1964年頃ですから遡ること47年前、初めて自分のセットを手にしました。 机一つと布団が敷けるだけの広さの自炊部屋に、ラジオを少し体裁良くしたようなビクターの卓上型でした。真空管式で、丸くぼけた優しい音でした。LPレコードをセットすると、装置の裏面にはみ出すような代物でしたが、これでカラヤン指揮の未完成を聴いて、知らずに涙を流した事があります。直接心に伝わる、音楽の不思議な力を知りました。

 職について2年間ほど、ボーナスをすべて注ぎ込んでコンポを組みました。この時はまだ、音響の贅沢な魔力、一度良い音を聴いてしまうと、際限なくますます良い音を求めたくなる泥沼の道を辿ることなど知るよしもなく、うれしげに一歩を踏み出してしまったのです。

 結婚した時には貯金など一文もなし、結婚費用として会社の互助会から借りたほどですから、妻も驚きました。

「何んで一銭もないのか? 借金まで?」
「だから、これがあるじゃないか」、とシステムを指さしても、あきれ果てた妻が納得するはずはありません。

 しかし、それっきり何も言いませんから、お許しが出たものと解釈して、今も性懲りもなくそのまま趣味を続けています。思うに、妻はそれ以来怒りを胸の裡に秘めて、同じ屋根の下で生活しています。何と、おしんを地でいくような意地と健気さ、そして女神のような妻だと後ろ姿に手をあわせます。

 あれから月日が流れました。終の棲家として建てた小さな家で、オーディオルームを独り占めしてからは、もはや夫とは認めていないようです。いま自分に問うています。自分の原点を忘れてしまったのは何時のことなのか。自分が語ったこと成したこと、そして行いのすべて、それは何のためだったのか、誰のためだったのか……。

 今思い出すシーンは、金もなく、知識もなく、野望だけが大きかった学生時代、ショーウィンドウの中できらめくようなたたずまいのレシーバー、FMステレオの受信を示して、小さく緑色に輝いていたインジケーター,それをじっと見つめていた自分……。

                                                     Oct. 2011
T-02 音響の魔力、極道の道へ