U-05 Joan Baez & Emmylou Harris

 エミルーの声を聴きレコードジャケットを見ていると、オーディオの初期に買い込んだ一枚、フォークの女王といわれたジョーンバエズを思い出します。

 青春の一コマ、ベトナム戦争のさなか反戦運動のパフォーマンスの一つとしてフォークソングがあり、そのシンボルの一人がジョーンバエズでした。声域は高音域まで美しく伸び、その心の有り様を示してきりっと引き締まって輝く声です。

 何度取り出して盤面に針を落としたことか、音溝はすり減って音質もかなり低下していますが、どこか少し悲しみの響きがつきまとって心を打ちます。

 どこかで、音楽文化とオーディオを支え、リードするのはいつの時代も若者たちの世代と述べました。「うた」は、歌、唄、詩、唱……、さまざまな字を当てますが、ラップはさし詰め「乱不譜」、乱れて譜にもならずとでも当てましよう。しかし、これも青春。

 青春とは、人の心に永遠を刻印する不滅の季節です。それらが真に生活実感として呼吸の中から生まれたものであれば、やがて歳を重ねたとき、何かを語りかけ、時には忘れていた過去が懐かしさとともに蘇って、心慰める一時を与えるに違いありません。ラップも……?

「歌は世に連れ、人に連れ……」、ふと、某国国営放送の著名なアナウンサーの台詞を思い出しました。
                  15th Apr.'06
  ジョーンバエズとエミルーハリス。今夜は青春の一時を思いだしつつ、二人の女性のつましくも美しい歌声を聴いています。人声の安らぎとは不思議なものです。人が社会的存在である証かも知れません。孤独を好む人がいるにしても、人声のない無人世界で生きることは、かなりの困難でしょう。

 少し昔の話、まだ記憶に新しいウィスキーのコマーシャルだったでしょうか、TVから流れるテネシーワルツがなぜか心を捕らえました。歌っていたのは、Emmylou Harris。早速そのレコードを買い求めました。けれん味のない、素直な歌声がすっと心にしみいります。失恋の歌のようです。昔勤務していた研究所の所長が、青春時代を過ごしたアメリカを偲んで酔うと歌いだす歌でしたが、エミルーの声で初めてしみじみと心に響く歌になります。

 ブルーグラス(アコースティクなカントリー系ソング)というジャンル、アメリカ西部開拓時代の素朴な音楽です。バンジョーとかバイオリンのような携帯の容易な弦楽器で人々が生活の中から、あるいは週末か収穫の楽しみの中で歌い踊るための音楽なのでしょう。遙か昔、TVドラマ「大草原の小さな家」の、可憐な少女ローラに感動した思いでがあります。きっと、背景のどこかに、この音楽が流れていたに違いありません。

 この音楽が生まれたアメリカ西部を、半月間ほど旅したことがあります。素朴なアメリカがまだ残っていて、摩天楼と経済とスピードにあふれた現代アメリカのイメージとは全く異なる世界でした。今は、どでかいコンボイがフリーウェーを突っ走っていますが、この素朴な音楽が生まれた当時は、貧しい開拓団が累々と続くカーキ色の岩肌が奇観をみせる峠道を西へ西へと移動するとき、もはや東部の都会には戻れないと若妻は涙を流したといわれます。その気持ちよく分かります。

 行き着いた先で開拓を始めるとそこが自分の土地として認められるという、アメリカ開拓の背景にはアメリカンドリームを育んだはなはだ勝手な法律もありました。ですから、インディアンを追いつめ、または襲われながらの旅、伴ったのはハーモニカか、先に述べた小型の楽器だったのでしょう。やがて、開拓の地を見いだして家を建て、収穫を迎えたときには音楽を楽しんだに違いありません。

 どうも、蝦夷地開拓と引き比べてみるのですが、ここにはニシン漁で生まれた民謡以外には開拓者の心を伝える歌は見あたりません。歌が生まれる背景がなかったのは官制開拓だったせいでしょうか。我がススキノ繁華街にしても、人を定着させるための策として設置された官制の色街といわれます。歌が人々の生活の中で、心慰める唯一の手段として生まれるような哀切感がありません。脱線しました (-_-;