2、憧れ


 私は長い間ずっとアレキサンダーに憧れ続けていた。その憧れの気持ちをはっきり意識したのは14歳ぐらい
からだろうか。私とカッサンドラは他のみんなと肌や髪の色が少し違っていた。2人だけ肌の色が褐色で目も髪
も黒かった。きっとギリシャ人以外のエジプトやアジアの民族の血が流れているのだろう。小さな子供のころは
肌や髪の色など特に意識していなかったが、少しづつそのことを感じるようになってきた。私達2人以外はみな
純粋なギリシャ人の血らしいが、特にアレキサンダーは肌の色が白く、髪は太陽の光を思わせる黄金色、目は
深い海の青色である。

 今、アレキサンダーとカッサンドラがレスリングの試合をしている。上半身裸で、褐色の肌のカッサンドラと組ん
で試合をしていると、アレキサンダーの白い肌はますます白く輝いて見える。肌の白さだけではない。筋肉のつき
方も鋭い動き方も何もかも完璧であった。カッサンドラもかなり強いからこの2人の試合はなかなか勝負がつかな
い。それにカッサンドラも肌の色は褐色でも整った顔立ちをしているから美しく見える。

「おい、ヘファイスティオン、何ぼんやりしているんだよ。次は君の番だよ」

アレキサンダーに言われて私もあわてて立ち上がる。彼の荒い息遣いが聞こえる。彼は流れる汗をぬぐうこともな
くすぐに私と組んだ。彼のからだの熱さを感じ、私は眩暈がした。胸の鼓動や息遣いは彼よりも早くなってしまった。
私は手に力を入れて彼の体にしがみついたが、次の瞬間、投げ飛ばされていた。

「なんだよ、これで終わりかよ。もっとしっかりしてくれよ」
「ごめん・・・」
「いいよ、次はプトレマイオスだ」

私はもうアレキサンダーに近づくだけで胸の鼓動が早くなり、とても彼とレスリングなどできなくなっていた。でも彼
は、そんな私の気持ちなど少しも構わず、平気で投げ飛ばす。


 別の日、アリストテレス先生の講義を聞いている時、アレキサンダーはこんな質問をした。私達はほぼ毎日のよ
うに集まって、草の上に腰をおろして先生の話を聞いていた。

「先生、ソクラテスやプラトンのような偉大な哲学者も、男同士の関係があったのですよね。それなら僕達もそうい
う関係になってもいいのですか」
「君達にはまだ早すぎるだろう。男同士の関係は、大哲学者達のように、お互いが相手を信頼し、高めあえる関係
にまでなればいいが、そうでなければ堕落するだけだ。今の君達はまだ、お互いを高めるというよりも自分自身を磨
くだけで精一杯であろう」
「でも、男と女の関係の方がもっと堕落していると思います。一体なぜ愛し合ったのか全くわからないような相手と
結婚して子供を作り、ますます憎しみあって今度はまた別の女と結婚する。そんな関係は許せません。男同士の
方が結婚とかしないから、本気になった相手としか結ばれません。よっぽど純粋です」
「君はもう本気になった相手がいるのかね」
「います。僕は今すぐにでも彼と結ばれたいと思っています」

アレキサンダーが本気になって愛している相手、それは一体誰なのだろうか?私であればうれしいけど、ここには
彼にふさわしいと思われる相手はいくらでもいる。頭のいいプトレマイオス、強くて美しいカッサンドラ・・・なんのとり
えもない私に、彼が本気になってくれるわけがない。

「君の気持ちがわからないでもないけれど、君はまだ14歳だろう。まだまだこれから学ばなければならないこと、
経験しなければいけないことがたくさんあるだろう。いろいろな経験を積むうちに気が変わるかもしれない。今から
一人の相手に決めなくてもいいだろう」
「いいえ。僕はもう決めています。僕が愛する人間は生涯ただ一人です。彼もまた同じ気持ちです。彼も僕以外は
だれも愛さないと思います」
「随分情熱的だな。君ほどの人間にそこまで言わせるとは、相手はよほど魅力的なのだろうな。だが今はそのこと
はしばらく忘れて勉強に励みなさい」
「わかっています。僕だってまだ彼にふさわしい人間になっていないから、もっと勉強しなければいけないことはわ
っています」

