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 昨年12月、年も迫ったころ関東のブローカーから江の島にデスマストしたヤマハ33のオフアーがあった、時間をかけ考えたあげく、何事でも乗ってしまう性格からついつい譲り受けの返事をしてしまった、
 年が明けた1月5日東京スカイツリー見物と孫を誘いその足で江の島に立ち寄り現物確認をした、船体は綺麗であり手を加えればまだまだ乗れる代物しかしエンジンはあまり良くない、マストのないヨットを回航するには一抹の不安があった。
 若しエンジントラブルになれば嫌いな海保の世話にならなければならない、これだけは絶対いやだ
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 天候も春めいた3月下旬を回航の目安とした。
 回航手段を摸索していた時ヤフオクにホランド33が出品された、場所も横浜ベィサイド即決で落札2艇で回航すれば何とかなると決め、当初は韓国向けでヤマハ33も必要なパーツをマイヨットファーストウェーブで運べば韓国で安く修理することが出来るともくろんでいた、考えが甘かった。
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下田を出港試験的に曳航を試みた神子元島の水路はいつも荒れ模様波高最大2メートル思ったほど曳航索のショックは少なくこれなら大丈夫と自信が持てた。天候が良ければ串本まで直行したいところだが、好天も1日しかもたない駿河湾を跨いだ御前崎まで40マイルここまでなら何とかなる遠州灘は距離があり避難港もないに等しい、しかし御前崎に差し掛かったころはすっかり暗くなりまたもや闇夜の入港となった、ここは大変難しい所でマリーナに入港する水路が狭く昼でも乗り上げるヨットがあるらしい。
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ここ御前崎では1日日和見するより仕方がない、御前崎の主(ヨットの)KOさんが翌朝現れ買い物に連れていってくれた、彼はとてもユニークな方で数年前沖縄までクルージングをした折熊野灘で小型漁船に乗り上げたエピソードなど面白く語っていた、彼の持論「ヨット夜走り」ヨットは足が遅いから夜走るものだ、と言う
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 二日目の朝天候が回復したので御前崎を出航したヤマハ33も自力で航行して先導した、しかし浜名湖の沖あたりで突然クラッチが抜けたようになり後進が入るが前進が入らない予期していた事態が発生した、早速曳航3,5〜4ノットである、時間がかかるが仕方がない、串本にはまたまた漆黒の闇夜の入港となっ。翌日は前線通過で時化る予報海保の後方岸壁は漁船が占拠している、その漁船に横抱暴風雨と唸る風音を聞きながら朝を迎えた
次の朝も紀伊水道は北西の風が強く出航できない、洗濯や風呂買い物などでのんびり休養した。
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その日の朝、日本語に少し違和感のある男性が話しかけてきた、彼は静岡からヨットを買って韓国に回航する途中と言っていた、いつごろ出航かと尋ねていた、回航の経験が少ないので後についてくると言っている、しかしこちらは3, 5ノットそれでも良ければと返事をした。 彼も3,5ノットしか出ないと言っていた。
 串本から鳴門海峡まで80マイル
20時間の行程、このまま進めば迎え潮4時間ほど待たなければならない、午前2時小鳴門海峡を通ることにした、この海峡は狭くて危険だが潮はそれほど強くはないしかし昼でも怖い難所があり韓国のヨットが2隻ほど座礁し廃船にしたと聞いている、後方のヨットがなかなか来ない同乗のフアンさんがVHFで呼べど返答がない彼は距離を開ければ座礁してしまう、ようやく連絡が取れ直近を付いてくるように指示した。
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翌日は風が強く出航できない朝から 1日かけマリンギャ部分を分解した、湿式単盤の構造前進のクラッチデスクが破損ドウナッ状になっていた。幸い後進のデスクも同じ部品これを前進に取り付け組こむことにした、しかし構造がいくつもの歯車がかみ合っているので複雑怪奇簡単には行かない、北陸ヤンマに電話構造図面をFAXしてもらいようやくくみ終えたときはすでに夕方であつた、テストの結果前進のみ可能となった。
 天候の回復を待って翌朝6時に出航した
しまなみ海道手前伯方の島で給油のため立ち寄り下崎大島あたりで暗くなった、3艇の先頭になり航行中プロペラシャフト付近から異音が聞こえエンジン停止してしまう夜中のことでもあり航行する貨物船の航路上のこと仕方なく又もや曳航するはめとなった。
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 小鳴門海峡中ほどで夜が明けた、瀬戸内海に出ると適当な風が出てセイリングが出来た良いことが続かない昼頃には雨模様となってしまつた、天気予報では今夜から冬型となり北西が強くなる、備讃瀬戸を抜け瀬戸大橋が近くなったので与島の築港に入ることにした、ここは瀬戸大橋坂出ルートが完成した時大型のドライブインやフイッシュアリーナが併設され20年位前バス旅行で訪れたことがあるがその頃は観光船や大型バスがひしめいていたが今はなんと施設全体が取り壊しの運命をたどっていた。
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予定を変更して金沢に回航してメンテをすることとし鳥取から沖縄までヨット回航を依頼されているのでそちらを優先することにした
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