・金の流れの分析 ― 金は、最終的に 球団 → 選手
球団に入る金は、最終的には野球ファンの出す金
@ 野球ファン → 球団
A 〃 → 企業(介在者) → 球団
B [ 野球ファン → 企業 ] の金を期待して [ 企業 → 球団 ]
※実例 [ファン→企業]を期待して[企業→テレビ局] 左記を前提に テレビ局 → 球団
| ファンの行動から見ると | 球団の収入から見ると | 金の動く順番は | |
|---|---|---|---|
| @ | 直接行動 ・ 直接消費 | 直接収入 | 普通 (ファンが「最初」に金を払う) |
| A | 間接行動 ・ 間接消費 | 直接収入 | 普通 (ファンが「最初に」金を払う) |
| B | 間接行動 ・ 間接消費 | 間接収入 (ファンの存在があまり感じられない) |
逆から動く (ファンが「最後に」金を払う) |
金の大きさ @A < B < 経済効果(野球による消費で球界に金が行かない)
・「勝敗による取り合い」金銭報酬の出し方 ―
主体性は、運営者自らが持つべき ― 「ペナントレースの価値」の換算金額であるから、当該リーグが出す
球界に行く金は、「野球ファン」の出す金 ― ファンの出す金は、球団に入る
各球団はリーグ(連盟)に所属 ― 球団の金 → 連盟(リーグ) → 「勝敗による取り合い」報酬
各球団の立場は対等 ― どの球団も、同じ出し方をする
永続的に行える方法をとるべき ― 金の動きの中心的存在(ファンの直接行動)を「仕組み」の中心に据える
直接行動の金は、試合毎に球団に入る ― 間接行動・間接収入の金もすべて各球団が試合毎に振り分ける
中心部分の金はホームチームが握る ― ホームチームが一試合ごとの設定報酬を出す
全ての球団が同じ出し方をする ― すべての球団の提出金額は同じ [ 現状では 一試合分×73=年間額 ]
↓ ↓ ↓ ↓ ↓
全球団の提出する「勝敗による取り合いの報酬」は、一試合ごとも年間総額もすべて同一金額
「勝敗による報酬の取り合い」を球界の金銭流通の主に ― 「年俸制」からの改革
↓ ↓ ↓ ↓
全球団の支払う「人件費(の大部分)」は、すべて同一となる
| ペナントレース 「勝敗・チーム単位」 報酬取り合い 設定総額 (連盟管轄) |
野球ファン ――→ 球団 ――→
(直接行動) 一試合設定額
×
73
(年間人件費)
〃 ――→ 〃 ――→
〃 ――→ 〃 ――→
〃 ――→ 〃 ――→
〃 ――→ 〃 ――→
〃 ――→ 〃 ――→
【全球団同一】
↓ ↓ (企業の期待)
[ 外部企業 ―→ 各球団 ―→ ]
(間接収入) (設定額に含める)
――→ 各球団 → 各選手
「勝敗」取り合い
勝利配当金×勝利数
敗北配当金×敗北数
計=年間収入
【全球団同一方式】
むしり取り
(消化試合の価値を低く設定)
各球団から所属選手への報酬
配分は試合ごとの評価による
ファンから球界への金は「選手の妙技、勝負の素晴らしさ」に対する報酬
(「社会の中での野球の価値」が、金銭に換算される)
球界から球団・選手へは、「野球の中の価値」に沿って報酬配分
(勝敗、試合における活躍、人気、長年の功労 などによる)
上記の「新構造」が 「社会の中」においても「野球界の中」においても、
野球本来のあるべき姿 に沿う 金銭流通の仕組み である と考える。
黒字化のためには、 初めに支払う「全球団同一の金額」を、赤字の出ない金額に設定する 事が必要不可欠。
『補足』 ・・・ 報酬は「貰うもの」では無く、自ら進んで「価値を造り上げる」「価値を勝ち取る」という考え方
私の主張・提案する「新構造」では、報酬に上限がある。これに対して、現状の年俸制では上限が無い。しかし、少し考えれば判
る事だが、上限が無いといっても無限ではない。考えなくても分かる。そんな訳が無い。経済的には、日本や世界の経済の中で、
となるだろうか。どうも世間は、上限なしを無限と同一視しているように感じるのだが、私のカン違いであって欲しいものだ。
さて、本来いちいち言う必要も無い事だろうが、報酬を「貰う」と勘違いしないでほしい。私の主張する「上限のある報酬設定」であ
れ、現状の「上限のない年俸制」であれ。なんとなく、そんな勘違いをしている者が居るように感じるのだが、気のせいだろうか?
