しかった事は勿論ですが、悲しかったこと、悔しかったことなども忘れたくはありません。嬉しかった事は感謝になります。傷ついたことを忘れなければ、同じ傷を相手に負わせないように、思いやることができると考えるからです。 |
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Posted by suzuki at 17:13
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| 2008年8月12日 |
| 草のいのち |
| 去年までの草取りは不承不承でした。土の感触がどうにも苦手な私、ここへ引っ越してきて、庭に植えた花たちのために、仕方なく…でした。でも、今年は少し変わりました。春先に崩してしまった体調の、リハビリを兼ねて、毎日庭に出ているうちに、ふと気付いたのです。草を抜くとき、何の抵抗もなく抜けてくる草もあれば、思いっきり引くと、途中で切れる根もあります。そして、その根が思いのほか長く、横にも繋がっているのだという事が、胸にこつんとぶつかって来ました。草の一本も生えていない、美しい花が咲く清潔な庭、それはそれで素敵です。ただ、私は根こそぎ、という言葉に馴染めません。根こそぎ抜いてしまえば、そこから新しい「いのち」は生まれません。この世に邪魔な「いのち」なんてありません。誕生したのは必要があってのはずです。海の中のいのち、陸上のいのち、空のいのち、この地球上に生まれて、気の遠くなるような時の流れの中で、みんな関わりあって生きてきたはずです。草を抜く時、土を掘り起こしたりすると、様々な「いのち」の営みを目の当たりにします。太くて大きなミミズに驚かされ、突然毛虫が現れたり、慌てて逃げていくだんごむし、小さな蜘蛛たちー。草の中で、草の下で、みんな生きているのです。そしてそして、何よりも、抜いたはずの草たちが、時がたてば又蘇えってくることに、心を動かされました。草取りを嫌いじゃなくなりました。小さいな庭で繰り返される「いのち」の営み、少しばかり残った根っこが、再び地上に芽吹いて、また私の手が抜いても、やっぱり芽生えてくることでしょう。5mmにも満たない小さな草花に遇えるこの季節が楽しみになったのです。 |
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Posted by suzuki at 07:55
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| 2008年7月30日 |
| 嬉しくて |
| この所、体調も落ち着きを見せてきています。ついこの間までは、外へ出る気持ちなどなかったのが嘘のように、庭へ出ることに躊躇いがありません。少しずつ始めた草取り、恐る恐る一本抜いて、また一本…。最初は5分ぐらいから(ああ、出来た)、次は10分、15分、雨に降られて風に吹かれて、邪魔されながら、それでも続けることが出来た喜びは、だんだん自信に変わっていきました。昨日今日と、夏の陽射しを浴びながら(また具合が悪くなったらどうしよう)そんな恐れを振り切るように、草取りをがんばりました。やりきることが出来ました。一時的に疲れはしても、回復する時間が早くなりました。草取りが出来た、たったそれだけのことが嬉しくて、明日もがんばろうと、勇気が出てきた事をご報告です。 |
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Posted by suzuki at 22:24
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| 2008年7月23日 |
| あの時 |
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今日は朝から雨です。気温が低いうえに雨が降ると寒い位です。こんな日は体調が悪くなるのでは、と憂鬱になってしまいます。いつも、とは限りませんが、低気圧が近付いてきたり、逆に高気圧が近付いても、体調が悪くなってしまうのです。そして風にとても敏感になってしまいます。あの日も青空でしたが風の強い日でした。大学へ出かける息子を見送るために玄関へ立ちました。ドアを開けたとき、それを待っていたかのように、一陣の風が私の身体にぶつかってきたのです。途端に心臓が高鳴り、身体がぎゅっと締め付けられたようになり、私は慌てて家の中に戻りました。肩が大きく波打って息苦しくなり、身体全体が震えだしました。血圧を測ってみると140でした。ふだん100にもならないので140は大きな衝撃でした。近くに住む弟に電話をして来てもらい、病院へつれて行ってもらいました。心電図、血液検査など、異常無しの結果が出るまでの一週間の長かったこと、常に呼吸が荒く、少し動いても疲れてしまい、トイレに行くのもやっとでした。どうしてこんな事になったのか、自分の身体に何が起きているのか、懊悩する日々でした。お医者様に首を傾げられたとき、私は大きい病院へ行って検査をしてもらう事を考えませんでした。この病気は自分で治さなければいけないのだ、と思ったのです。それは一朝一夕になることではありません。家族の理解と支えがなければ絶対不可能なことです。私は夫と息子たちに今の状態を説明し、自力で治したい、と言いました。家族は協力してくれました。何も出来なくなった私のために、何か頼んでも嫌な顔をしませんでした。家族に大切にされて、私はゆっくりとでも確かに良くなっているのを感じ、自分の思いは間違っていなかった、と確信を持てたときの喜びは感謝に変わりました。台所にたつと頭痛がし、掃除機をかけるだけで息切れがして、庭に出て風にあたることにも恐怖を感じていたあの頃、家族の暖かさに支えられてここまで回復できました。そして、ネットでお友達になってくださった皆様のお心遣いに涙した日々、これからもたくさんの方たちに支えられながら私は私の道を歩いていくのでしょう。 |
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Posted by suzuki at 17:01
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| 2008年7月14日 |
| これから |
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縁があって北海道に住むようになって30年以上が過ぎてしまいました。若い頃はそれなりに夢を持っていたと思います。ふり返ってみれば夢は夢のままで、いつしか目の前の出来事に追われるばかりで、此処まで来てしまったような気がします。夢は諦めたわけではなく、胸の中にしまいこんだまま、たとえ叶わなくとも捨てることなく、見続けて行きたいと思います。それが家族以外の私の支えですから。 |
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Posted by suzuki at 13:36
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