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 内川往還通りとは旧夫婦橋から尻こすり坂方面におよそ南南西方向に内川新田を縦断する道路である。この往還通りという表現は正徳年間の文書(砂村新三郎・新四郎がしたためた訴状)に出てくる。一般的な呼称ではなく、単に浦賀との往還に使用される「主要道」ということであったのかもしれない。現代で言えば「目抜き通り」ということであろうか。「目抜き」はめぼしい所という意味だが、一説には刀剣の刀身を柄に止める目釘の頭の飾り金物である「目貫(めぬき)」に由来するとも言われている。内川往還通りは夫婦橋という柄があって、刀身の切っ先を野比方面に向ける日本刀のようでもある。右図中の赤破線が往還通り。
 夫婦橋の位置は先の大戦前に今の位置に移されて確定したものであり、そこから野比に向かう現在の国道134号線はその時新たに作られた道路であり、戦争準備のため久里浜に海軍施設を展開したとき、軍用車両が通れるように作られたのである。元の夫婦橋は今より少し上流 (人道橋側)にあった。従って内川往還通りというのは、国道に並行する仲通商店街(今は十字形の黒船仲通り)前後の通り(旧道)のことである。
 この辺りの地形や道路は開発当時から明治大正期まではほとんど変化がなかった。そこで明治時代に遡って、内川新田完成間もない頃の風情を残す内川往還通りを歩いてみることにしよう。久里浜天神社早川知好宮司が古老の話を元に作成された地図を参考にさせていただく。また、延宝年間に作られたとされる絵図(絵図の写真が一部残っている)も参考にする。さらに、明治15年に陸軍が作成した地図も参考にする。
 久比里坂を下りて進んで行くと、左手に内川の入江が見えてくる。右手に見えるのは平作川(江戸時代は大川)で、その向こうには内川新田の耕作地が広がっている。平作川が内川の入江に注ぐところは狭くなっていて、そこに夫婦橋が架かっている。二連の橋になっていて久比里側と中ノ島と内川新田側をつないでいる。以前にはここに二つの樋門があって、引き潮では上流からの悪水を海に排出するため樋を開け、満ち潮では田畑に塩水が入らないように樋を閉じていた。初期の頃は潮の干満で自動的に開閉するような仕掛けになっていたが、それだけでは十分ではなく、結局番人が開閉するようにしていたらしい。
 橋を一つ渡ると、中ノ島の上流側に石碑(今は下流に架け替えられた新夫婦橋の際に保存されている)が建っている。それは砂村新左衛門が樋門の開発やその後の災害の経緯を刻み、将来の安楽を祈ったものである。今日は良い天気なので、石碑の脇でのんびりと釣りをしている者もいる。そこから上流を窺うと、衣笠方向から平作川(大川)が流れ来ており、その右岸には吉井川が、遠く左岸には佐原川が流れ込んでいるのが見える。その他の小さな支流もあってそれらの出口には樋門が見える。夫婦橋にあった樋門だけでは大雨には対応しきれず、近年になって平作川を掘り下げて堤防を高くし、耕作地に海水が流れ込むのを防ぐために支流の出口に樋門を作ったのだ。
 下流側は中ノ島と対岸の陸地が入江側に鼻のように伸びていて、その間には葦が繁っている。おそらく樋門があった当時は樋門の下流を狭くして葦を伸ばすことで波除けにしたものと思われる。さらに入江を窺えば、そこは海と言うよりも浅瀬や沼地に近い風景が続いている。浅瀬はもちろん砂や泥だが、一部には葦が繁っているのが見える。ずっと下流側の入江の干上がった砂浜では貝を獲る人たちがいる。新左衛門が開拓する前は上流の方も内川の入海と呼ばれる、同じような葦原だったのだ。橋を渡りきると右側には耕作地や家があるが、左側はまだ入江の続きある。右側の川の少し引っ込んだ所には船着場がある。さらに進むと右側には畳屋「たたみや」や八百屋「やおたけ」など数軒の家があり、左側は入江の砂浜になっている。この浜は以前八幡村の船着場になっていたところだ。なぜこの入江の浜が八幡村の船着場だったのかと言うと、内川新田ができる前から八幡村が船着場として利用していたものであり、橋を渡った先のすぐ右側には八幡村の土地(古新田)が内川新田開発以前からあったのだ。

少し進むと左側の入江の砂浜は終わって、今歩いている通りと直角(外海方向)に土手が続いている。(後に関東大震災のときに入り江は隆起し、埋め立てられたので堤防は海岸ではなくなった・・今の郵便局脇の小道付近である)その土手の向こうには宮井家の屋敷がある。宮井家は浦賀の干鰯商人宮原屋の別家で、江戸時代の後期に新左衛門の子孫新四郎家から名主の立場も家屋敷もろとも引き継いだものである。宮井家買収後の初代の名主の隠居名与兵衛の名を取って、その管理地は与兵衛組と呼ばれた。

