バシー海峡〜スーベックマリーナ
 12月15日フイリピンルソン島中ほどに大きく出っ張った半島がある夕方にはこのあたりまで来た、冲だししているので島影がかすかに見えてきた、このあたりまで来ても大きなうねりは最大5メート近くはあるバシー海峡に吹き込む東寄りの強風で発生した膨大なエネルギーが押し寄せているのだろう、日が落ち半島の灯台を目指して2マイル位近づいてみた海図では浅瀬や暗礁はないらしい風も落ち艇速3,5ノットでメインセールをあげたが向かい潮2ノット位かスピードが上がらない、明け方残行を計算してみるとこのまま行けば燃料はいらないが本日明るいうちにマリーナに着けないことになる、そうすると外で流すかアンカーリングを余儀なくされる、仕方ない機帆走で距離を稼ぐことにした。
 夜が明けるころには幸いにも連れ潮に代わり2000回転でも6ノットを超えるようになった。
 
第一村人発見
午前八時頃ちらほらアウトリガーのカヌーが見えてきたそのうち前方に大きな旗竿が見える付近にカヌーがいるので近づこうと20度ほど進路変更したところ白いパネルを振りながら進路を変えるように合図をしている、先ほどの旗竿を右に見て通過するよう進路変更したところ合図を中止した、トビウオの流し網でも仕掛けていたのでないか、カヌーに対し手を振ると手を振り答えてくてたしばらくついてきたのでカメラを向けたところ煙草を取り出し要求する仕草をしたが吸わない旨のジエスチャーで退散して行った。
 周りを見渡し安全を確認して船内作業をしていたところエンジンの音がして外を見ると一人乗りカヌーが並走している、手を振ると答えてくれた、ポカリスエットがあったのでカヌーに投げいれると、食べ物をほしいとジエスチャーする船内で台湾で頂いたクッキーを箱ごと投げ与えたら会釈して陸に向かって消えた。

 アマチュア無線HF帯21、4370MHオケラネットロールコール12時20分からだ、この旅に出港してからいつもお世話になっている、コントローラの山田さんは七尾出身の方で小笠原でお住まいで寄港するヨットの支援や毎日無線のロールコールを行っている、主婦でありながら毎日のロールコールは大変だと思います、また秋田マリーナの専務さんだつた本間さんは退職され現在横須賀佐島でお住まいです、7年前私は秋田クルージングの折大変お世話になった方でいつも出て居られるので台湾やフイリピン付近まで来たとき交信できるようになった
 本間さんからいろいろ情報を頂きありがとうございます。
 スーベックべイ入口岬手前の小島白いビーチも見える静かな日マリーナを出てここまでくれば最高だと思う。
 スーベックベイは広い湾の入り口からマリーナまでは2時間ぐらい要するVHFでマリーナを何度呼んでも全然でない仕方ないのでこのままイエローフラッグで入港することとした、さすがリゾート地かパラセーリングが出迎えてくれた。
マリーナに進入なんと大型艇100フィートを超えるモーターヨットが多いプサンの比ではないそしてそれらの艇を管理しているフイリピン人がそれぞれの艇の掃除に勤しんでいる、私はクラブハウス正面まで進ンだ処空いている桟橋に接岸するょう合図をしてくれるがその数も複数一番信頼できるような所を選び接岸した
 早速マリーナスタフが来てくれCIQ
を呼ぶから待機するよう指示を受けた。
 時計を見ると日本時間5時を過ぎていた
30分位すると白い制服のカスタムが一人来ていろいろ質問して書類を書くように言った言葉が通じないのでノーアンダスタンドと適当に答えていたと自分で記入して、出るときは電話するよう番号メモを置いて、わいろ50ドル要求された、韓国ユンさんから聞いていたので50ドル札を用意してあったので渡すと有難うございますと言って退散した。
 そのあと、検疫官が来てYES、NOチェック欄の用紙にNOに意味が分からないが全部NOにチエックして書類も書いてもらい、BUREAU OF QUARANTNE の交付を受けまた50ドルわいろの請求渡すと今度は領収書らしきものをくれた
最後のイミグレーション審査官が到着したのは午後7時頃だった夕方の入港に際してもこのようにわいろは取られるが対応していただき本当にありがたい日本の田舎の開港であれば日曜日までアンカーリングして待てと言われるかもしれない、これも必要な書類を書いてもらいサインをしてすぐ終わったが時間外か係官は酒臭かった。
 昨夜から隣の止まっている60フィートくらいのモータークルーザーのメンテを請け負っているジョン氏の世話になりコンビニ両替等使い走りを頼むことにした
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スーベックヨットクラブ