 
 アレキサンダーは15歳の誕生日に馬をプレゼントされた。その日は珍しくフィリッポス王と一緒に馬の市場に出
かけた。おそらく彼はもう何年も父親であるフィリッポス王と口を利いていないに違いない。一緒に行った私は少し
離れた場所で2人を見ていた。市場につくと、大暴れをしている馬がいた。周りの人間はその狂った馬を殺そうと弓

を構えている。

「待って、その馬を殺さないで。僕に売ってくれ」
「だれだ、お前は」
「アレキサンダーだよ」
「これはこれは、アレキサンダー王子、失礼いたしました。ですが王子様、あの馬はとても売り物にはなりません。
前から少しおかしかったのですが、ここにきて完全に狂ってしまったようで・・・危険ですから近づかないでください」
「狂ってなんかいないよ、ただ怯えているだけだ。かわいそうに、今まで君をわかってくれる人がいなかったんだね。
僕には君の気持ちがよくわかるよ。一緒に走ろう。君と一緒ならきっとどこまでも走っていけるよ」

アレキサンダーは見事にその馬を乗りこなし、走り回っていた。周りの者はただあっけにとられて見ているだけだった。


 私とアレキサンダーは前に来たことのある洞窟に入った。中はひんやりとして涼しい。前に来たことがあるので少し
は慣れていて安心して入っていける。神々の絵のある洞窟。ここに入るとなぜか気持ちが落ち着く。

「今日は君の誕生日だろう。家族と一緒に過ごさなくていいのか」
「いいんだよ、家族と言ったって、僕の父と母は憎みあっているだけだから。でも最近は父の気持ちもわかるよ。母も
恐ろしい女だから・・・」
「アレキサンダー・・・」
「そんな憎みあっている両親から生まれた僕が、誰かを本当に愛することができるだろうか」
「できるよ、君は誰よりも魅力的だよ」
「あの馬は狂ってなんかいないよ。ただ気性が激しくて誰も理解しないから」
「君も気性は激しいよね」
「そうさ、だから誰にも理解されなければ気が狂う」
「僕が君のこと理解・・・きっとできるよ」
「どうしてあんな両親の子供として生まれたんだろう。普通の家に生まれたかった」
「君は普通の人間とは違うよ。きっと神様の子として生まれ、王になるためにあの家に預けられているんだよ。君は神
様の子供だよ。僕達とは何もかも違いすぎるから」

私はアレキサンダーの顔をじっと見た。何もかも自分とは違いすぎる。白い肌、黄金色の髪、青い目。

「僕はこの前もう心に決めた相手がいるって言ったよね。それが誰のことだか聞きたくない?」
「聞きたいよ、でもどうせ僕じゃないから、聞いてがっかりしたくない」
「どうして君はそんなに自分に自信がないの。もっと自信を持ってくれよ」
「僕が何に自信を持てばいいの、頭もそれほどよくないし、仲間の内で一番弱い。肌も褐色で髪や目の色も君みたい
に美しくない。自慢できることは何もないよ」
「この肌の色も、髪や目の色も僕にはすごくきれいに見えるよ。触ってもいいかい。君にはいろいろな国の人間の血が
流れている。いろいろな国の人間が愛し合って混ざり合ってひとつになっている。うらやましいよ」

彼の手が私の髪や頬に触れた。私もそっと彼の顔を手でさわる。

「君のことだよ。僕はずっと君に憧れていた。君の気持ちは・・・僕が思っているとおりでいいの?」

私は胸が一杯になって何もこたえられなかった。

「やっぱり思っていたとおりだよ。君は純粋で・・・口づけしてもいいかい」

私は小さく頷いた。彼の口がそっと私の唇に触れた。本当にかすかに唇が触れただけだった。でも私は幸せだった。
今までの人生の中で、一番幸せな日であった。

                               −つづくー