オセアニス35回航 浦賀〜別府480マイル
2014年9月11日〜9月14日
 浦賀マリーナシティーベナシス高層マンションヨットハーバー年間保管料35fで150万とか今回の回航艇はここの陸上保管艇だ、回航は費用を頂き旅行ができるクルージング派のヨット乗りにはたまらない、今回は旧友の谷内君を誘った金沢から横浜行きの夜行バスに乗り込み9月10日午前8時マリーナに降り立った
 
 横浜駅に着いた午前6時台風14号が最も関東に近ずく予報だがそれほど風はなかったしかし浦賀に着くと北東風が強い浦賀水道は強風で波頭が飛んでいた。
 回航艇は昨日下して桟橋に係留されていた、ベナシスは良いマリーナー風は当たるが波やうねりは入ってこない、セイルのフィッチングや各部の点検したが程度もよくおまけにドジャーやビビニトップがついている、これなら快適な航海請負だ
 夜には風の治まることを予想仮眠を取り深夜に出航と決めた、途中下田に寄港給油食糧など不足分を補うつもりなので昼に入港したほうがよいからだ。
 一昼夜分の食糧と焼酎やワインを買いキヤビンで宴会、気分が乗ったのか谷内君は酩酊これは危ない早々に仮眠23時に起き出港した谷内君はバースに伏せたまま起きてくることは無かったその方が私も安心。
 予想どうり風は落ちたがうねりは残っている台風通過後か東京湾から出てきた本船が多く追い越してゆく、伊豆大島を左に見てひた走ること9時間夜が明け昼前には下田の入口まで来た、谷内君はどれだけこたえたのか寝たままだ、もともと一人で回航と思っていたのでどうと言うことはないが。
 下田入港に際し次の回航艇が下田にあると聞いていたので見ることにした、Andante音楽好きのオーナーだつたのか、しかし船底が汚れているこのままでは走れないだろう。
下田は観光地このような観光船が行き交う
 下田で買い物給油を終え午後4時出航日が暮れ御前崎の灯光を見ながら大王崎に進路を取る、うねりが高いためオートパイロットが時々誤作動最後まで持つか心配、風がないのでほとんど機走それでも午後には串本に入港した、ここでも買い物給油オートパイロットST4000を分解した、ベルトが伸びて空転が起きていたのだ、微調整するもうまく行かない、この後高知沖に行くか鳴門に行くか決断しなければならない、予報では高知沖は風が強くなる鳴門を通れば船が多いが波がないので楽だ、距離も25マイル位の違い、谷内君は瀬戸内海の経験がないオーパイがないものと思い鳴門に決めて午後4時出港した。
 串本港のBENETEAU
ファースト35,5エンジンVOLVO2003トータル的に癖がなく乗りやすい艇だ
 日の暮れた紀伊水道を鳴門に向かう80マイルの行程白浜の灯りを見ながら行き交う航海灯を交わしまたもや向かい風、和歌山手前の日御岬ここは難所ここを過ぎれば一段落だが潮と波が悪いパンチングを繰り返す、夜が明けると大阪方面友が島水道付近に不吉な雲が地震雲でなければよいが、谷内君もすっかり元気になりダウンしたオーパイの代わりにラットを持ってくれるので助かる。鳴門海峡も転流一時間前連れ潮で通過できた谷内君は渦潮を見て盛んにシャッターを押して感激していた。
 瀬戸大橋をくぐりオーパイの代わりに両サイドからショックコードをラットに結ぶこれでしばらく手放しできるだいぶ楽になった
 このようにショックコードはいろいろ役に立つアイテムいつも数本持って行くことにしている。
 私は来島海峡は通らない少し北寄りの塩で有名な伯方の島の舟折瀬戸を通ることにしている、この先に村上水軍の本拠地のあった処でありさらに西に進むとしまなみ海道の橋をくぐり下崎大島があり日本の海の駅第一号豊海の駅がある、この島は御手洗港があり昔は北前船の潮待ち港で一時は100人もの遊女が居て繁栄した時代があったらしい、今でも古い町並みが保存されている。
c40b1418.gif c40b1419.gif navwheel%5B1%5D%5B1%5D%5B1%5D.gif