<家族>
左は長男 太郎

右は次女 たか子
次女たか子にとって栗林は、留守がちであったが優しく面白い父でした。
何でも出来る器用な人で、こまめに家のことなども手伝い、女中が洗う食器を
横に立って布巾で拭いてやることもありました。
ある日の夕食どきに栗林家を訪ねた軍属は、女中も一家と同じ食卓についているのを見て驚きました。当時ではまずありえない光景だったからです。
たか子によれば、栗林は「食事はみんなで楽しくにぎやかに食べてこそおいしい。
お通夜のようにシーンとしているのは良くない」と言い、面白い話をしてよく家族を
笑わせていたそうです。長男太郎に宛てた硫黄島からの手紙の中では、自分亡き後の心構えを、
「家にいる時は母や妹達と愉快に話をし、時に冗談の一つも飛ばして家の中を明るくする事が大切である」と説いています。



栗林は騎兵出身で乗馬の名手でした。陸軍騎兵学校時代、誰もが匙を投げた
荒馬「典渡(テント)」に落とされても落とされてもかかっていき、ついにただ一人乗りこなせるようになったというエピソードがあります。









荒馬「典渡(テント)」にまたがる
      栗林中将
そんな栗林が、次女たか子が「もういい」と自分から背中を降りるまで、いつまでも四つんばいでお馬さんをしていたそうです
栗林は3人の子供の中でも、たか子のことをもっとも心配していました。
幼くして父を亡くす境遇を憐れんだのです。
40歳を過ぎてから授かった末娘を、父は「たこちゃん」と呼んでことのほか可愛がりました。時間に厳格な栗林は毎朝支度を早めに済ませ、副官が車で迎えに来るのを玄関で
待つのが習慣でした。その短い時間に「たこちゃん、踊りを見せてくれないかい」
登校前のたか子に頼むのでありました。長じて大映のニューフェイスとして女優デビューをすることになるたか子は、上がり框を舞台代わりに「雨降りお月さん」を唄いながら日本舞踏のまねごとをして父を喜ばせたりしました。