この屋敷地は初期の段階ではもう一つの子孫新三郎家と、新四郎家の共同所有であった。いつの頃か、新三郎家はその先(今はイオンなどがある場所)に移った。新三郎家も新四郎家と時を同じくして絶えてしまったため、砂村と薄い血縁の善六家が継いでいた。そして与兵衛家と並んで善六家と呼ばれていた。砂村善六家の子孫は、今は内川新田で砂村家の唯一の正当な子孫とされている旧家である(後に絶えてしまう)。

さて話を往還通りに戻そう。橋を渡りきった右に八幡村が食い込む形で浜まで続いているのだから、内川新田はこの場所で上流側と下流側に二分されているということになる。実は開発当初、下流側は「八幡原新畑」、上流側は「内川入海新田」と呼ばれ、総称して「三浦新田」そして後に「内川砂村新田」、「内川新田」と呼ばれるようになったのである。「八幡原新畑」と「内川入海新田」は別々に開発されたらしい。まず下流側に堤防を築いて屋敷などを整備し、その上で大川を堰き止め(樋門を作って)上流側の田畑を整備したと思われるのだ。

「たたみや」「やおたけ」などがある道路右側の八幡村の内川新田との境(宮井家の角向かい)に中嶋本家「きゅうべさま」がある。中嶋家(今はこの敷地はスイミングスクールに貸与、別の場所で製材店を経営)の先祖である久兵衛は新左衛門に連れられて大坂から来たと伝えられる。内川新田の開発を担当したのは砂村新三郎であるから、開発当初から新三郎家の番頭として貢献し、その子孫も新三郎家・善六家の番頭として新田経営を助けた。新田開発前からこの地に住んでいたので八幡村の地に家を作らざるを得ず、そのまま続いたのかもしれない。中嶋家は代を重ねるごとに衰退していった両砂村家とは対比的に繁栄し、山林を所有したり事業展開したりするなど成功を収めていた。

その先左側は、元はすべて砂村新四郎家(後に宮井与兵衛の屋敷地)であったが、今は大川家「じゅうどみせ」など通りに面して数軒の家がある。「じゅうどみせ」の脇の小道を土手に平行に進むと、そこには水神社(後に天神社に合祀)がある。左側に「うなぎや」「ためおけや」があってその先の小道を左折すると宮井家がある。新四郎家から買い取った後しばらくは東浦賀の宮原屋当主(与右衛門)が隠居して与兵衛を名乗ってここに住んでいたが、いつの頃からか当主は東浦賀にいて番頭がここに住んで新田経営をするようになったらしい。道の右には相澤家「ながそや」、梅澤家「おけや」などがあり、そのあたりで道はなだらかに右にそして左に曲がって、その先はまたまっすぐ南南西に進む

ゆるやかに道筋が左にうねるあたりの左側が、元新三郎家(後に善六家)の屋敷地である。今は杉山家「やすぜむさま」、梅澤本家「ぶんぜむさま」、小川家「かやしちさま」、渡辺家「きんべどん」などの家が通りに面して立ち並ぶ。「かやしちさま」と「ぶんぜむさま」の家の間には火の見櫓消防小屋が建っている。砂村家の家は「やすぜむさま」手前の小道を入った奥にある。右側には「大川湯屋」「あめや」などが連なっている。梅澤本家の先祖は文左衛門と言って、久兵衛などと共に大坂からやって来て新田開発に携わり、その子孫は新三郎家・善六家の使用人であったとされるが詳しい役柄は分からない。なお梅澤分家の「せいぞさま」は細川の砂村(新三郎)家墓地の隣に家を持ち、砂村(善六)家裏手の広大な畑を耕作している。砂村家から信頼されて墓守を任せられ、畑地を与えられたのだという風にも伝わる。なお、中嶋家も梅澤家の本家・分家の多くは浄土宗伝福寺の檀家である。このことは梅澤家も中嶋家同様に以前は八幡村に居住していたということを意味する。なぜなら江戸時代後期には村規定で「内川新田で耕作・居住する者は正業寺を菩提寺とする」ことが決められていたからである。

旧新三郎家・善六家の角が交差点(今の仲通商店街の出口付近)になっていて、左折して手前の中嶋家「はちべさま」、向かいの竹内家「またえむさま」の間を進むと、その先宮井家屋敷の角右側の対角には天神社がある。往還通りの左側方向の天神社までは結構家が密集しているが、尻こすり坂方向へ進むと右側は「あさひや」を過ぎるとだんだんまばらになって内川新田もこの辺りで終わる。道の左側「またえむさま」には小川家「ごんべや」「かじやのつねさん」などが連なっている(今はすずらん通り)。

今の国道134号線は「じゅうどみせ」「ぶんぜむさま」「またえむさま」などの裏手を直線的に通る新しい道で、旧与兵衛家(新四郎家)、旧善六家(新三郎家)を二分するもので、旧与兵衛家(新四郎家)は郵便局などに、旧善六家(新三郎家)はイオンショッピングセンター(久里浜中央自動車学校)などになっている。今商店街やショッピングセンターで買物をする人たちや自動車で往来する人たちのほとんどは、ここが内川新田の開発で苦労した人たちが暮らし、その子孫が生活や商売で往来していたことは知らない・・。もちろん当時の面影は既にまったくない・・・。

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砂村新左衛門
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明治時代の内川往還通りを歩く
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