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「戦争を指導した人たちは本来靖国神社に祀られるべきではない」と言う発言をする方たちが、結構いますが、戦争を指導した方々がどのような姿勢で死んでいったか考えなければなりません。 東条英機首相は「この戦争はあくまで自衛戦であり、国際法に違反していない。しかし、敗戦の責任については、当時の総理大臣だった私の責任である。この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、衷心より進んでこれを負荷せんことを希望するものである」 つまり連合国に対しては何も責任はないけれど、日本の国家と国民に対しては進んで責任を負いたい、と言っているのです。 東京裁判でウェッブ裁判長自身が提出した個別の補足意見の中で「日本人被告を取り扱うに際して、ドイツ人被告に対すると同じような考慮を払わないというのでない限り、どの日本人被告も、侵略戦争を遂行する共同謀議をしたこと、この戦争を計画および準備したこと、開始したこと、または遂行したことについて死刑を宣告するべきではない」と言っています。 日本人は非人道的罪(多少はあったと思いますが)を犯したわけではなく、ドイツ人被告と同じ基準を当てはめれば、日本人被告は誰も死刑にできないということです。 ニュルンベルク裁判では、役人や将軍として戦争を主導した人でも、ナチスではなかったヘスやデーニッツは死刑になっていない。ニュルンベルクで死刑囚を出したので、東京裁判で死刑なしというわけにはいかないという横並びだけで死刑になったのです。無茶苦茶な話しであります。 マッカーサー元帥は米国議会でこう証言しています。 「日本は絹産業以外に国有の産物はほとんど何もない。彼等には、羊毛がない。石油の産出がない。錫がない。その他実に多くの原料が欠如している。もしこれらの原料の供給を断ち切られたら、一千万人から2千万人の失業者が発生するであろうことを彼等は恐れていた。したがって彼等が戦争に飛び込んでいった動機は大部分が安全保障の必要に迫られてのことだった」と証言しています。(昭和26年、米上院軍事外交合同委員会) マッカーサー元帥も自衛の戦争だったと認めています。 ABCD包囲網で資源を完全に止められているのだから、日本は戦争をする道しかのこっていなかったわけです。戦争をしなければ日本はもっと悲惨な運命になっていたかもしれません。 米国は日本と戦争をしたかったわけです。ハルノートと言う到底受け入れることができないものまで突きつけてくるし・・・日本も戦争回避の道を模索しましたが、戦争に突入していったのです。 もし(歴史でもしは許されませんが)日本が譲歩してハルノートを受け入れてたとしても結局、米国はもっとひどい要求を突きつけてくるはずなので日本は戦争をするしかなかったわけです。 侵略戦争でも何でもありません、日本が生き残るための唯一の方法が戦争しかなかったのです。だから自衛のための戦争です。 日本が戦争をしたおかげで、アジアの植民地は白人支配から解放されました。すべてが悪いというわけではありません。
タイのククリット元首相は「今日我々が米英と対等に話しができるのは、一体誰のお陰であるのか。それは日本という母親がいたからである。母親は難産して母体を損なったが、生まれた子どもはスクスクと育っている。12月8日は身を殺して仁を成した母親が一大決心をした日である。我々はこの日を決して忘れることはない」と感謝されています。どこかの国とは大違いです。
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