馬山から下関
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ひと通り艇の整備が終わったので11月4日艇を下すこととなった陸に上がったヨットの中は非常に落ち着かないそれは水平をよく考えて据えつければよいがそうもいかない少しでも前が下がったり左右に傾いていると安眠できないものである、そのヨットの中で4泊位しただろうか早く水に戻したいと思っていたが念願がかなった、午後五時の満潮時を狙ってクレンで吊り上げた、ユンさんでは保険がかかっていないよ、と前置きしたが無事着水した。
 やはり水に浮かんだ艇内はバランスがよく設計されておりテーブルに丸い鉛筆を置いても転がらない、その晩は熟睡出来た。
 
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 艇を下した後お礼の印と手伝ってくれた軍隊を退役したばかりの若者の慰労を兼ねて私のおごりでごちそうしようと申し出たところ、近くにプルゴギの店があると案内してもらった、前にも一度来たことがある店だったが当時は閑散としていたが今日は土曜日とあってか満席である、店はと言えば土間にシート張りテーブルと椅子を並べ大きなマキ暖炉の上に鉄板を乗せた粗末な元手のかからない施設である。
 この上で肉や海老等を載せて店主が長い柄のついた二つの小手で油ひきワインのような液をふりかけ火をつけながらパホーマンス豊かに焼いてくれる、器は自然の丸太を板状に割ったものだ、この上にキムチをどっさり、ただそれだけであるが非常ににおいしかった、子供ずれの家族等で店は大繁盛していた、食器をまったく使わないで使用後はそのままかまどに入れ燃料となり合理的である、しかも肉やエエビをたらふく食べビールに焼酎合計3人で5千円くらいであった、カメラを持参してなかったので映像で紹介できないのは残念である。
 
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翌日曜日は一日中雨、軍隊上がりの23歳の若者は仕事が休みなのでヨットに遊びに行ってもいいかと尋ねてきたので二つ返事でOKした。
 彼は勤勉でよく気が付く男である、ユンさんの世界一周のニーユスに感動自分もいつかと夢を抱きヨットを覚えるため勤務を志願してきたらしい、韓国ではスマートホーンの普及がすごい彼は音声認識翻訳を使いして私に話しかけてきた、すなわち韓国語でスマホに話しかけると日本語で訳して返事をするからすごい、私は若いときロングクルージングを夢見て英語の勉強もしたことがあるが一向に会話のできるまでには至らなかった、その頃今に電子翻訳で日本語で話しかければ英語で翻訳してくれるものが出来るだろうと勉学を半ばあきらめていた、それが現実となって出てきたがもはやスマホ扱いがわからない、困ったものだ。



彼は私のデジカメのオート機能を利用して写したもの
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 月曜日帰国して下関に向かうことで日曜日の晩は馬山で宿泊することにした、翌朝税関や入管そして日本の海上保安庁、CIQにFAXしなければならない、ひと通り手続きが終わり午後4時出航と決めていたところユンさんの奥さまが今後の航海にと自家製のキムチを持ってきてくれたこれだけあれば数か月は持ちそうだ、ありがたい。
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11月7日午後4時ユン夫妻等に見送られハーバーを後にした、艇は綺麗になった船底とペラで軽く動くようになった、エンジン回転2000 RPMで5,6ノットも出ている実に気分が良い。
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 馬山の湾から外洋に出るころにはすっかり暗くなっていた、島から島に架けられた橋がライトアップされとても綺麗であった。しかし東洋一の馬山港入り口大型船の出入りが激しくいつも緊張する箇所である
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天気予報では波も1,5〜2メートル
強い風が吹かない予報であった、しかし11月の海、夜半には風も30ノットを軽く超えている、しかも雨、波の状態が悪く艇はローリング向かい潮で艇速がまったく伸びない4ノット前後だ、あらかじめトライスル(強風時に使うセイル)をセットしていてよかった、最強時にはジブセイルも上げていられない状況であった、おまけに雨、対馬の近くで電話で天気予報で降水確率10%と言っているが夜から昼にかけて一日中雨であった、翌々日午後9時には通いなれた下関漁港に接岸したが検疫が終わってないので上陸はお預けである。
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 午前9時かねてより連絡済みで検疫官が来艇上陸許可が下りた、税関を待っていたが15分過ぎても現れなかったので電話したところ税関監視まで来るよう指示があり入管も同じ庁舎なのでスムーズに終わった。
 下関ではまったく休む暇がなかった、ビルジポンプのシステム変更、食器洗いのための海水ポンプ新設、エンジンマウント芯出し、等3日間フル作業だった、
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