前段で、かなり誤解を生じ兼ねないことを挑発的に書いた。教本第一巻の射型画を唯一のよりどころとする指導に問題ありと。第一巻の八節解説図には、事細かな説明がついている。その細々した細部を真剣に学ぶほど、生きた射を忘れて枝葉末節にとらわれる。本来の射の鋭さと的中を軽視することへの警鐘である。

 射の美とは、常に止まることのないダイナミックなものである。会は永遠の引分けであって、離れは限界点まで果断なく持続した力の発露である。常に鋭く中たる射とは、そこから生じる。身近にそのような射手がいなくて、教本画に忠実に、八節毎に静的な型を整えようとすると、内的発露のない射ができあがる。「精一杯引け!もっと伸びよ!」と主張する理由である。

 教本は現在全四巻が刊行されている。二〜三巻は必見、射技の多様な考え方を多士済々の諸先生が語る内容に興は尽きない。各流派によっても、射の運行と力点の置き方はさまざまであって、これを一つに集約することには無理があることに気づかれるであろう。お薦めである。

 これまで述べたこと、連続写真の流れをみると納得されるだろうか?
浦上栄範士( 日置流 )  
神永政吉範士( 日置流、本多流を学んだ後、大射道教 )