基隆港から高雄港
 12月3日(土曜日)給油も済ませ昼ネットで天気予報を確認したところ日曜日から回復しそうだ、明日出航できるか若者に尋ねたところ9時以後であれば大丈夫とのことであり高雄までは230マイル40時間、ツーオバーナイトの予定あまり早く出発すると夜中に着いてしまうそこで午後2時出港と決めた。
 午後7時頃一人で食事のため街に繰り出した街中は出店が並び大勢の人で通行もままならないすごい勢いだ、探索するも手ごろな店がない日本の力士の絵のある店に入ったが言葉が通じないようやく鍋料理を注文酒は紹興酒を注文するが分からないらしいそのうち日本語が少しできる若い娘呼んできてどうにか意志が通じ熱燗の紹興酒を飲んだ。
 い気分で人の流れにまみれていたら何かにぎやかな聞きなれたような歌が聞こえてくる演歌だ、女性演歌歌手が街頭で北島三郎の「祭り」を歌っている、しばし聞き入っていた、お客のリクエストで日本の演歌何でも来いだ、私は一曲岸壁の母を録画した、後でyoutubeで公開しよう、台湾ではいたるところで日本の演歌が聞こえてくる日本びいきのようだ。
 12月4日日曜日朝8時若者と陳さんが来てくれた、今から水上警察とイミグレーションに行き出港手続きをしようと言ってきた、日曜日であっても当直の係官が居てスムズに手続きが終わった、三方にはいろいろお世話になったお礼を言い昼食を食べた後、見送り頂き2時出航基隆港を後にした。
 台湾は日本人に対し友好的でありとても親切であるがまだ新しい面と旧体制が両立しているみたいで、入出港の手続きが煩雑であり帆走協会から派遣された大学生がいてとても助かった。
基隆港をあとに...
 出航前日、パソコンから艇備え付けのGPSにブルーチャートのマップを移そうとするがうまくできない、ネットでガーミン社に自分のIDとパスワードを入力するがはじかれてしまう、プロッター上に詳細な海図が表示されない、陸を走った航跡になるこれは困ったことになった危険である、仕方ないパソコン上で詳細な海図を表示してコースを決めプロッター上に緯度経度でコースを描きこれで行こうと決心、しかしシーマップもPCに入っているがGPSをうまく表示ができないのであきらめていた、「ちょっと待てよ」確か今年8月にロシアの若者にヨットを世話したその若者は金沢にしばらく滞在したのである、ネットをするため私のノート型パソコンを一機を貸し与えていた、返してもらつてから見ると中国版のシー−マップがインストールされていた、当時はあまり気にも留めなかったがそのことに気が付き早速GPSのソフトをインストールして繋ぐとなんと現在位置を表示するではないか、これさいあればどうにでもなる、やれやれ一安心して出航てきたのである。
 基隆から西側台湾海峡に差し掛かった見える山々は日本と変わりはない風力発電塔も数基見える、しかし違うのは潮流と波、大きなうねりしかも連れ潮かヨットは8ノットで海面を滑っているもちろんエンジンは止めている、このまま高雄まで行ければと思ったがそうは行かない、韓国の友人がいつも言う「やさしい海はない」
 夕暮れも迫り台北沖だろうか遥か前方に漁船がいる、さらに近づくとフラッシュライトで合図している、右に進路を変えると行く先を遮るような行動をとる、左に進路をさけるように言っているのであろう、やや左に進路を取りそのまま進んだ、前方は波頭と夕日の反射でよく見えない、いきなり流しておいた潜行板のドラックがうなった、かかったと思い後ろを見るとなんと30メーター後方に進路方向と直角に流し網があり白いフロートが見えた、このヨットはロングキールで船底には突起物がないので引っかかるものがない、網の上を乗り越えたのだ、普通のフインキールのヨットであればバラストか舵若しくはペラに引っ掛けていただろう。
 この漁船は一番北に位置していたのだろう、同じような漁船が次々と現れ私の進路上に立ちはだかる、沖に出ようとするが暗くなった海面に赤のフラッシュライトのような閃光が絶え間なくあり沖にも出せない、岸に近づけばやはり暗礁や定置網のことがあり安心して走れない、予想が的中した、台湾海峡を南下すれば海が浅いので沢山漁船に遭遇して夜は気の抜けない航海であろうと予想していた、その予想がまさに的中、しかも日が暮れてから風はどんどん強くなる、最後はメインセイルを3ポンンリーフ以上に縮帆して走った、しかも海が浅い水深30メートル前後、波が悪く走りずらかった。
 進路方向左には台北の明かりが煌々と夜空を焦がしている、かって世界一のビルディングと言われた高層ビルが無線塔のように見えた。
 
 二日目の昼を迎えるころには台中沖だろうか航程の半分まで来たことになる、雨も降りだしたが夜の不眠を補うためうとうとしながら走った、どうも夜は風が強くなり夜が明けると風は衰えるような気がした、風速は最強時には15メートルをはるかに超えているようだ、追い風であるからよいものの向かい風であれば走れるものではない
 三日目の夜も明け高雄残航40マイルになった、このあたりの海の色は変わりあれだけ強かった風も落ちた、どうもこのヨットは追い波みのときはメインよりもゼノア一枚のほうが安定して走ることがよくわかった、この先バシー海峡を南下するにはよい発見である。
 魚も台湾海峡は取りつくしてあまりいないようだと思っていた矢先流しておいた針のドラックが唸った、素手では引けない大もの軍手とギャフを用意引き上げると3キロ超のマグロ、そしてカツオ入れ食いである小さいのはリリース大物3匹をさばき冷蔵庫に保管した。
 高雄港に近づくと軍艦が10数隻やはり対岸を意識した軍事演習であろうか真ん中を進むには気が引けて進路を左り岸よりにとったが、しばらくすると漁船らしき船影がこちらに向かって来るではないか、大丈夫だと思い直進することにした。
 
 VHFで港を呼び出し入港の許可をもらおうとするが何度呼んでも出てこない発音が悪いのだろうか、意を決して入港することにした、港内に入りあらがじめグーグルアースで調べていたヨットハーバをめざしマストのある場所に進路を取ると岸壁にエンジ色の制服を着た水上警察官らしき姿がヨットの進行方向に向かって走っているその方向に向かうと手招きで接岸するように言っている、接岸するとパスポート書類を持って事務所まで来るよう指示を受け出向くと書類にサインしてこれで入港OKと言われ後で出向く手間がなくなり好都合だった。
 また一通りの入港審査が終わった後若い係官がヨットを見せてほしいと言ってきた私は快くOKと合図をすると岸壁で靴を脱ぎ丁重に乗り込んできた。
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台湾まちかど演歌歌手「岸壁の母」
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大利根無情