(1)洞窟
私はこの物語を誰かに見せようと思って書いたわけではない。彼の偉大な生涯については他に書く人はいくら
でもいるだろう。彼の名は数千年後の世界にも語り継がれるに違いない。でも私の名前やこの手記はすぐに忘れ
さられることを望んでいる。私はこれを自分のためだけに書いた。誰よりも愛した彼のことを自分の記憶に留める
ために・・・
「おい、ヘファイスティオン、怖がらなくても大丈夫だよ。足元をよく見て」
「真っ暗で何も見えない」
「たいまつを持っているだろう。もう少し先だよ。ここは僕だけが知っている秘密の場所だ。誰にも教えていない」
私と彼、アレキサンダーは子供の時からの友達だった。いつ初めて彼に会ったのかよく覚えていない。はるか昔
の記憶をさかのぼってもそこには必ず彼がいた。アレキサンダーは私と同じ年であったが、私よりもずっとしっかり
ていて大人っぽく見えた。王様の子供だから小さい時から人の上に立つ人間になるように育てられたのだろう。私
はいつも彼の後ばかり追いかけていた。
6歳位の時、彼の住む城にアリストテレスという名前の人が先生としてやってきた。その頃はまだその人がどれだ
け有名な哲学者であるか知らなかった。アレキサンダーだけでなく、私やそのほかの大臣達の子供も一緒にその
人から勉強を教わった。2歳年上のプトレマイオス、1歳年下のカッサンドラ、など全部で10人ぐらいが教わっていた。
勉強だけでなく、私達は武道も一緒に習っていた。レスリング、剣や弓の稽古などを毎日のようにやっていた。実を
言うと私は武道は苦手でその頃仲間に勝ったことは一度もなかったが、それでもそうした稽古に参加しないことは許
されなかった。
「もう疲れたよ。どこまで奥に入っていくの。帰ろうよ」
「もう疲れたのかよ。この先はまだ続いている。いやなら引き返そうか。君がいやだというのなら今度はカッサンドラを
連れてくるよ」
「カッサンドラと一緒に来たの?」
「まだだけど、あいつならきっと怖がらないよ。年下だけど勇気はあるし、なかなか強い」
「わかったよ、戻らないよ。最後までついていくよ」
「やっぱりそう言うと思った」
その洞窟に入ったとき、私達は10歳ぐらいだっただろうか。私は本当は怖くて引き返したい気持ちでいっぱいだっ
った。でもカッサンドラの名前を出されては引き返せなくなった。カッサンドラは年齢は1つ下だったが、レスリングでも剣でもアレキサンダーに負けないぐらい強かった。それに顔立ちも整っていた。私はアレキサンダーが一番好きだったが、アレキサンダーはカッサンドラが気に入っているようであった。せっかく彼が私だけを連れてきてくれたのにここで引き返してはカッサンドラに負けてしまう。
「さあ着いたよ。壁をよく見てごらん」
「何か絵が描いてある」
「神様や英雄の絵だよ。父にこの場所を教わった。父はもう他の女に夢中で母のところには来なくなったから、僕も長い間会っていないけど・・・」
「・・・・・」
「もし父がその女と結婚して母を追い出したら、僕もここにはいられなくなる」
「そんな・・・だって君は王様の子供で・・・」
「関係ないさ。王である父がどうするかで僕の立場は全く違ってしまう」
「君は王様の子供だよ。今の王様よりもっと立派な王様になるよ」
「王になれるかどうかわからないよ。それどころか、突然この国を追い出されるかもしれない」
「もし追い出されても、一緒について行くよ」
「今の君じゃああんまり頼りにならないよ。やっぱり旅にでるなら頭のいいプトレマイオスとか強いカッサンドラを連れて行かないと・・・」
「今はだめだけど大人になるまでにはきっと・・・」
私は涙ぐんで来た。どこまでも一緒について行く決意でいるのに、彼はあっさりと他の友達の名前を言ってしまう。
「おい、泣くなよ。冗談だよ。僕はやっぱり君が一番好きだよ。どこかへ行く時は必ず君を連れて行く」
「頼りにならなくても?」
「そうだよ。僕が強くなって君を守ればいい。物語に出てくるアキレウスやヘラクレスのように強くなれば・・・」
「でも英雄の最後はみんな悲しいよ。アキレウスはかかとに弓がささって死んでしまうし、ヘラクレスの最後はもっと悲惨だ。どうして幸せに暮らして長生きした英雄はいないんだろう」
「神様は嫉妬深いんだろうな。神様と同じぐらい力を持った英雄が幸せに暮らすのは許せないのかな。でも僕は英雄として生きられるなら、長生きしなくてもいいよ。短くてもいい、物語に残るような生き方をしたい」
「僕は英雄になる自信はないな」
人一倍臆病で弱い私は英雄には最も遠い存在であった。だがそんな私も、アレキサンダーと一緒にいたい一心で彼と戦いに行き、将軍として名を残すようになる。彼がいなければ決して戦いになど行かなかったであろう人間でありながら・・・
「僕がアキレウスなら君はパトロクロスだよ。この二人は強い絆で結ばれていた」
「僕はパトロクロスにはなれないよ」
「それならカッサンドラをパトロクロスにしようか」
「それだけはいやだ!絶対に僕がパトロクロスになる」
「フフ、君も今にきっと強くなるよ。それだけカッサンドラにライバル心があれば・・・・」
彼は人を惹きつけ、その心を巧に読むことができた。その才能があったからこそ、後年あれだけの軍隊をほとんど一人で動かせたのだろう。私などはもうその頃から完全に彼の虜になり、言われるがままになっていた。
−つづくー
後書き
映画「アレキサンダー」を見て、話の内容や主人公よりもヘファイスティオンとカッサンドラが強く印象に残って心にすみついてしまったので、書き始めました。映画でヘファイスティオンはアレキサンダーより強いのですが、弱い人間が愛ゆえに強くなっていくという話にしたかったので弱くしました。私が書く話の主人公は弱い人が多いです。
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