日本に向けて一直線
 今回のクルーを紹介しよう
ユンさん52歳
 彼は韓国のヨットブローカー私が2004年に釜山を訪問したとき知り合い彼は日本の中古ヨットやボートを輸入して販売している、日本と韓国間回航100回以上のベテランこのサイトでも紹介しているが網走から馬山まで二人で回航したこともある。

  1. Jさん45歳
 彼はユンヨットスクール受講者で今回応募ヨットは所有してないがクルーの経験があるらしい、英語も得意で実業家らしくインマルサットで毎朝連絡を取っていた。

S,Jさん24歳
 ヨットスクールの受講者で応募
軍隊経験があるのか規則正しくてきぱきとことをこなし礼儀正しい好青年であった。

K.Jさん20歳大学生
 ヨットスクール受講者で応募
ユン氏は最初子供が一人居る心配だと私に打ち明けた、それが現実のものとなった。
 いいところのお坊ちゃまかいわゆる両班の息子か、することが幼稚で見ておれない、最初出来事はレンターカーでKマートに乗りつけたときドアを開け隣の車に傷をつける相手はレンタカーの日本人私が交渉したがそんなことがあったか素知らぬ顔。私はその後態度からコアラに似ているのでコアラ君と呼ぶことにした。
 アプラ湾を出ると波はそれほど高くはないがやはり太平洋うねっている、ツーポンリーフのメイン、ダクロンのレギュラージブ、これで艇速7〜8ノットやはり早い、トローリング仕掛けを入れるが何度もヒットするが早いので外れてしまう。
 出航に先がけ注意事項としてキヤビンから出るときはハーネスを必ず付けるよう注意した、しかしコアラ君は要領を得ない中でつけないでコックピットに出てから着けようとする私は厳しく注意した。
 体験乗船の三名はそれぞれ船酔いがあるらしくキヤビンに伏せている、飯時になるとユン氏は素早くごはんを炊韓国風の料理を作り二人で飲み交す、そして今はいいが船酔いがなおつた頃みんな食べるので食事を作ることが仕事になると言っていた、その通り2日を過ぎたころみんな食べるようになった、それぞり任務分担後の食器洗いなどこなしているがコアラ君は間に合わないはしとスプンを握りしめ出てくるものを待っているそして迷いばし、いどりばしの連続しかも3人のうちでよく食べる終わっても後かたずけは全くしない、ユン氏いわく彼はファーストクラスだ
 ワッチは3時間私は45歳のA,Jさんと組むことにした、やはり星空が綺麗月は新月南十字星がよく見える、カメラを向けてみたが技術が及ばないのかカメラが悪いのかよく撮れなかった。
 セイルトリムは全くいらない艇は北東のトレードウインドーを受け8ノットオーバー出会う船も4日間全くなかつた最初に出会った船は小笠原付近に差しかかつた時漁船の一隻だけであった。
 最初の一日は絶好の風に恵まれたのでデーラン200マイルをオバーしたこの調子で行けば7〜8日で着けると淡い希望があったが小笠原同緯度付近までの4日間は絶好調しかし航海と言うものそうたやすくはない海況予報では日本に近ずくとカームの海域がある予報が的中したし艇速4ノットを割るしかしエンジンはドライブの異音がするので使用できない我慢我慢。
 この艇の電源はパンダ5キロの発電機がある3時間ごとに起動充電しなければならない燃費は時間2リットルか燃料補給その他エンジンメンテは私の仕事。
 5日を過ぎたころユン氏は韓国ソウル大学の教授である友人が天気予報のサポートをしてくれると言っていたそしてシステムは分からないがメールで情報をやり取りしていた、その先生からこの後30ノットを超える風が予想されるので父島に避難したほうがいいと言っているしかしユン氏は私が船長でないので決めかねると答えたと冗談交じりに話していた、その予報通り雨風で30ノットをオバーした、艇速11〜12ノットヨットでは怖いスピードこの状態で一晩中走っている、交代してバースに潜り込み考えること、このスピードで漂流物やクジラに衝突したら長いバルブキールは一たまりもないだろうただ幸運を祈るかとしかない。
 夜が明け風も20ノットに落ちた一週間も剃っていないひげが伸び放題帽子の顎紐が絡まって痛いので光頭をしばし風にさらすことにした
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