<アメリカ合衆国にとってこの小さな島が戦争の鍵を握ると考えられた理由>
1944年秋、統合参謀本部は、台湾、中国経由で日本を攻めるというマッカーサー
将軍の計画を却下し、日本本土への正面攻撃というミニッツ提督の計画を支持しました。
日本の軍需工場、軍事都市への事前の集中爆撃も、その計画の一部でした。
テニアンとサイパンから日本へ爆撃飛行をする際に
B−29爆撃機の最大の障害は
硫黄島がもたらす致命的な三重攻撃でした。
日本への直行路中にあるその島は、マリアナ諸島と日本のちょうど真ん中にあって、
2つの滑走路(もう一つは建設中)と1つのレーダー・ステーションを持っていました。
日本を攻撃するために往復4000キロの飛行で北に向かって飛ぶ巨大なB−29爆撃機は、硫黄島を基地とする小さい戦闘機には簡単な標的となりました。
その際レーダー・ステーションは爆撃機の日本到着より2時間前に本土の防衛軍に警報を
発しました。
日本上空で対空砲火や空中戦に耐え抜き、損傷したB−29爆撃機はまたしても
帰路で硫黄島を基地とする戦闘機に直面して、多大な損害を受けることになりました。
被害を受けやすかったのは飛行中の爆撃機だけではなかったのです。
硫黄島を基地とする飛行機が、テニアンとサイパンを襲撃して破壊した
地上にあるB−29爆撃機の数は、東京への全爆撃飛行で失われた数より多かったのでした。
もし連合軍が手に入れれば、それらの損失の減少のみならず、攻撃面で多大の価値を
生むことになりました。
B−29爆撃機がそこに着陸して、負傷者をおろし、クルーを替え、燃料を積むことができ、標的まで陸軍航空隊の長距離戦闘機P−51の飛行隊に護衛してもらうことが
できることにもなりました。