現状では「球団から貰う」になり、新構造では「途中でリーグを通しているが、結局は球団から貰う」となる ・・・ ような勘違いをす
る者が居るように感じる。それこそ、私のカン違いであって欲しいのだが・・・。たぶん野球のみならず、いろいろな報道のはしばし
に、そういう「貰う」という表現や、「貰う」では無くてもそんな傾向の無意識の表現が、多々あるのではなかろうか。
仮に私の感じ方が正しいとして、「貰う」は違う、と強く言いたい。
「前提条件の検討」で見たように、物の価値の尺度・支払いの手段として社会に流通するのが金銭だ。では、現在選手たちが大金
を取れるようになったのは、「社会の中の野球の価値」を高めて来た結果である、と言えないだろうか? そんなええもんじゃない!
という強い声もあるだろうが、このさいキレイゴトで押し通したい・・強引かな・・いや気のせいじゃ、気のせい。
では、「貰う」で無ければなんだろう?
私は「勝ち取る」としたい。取る元は「球団から」では無く、「野球界の中で」である。上記の要約にまとめたように、直接・間接にファ
ンから球界に金が行く。間接の分は、ファンの金である事が判りにくいが、「ファンの金を期待している」以上、最終的にはファンの金
だと言って良かろう。ならば、社会の中で「野球の価値」を高めれば、球界の収入が増える事になる。大まかに見て、そういう言い方
はできないだろうか? 現実は、そう簡単に断定出来ないだろうと思う。しかし、何十年という長い目で見れば、そんな風に言っても
良いと思うがどうだろうか。私はこの事を、球界が自分自身で世の中から価値を勝ち取った、あるいは世間で大きな位置を占めるよ
うな価値を自らの手で創り上げて来た、と考えたい。主役はもちろん選手だ。そんな事は考えず、ただひたすら勝負に熱中して来た。
結果として、「社会の中の野球の価値」を高めた、と考えたい。従って、最終的に報酬の行き着く先の選手は、報酬をファンから貰っ
ていると言えるのだが、それは自分自身で勝ち取ったものであると思う。現状の年俸制では、各球団が個別に評価・交渉するので、
どうしても「球団から貰う」ように感じるのだろう。だがそれは、本来、選手自身が勝ち取ったものだ。第二部以降の「個人の評価」を
用いて、試合毎に公平で正当な評価がなされ、それに沿って金銭報酬が配分されるならば、「球団から貰う」という考え方は無くなり、
試合の中でそして野球界の中で自らの力で「勝ち取る」という事になると思う。その考え方のほうが、本来の人間のあり方にも、より
良く沿っていると考える。
心理学によれば、仕事をやり遂げたときの充実感、仕事に対する集団からの評価に対して、人間は満足を感じるという。単に給与を
上げたり環境を改善しても真の喜びにはならないそうだ。【参考 多湖輝「会社病理学」 他】
現状では、仕事をやり遂げた充実感はあっても、評価が適正でないから不満が多々ある、またファンから見ても「?」が多く、えーか
げんにせーよ、と言いたくなるのだと思う。では、どうするんだという解答がこの「新構造」である。違うという方は、この考え方を否定
してみて頂きたい。いったい、どうなるだろう・・・