プエルトガレラ〜パラワン島プエルトプリンセサ

 プエルトガレラは観光地らしく観光船が頻繁に発着している、またマニラからこのあたりの感覚では近いのでクルージングのヨットやボートがよく訪れるらしい。
 私にはあまりいい印象はなかった、それは係留ブイが空いてなくタウンから遠い場所でアンカーリングを強いられた、入港してから3日間とも風が強く雨の降る時間帯が多かった、町は道路が狭く埃ぽかった、インターネット事情が悪かった、などがあげられるが特に白人が多く町のカフエーやレストランを占拠していたことが目立った。
 これからパラワンの島伝いに西に向かえばもっといいところが沢山あるらしいがクルージングガイドもないのでよくわからない、外務省の安全情報では3ランクの色分けに入っていたがこれも古い情報ではある。
 パラワン島スール海側の中ほどにプエルトプリンセサと言うオープンポートがあるらしいスービックに居たニュウジランド人がウエーポイントやアンカリングポジションを教えてくれた、ここまでは340マイル一気に走ることにして8時出航した。
 暗い時間の入港だったので気が付かなかったが湾の入り口にこのようなビーチがあった最初から見ていればここのイメージももっと良くなっていただろう。
 ミンドロ島プエルトガレラからパラワン島プエルトプリンセサに向かうには来たコースを少し戻るような形になるが小野田少尉で有名なるルバング島の水路を抜けて行くことになる、東からの季節風を受けて艇はジブセール一枚で7ノットを軽くオバーして西に向かっている、この岬を回ると90度左に変えなければならない、岬の近くまで来た頃後方より観音開きのヨットが追いつき追い越し夕日に消えた、もしマレイーシアに行くのであればパラワン島の北を通るコースである、私はスール海を通りパラワン島中ほどのプエルトプリンセサで出国手続きを取らなければならない。外務省の安全情報ではスール海やパラワン島北部は注意区域になっていたと思い南シナ海側を通らなければと思っていたがニージランドのヨットの航跡はスーツ海を抜けていた、なんてことはないだろうとこのコースを選んだ、日が暮れると航行する貨物船の他に集魚灯をつけた漁船が次々と現れ気を抜けないコースとなった。
 ミンドロ島に沿って南下し水路を抜けたころ夜が明けた、このあたりは海図を見ればよくわかるが600メーターの水深から5メータのサンゴ礁など無数にありいやな海域である一番深い所を選んでコースを引いた、風は相変わらず東よりジブ1枚ぐんぐん走るしかし艇はローリングするので快適とは言えなかった、スール海に出てしまうと航行する船舶も皆無夜は満点の星、南には一目でわかるサザンクロスが輝いていた。
プエルトガレラからプエルトプリンセスまでは金沢から下関の距離である、3日目の朝プエルトプリンセスの近くまで来たが夜が明けない2時間ぐらい沖で流し夜明けを待って湾内に入った、
12月31日午前9時の入港となった、冲から見るプエルトプリンセサはフイリピンでもまた違った雰囲気がした。
アンカーリングポイントに行くとやはりいる居る20艇位のヨットがアンカリングしている、どこか適当なところをとスローで徘徊していると二人乗りテンダーボートが来てついてくるように合図一番奥のポイントでアンカーリングの指示をして岸の方向に消えた、そうかあの方向に行けばクラブハウスがあるのだと納得、遅い朝食兼昼食で2時間ほど熟睡した。
 
 日中は日差しが強く動けないので午後4時頃テンダーをおろしクラブハウスに行ってみたやはり10数人の白人たちがビールを飲み雑談している、私は無線ランのパスワードを聞き接続するもやはり速度が遅く使い物にならない。早々に打ち切り、タウンに出かけてみることにした、ヨットクラブのにぃちやんにタクシーを呼んでほしいと言ったがタクシーはないここはみな3輪バイクだけですもう少し大通りに行けば沢山いると言ったような気がしたので歩けど歩けどひっきりなしに通るが空車がいない1キロほど歩いたところようやく停止してくれた。
 タウンに行く目的はビールがなくなったので買うことが一番、プエルトプリンセアもかなり大きな町で人と三輪タクシー自動車が入り乱れまるまるで鳥小屋にでも放り込まれたような喧噪さであり騒音、埃、悪臭がすごい、下品なたとえであるがここでは屁の2,3発こいても遠慮はいらない雰囲気だ。
 スーパーストアの前でフイリピンのレッドホース24個1箱(350_g51円位)を買い店から出ると待つようにいてあった三輪タクシーがいない、仕方なく別の車を探しヨットクラブに行くように言ったが、場所がわからないあたりは暗くなり私も20分くらい走った距離なので正確には分からない、サンタクの親父も根気よく探してくれたが私にすればアンカーリングしてあるヨットに行きたいクラブハウスまでと言えばすぐわかると思っていた、だがそうはいかなかった、デジカメでクラブハウスの写真を見せるがそれでもわからない、大きなリゾートホテルにも行ったが方向違いそこで、SDカードの画像をパソコンで表示左の写真のクラブ名がわかったらすぐに戻ることが出来た、運転手にはチップを余分に渡して別れた。
 クラブハウスの全景台風が来れば一たまりもないたたずまいではあるが、ここで白人たちはビールを飲みのんびりと時間を過ごしていた、私は航海の疲れもあり早めに就寝した、ところがものすごい花火の爆音に目が覚めたそういえば今日は新年1月1日湾を囲むようにあらゆる方向から花火が打ちあがり爆竹のような音だけのものもあるらしく爆音は朝まで続いた
1月1日から修理である、プロペラシャフトとカップリングが緩み抜けそうになっていることがプエルトガレラで発覚応急修理をしたものの完全ではなかった、試行錯誤の末、エポキシ金属パテで固めてみることにした翌朝みるとカチカチに固まっているこれなら大丈夫と思い3日出港と決めイミグレーションとカスタム2日の3時頃輪タクで向かった、今度止めた輪タクは35歳くらいのチョビ髭のフイリピナにしては屈強な男だ、イミグレーションに行きたいと言ったが場所がわからない方々で聞きながら辛抱強く対応してくれついにたどり着いた、そこはなんと粗末なコンクリート建てのアパートのような二階にオフイスがあつた、そんなにも書類が必要なのかと思うほど書き込み日本円で1,383円ぐらい要求された、その後カスタムに到着した時は午後五時になっていた時計を見ながら対応していただきここでは250ペソを要求され手続きは無事終了した。
 ちょうどお腹もすいたので、運転手さんにレストランに行くようお願いして開店まもない店でヌードルと肉まんを食べた。
 店は新しいが電柱がすごいこの電線は勝手に施設したものか鳥の巣のようだった。
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