深沢紅子野の花美術館
軽井沢と深沢紅子との関わり合いは、堀辰雄の1412番山荘に20年もの
長い間、夏を過ごしていたことによりま
す。
古い軽井沢郵便局舎を移築して保存することになったとき、深沢紅子野の花美術館として利用することになりました。
深沢紅子が生前に好んで画材としていた花たちが、美術館の前庭に咲いています。永眠したときに、棺にいれられた、勿忘草は美術館が立つ塩沢湖の畔にたくさん咲いています。
堀辰雄と深沢紅子を引き合わせたのは、建築家で詩人の立原道造でした。ただ、実際に2人が顔をあわせたのは立原道造の葬儀の席でした。それからほどなく軽井沢の山荘に滞在するようになります。